■検証186・大石寺の「戒壇大本尊」が大石寺9世日有の偽作である16の証拠41

 

金原明彦氏の「戒壇大本尊」大石寺6世日時・大石寺8世日影偽作説は誤りである2

 

創価学会員の「戒壇の大本尊」研究家・金原明彦氏は、著書「日蓮と本尊伝承」の中で、「戒壇の大本尊」なる板本尊が偽作された時期を、日蓮正宗大石寺6世法主日時か、大石寺8世法主日影の時代だったのではないかという説を唱えているが、その根拠のひとつとして、

「信行寺のある下野が奥州新田と姻戚関係にある小野寺家の本拠地であり、奥州門徒と深いつながりを持ちながら、(大石寺5)日行・(大石寺6)日時時代に引き続き、大石寺の有力檀越であったことを付記しておきたい」

「当時の大石寺の経済基盤が奥州法華講衆によって支えられていたことと無関係ではあるまい」

「かえって身近に有力檀越の存在する寺院のほうが経済的優位に立っていたかもしれない」

(「日蓮と本尊伝承」p187190より)

と述べ、大石寺6世日時、大石寺8世日影の代において、今の栃木県の小野寺家が日蓮正宗大石寺門流の有力檀越だったことと奥州法華講衆によって大石寺の経済基盤が支えられていたことを挙げている。この金原明彦氏の説を検証するに当たって、面白い参考資料がある。

日蓮正宗が発行する月刊誌「妙教」平成15(2003)9月号には以下の記事が載っている。

(大石寺5)日行上人が下野方面の弘教に力をいれた成果として、後に平井信行寺方面には薗部衆(薗部門徒)と言われるまとまり(講衆)ができています。このことは、授与書に「薗部」の名が入った御本尊が、第九世日有上人より第十四世日主上人の時代(文安41447年~天正111583年)にかけ相当数残されているので知られます。

また、蓮行寺方面の信徒は金井衆(金井門徒)と言われ、同じく御本尊脇書としては第六世日時上人書写のものから、第十四世日主上人までの間(応永91402年~天正181590年)に確認することができます。… このように薗部衆・金井衆ともに、およそ二百年近い間、当地において法華信仰を維持していたことは特筆すべき事実です。地元では、薗部衆・金井衆ともに本山(大石寺)の台所を賄ったとの言い伝えがありますが、強ち誇張でもないように思われます。」

(月刊誌「妙教」平成15(2003)9月号)

ここに「強ち誇張でもないように思われます」なんて書いてあるが、この「妙教」の記事は、あまりに誇張されすぎたものと言えるだろう。大石寺6世日時、大石寺8世日影の時代の大石寺は、少なくともすでに20ケ寺以上の末寺を持つ本山寺院であった。もし本当に信行寺や蓮行寺の信者である薗部衆や金井衆が、20ヶ寺以上の末寺を持つ大石寺の経済基盤を支えていたとすれば、その時点で大石寺と信行寺・蓮行寺の本末関係が逆転し、信行寺ないし蓮行寺が本山になり、大石寺が信行寺ないし蓮行寺の末寺になっていただろう。しかし大石寺門流の歴史で、信行寺ないし蓮行寺が本山だったことはない。

 

 

□大石寺6世日時・大石寺8世日影の代に「戒壇の大本尊」偽作は物理的に不可能である2

 

日本の歴史を繙いても、中世の京都や鎌倉の大寺院における、どんな有力檀越でも、20ケ寺以上の末寺を持つ本山寺院の経済基盤を一手に支えていた人物など、どこにも存在しない。

大石寺6世日時、大石寺8世日影の時代は、大石寺が日郷門流との70年戦争で、経済力が極度に疲弊してしまっていた。もし本当に薗部衆や金井衆によって大石寺の経済基盤が支えられていたならば、大石寺がここまで経済的に疲弊するはずがない。日蓮正宗大石寺9世法主日有が握っていた莫大な経済基盤の背景は、小野寺家をはじめとする薗部衆・金井衆などによるものではなく、甲州・湯之奥金山の金による経済力であった。しかし大石寺6世日時・大石寺8世日影の時代に、大石寺にはまだ湯之奥金山の金による経済基盤はまだなかったのである。

大石寺17世日精の著書「家中抄・日影伝」によると、大石寺8世日影は「平井で弘通あり」とあり、栃木県平井・信行寺に下向・巡教していたと書かれているが、「有師御物語抄佳跡」によると、大石寺8世日影は平井の薗部出身と書いてある。

その大石寺8世日影が平井の薗部へ下向したということは、下向巡教というよりは、むしろ大石寺の極貧ぶり・困窮ぶりが垣間見得る。もし大石寺8世日影の時代に、経済基盤が整っていたら、日影が大石寺門流の信者が多い自らの出身地へ赴いて行くはずがない。

よって月刊誌「妙教」平成15(2003)9月号に載っている薗部衆・金井衆の経済力云々の記事は、全く何の根拠もない記事であり、薗部衆や金井衆によって大石寺の経済基盤が支えられていたなどという史実は全く存在しない。したがって、大石寺6世日時・8世日影の時代に、大石寺には経済基盤はほとんどなく、「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作できる経済力はなかったと結論づけられる。もちろん、甲州・湯之奥金山も発見されておらず、湯之奥金山で産出された金も入手していなかった。大石寺6世日時・大石寺8世日影が、「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作することは、物理的にも技術的にも経済的にも不可能なのである。金原明彦氏の「当時の大石寺の経済基盤が奥州法華講衆によって支えられていた」「かえって身近に有力檀越の存在する寺院のほうが経済的優位に立っていた」との説は、全く何の根拠もない、史実に反する記事を書いている日蓮正宗寺院発行の月刊誌「妙教」平成15(2003)9月号を参考にしていることは明らかである。しかし、月刊誌「妙教」平成15(2003)9月号の記事の内容は全くの誤謬である以上、これに付和雷同しようとした金原明彦氏の説も誤りであるという結論になる。

日蓮と本尊伝承2
 

(金原明彦氏の著書「日蓮と本尊伝承」)

9世日有4(諸記録)
 

(能勢順道氏の著書『諸記録』に載っている大石寺9世日有の肖像画)

戒壇大本尊1大正4年由井本1
 

(大石寺の『戒壇の大本尊』)