■検証113・日蓮正宗や創価学会が唱える日蓮出世の本懐論の欺瞞7

 

□「聖人御難事」の文は「戒壇の大本尊」なる板本尊造立の証拠ではない

 

日蓮の遺文(御書)である「聖人御難事」の以下の一節

「去ぬる建長五年太歳癸丑四月二十八日に・・・・・清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして、午の時に此の法門申し始めて今に二十七年、弘安二年太歳己卯なり。仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計りなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり。其の間の大難は各々かつしろしめせり」

(大石寺版『平成新編日蓮大聖人御書』p1396

仏四十余年天台三十余年伝教二十余年余二十七年なり
 

日蓮正宗の信者たちは、この文を、強引に「戒壇の大本尊」なる板本尊が1279(弘安2)1012日に造立された文献上の証拠(文証)に仕立て上げようとしている。最近でも日蓮正宗謀略機関紙「慧妙」をはじめ、日蓮正宗理境坊妙観講をはじめとする信者は、必ずと言っていいほど、これを言ってくる。 元々、この「聖人御難事」の文を「戒壇の大本尊」なる板本尊の文証にこじつけようとしたのは、大石寺56世大石日応であり、それをそっくりコピーして『悪書板本尊偽作論を粉砕す』という名前の本で言っていたのが、大石寺66世細井日達である。今の「慧妙」や妙観講をはじめとする日蓮正宗の信者が唱えている、「聖人御難事」を根拠とする「戒壇の大本尊・出世の本懐論」なるものは、大石寺56世大石日応や大石寺66世細井日達が言っていたことを、コピーして言っているだけのことである。

しかし普通に考えれば、この「聖人御難事」は日蓮が1279(弘安2)101日の作の遺文であるから、1279(弘安2)1012日の日付になっている「戒壇の大本尊」なる板本尊の文証としての資格は、あるわけがない。当然のことである。

大石寺66世細井日達よりも先代の法主にあたる大石寺59世堀日亨が、1922(大正11)1220日に出した「熱原法難史」という著書に、この「聖人御難事」の文と「戒壇の大本尊」なる板本尊の関係について否定する文を書いている。

「自分は宗旨建立より二十七年目に法難も終結して始めて出世の本懐を満足したのであると云ふ御意と拝見せねばならぬ。法難即本懐では無くて法難終結に寄せて何か本懐満足の事実を祝し給ふのではないか。

然れば当時何事か宗祖(日蓮)の本懐満足と云ふ史実が有ったらうかと考えてみると、先師が曾て直に此文(『聖人御難事』の『余は二十七年なり』の文のこと)を以て戒壇本尊顕彰の依文と為れたやうだが、直接の文便は無いやうである」

(堀日亨の著書『熱原法難史』p72)

熱原法難史1


熱原法難史2


熱原法難史3
 


 

 

□「聖人御難事」の文は「戒壇の大本尊」が日蓮の出世本懐でを証明する遺文でも何でもない

 

このように日蓮正宗の法主であった堀日亨自身が、「聖人御難事」と「戒壇の大本尊」は「直接の文便は無い」と言って、両者の関係を完全否定しているのである。「聖人御難事」の文は「戒壇の大本尊」なる板本尊造立の証拠もなければ、「戒壇の大本尊」なる板本尊が日蓮の出世の本懐であることを証明する遺文(御書)でも何でもない。「聖人御難事」と大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊は全く無関係である。もっとも、普通に考えていけば、至極当然のことである。

実は、堀日亨以外にも、日蓮正宗大石寺の法主で、この「聖人御難事」の文は、「戒壇の大本尊」なる板本尊造立の証拠ではない、ということを言った人物がいるのである。

59世日亨2
 

(大石寺59世堀日亨)