■検証190・大石寺の「戒壇大本尊」が大石寺9世日有の偽作である16の証拠45

 

□日蓮正宗・妙法寺の応永27年板本尊は「戒壇大本尊」偽作後に黒漆金箔加工された

 

日蓮正宗・黒須野(福島県いわき市)妙法寺には、応永二十七年(1420)四月十五日造立の日付が入っている、日蓮真筆の「紫宸殿本尊」を模写彫刻したレプリカ板本尊が格蔵されている。1420年といえば、大石寺9世日有が法主に登座して間もないころということになるが、1420年の時点で黒漆・金箔加工の板本尊が存在していたということになると、大石寺9世日有の「戒壇の大本尊」偽作以前から黒漆・金箔加工の板本尊が存在していたということになる。

ところが、この板本尊には大石寺9世日有の署名花押がなく、大石寺59世堀日亨が編纂した『富士宗学要集』8巻によると、この板本尊は「檜」(ヒノキ)の板本尊で、脇書きには「大檀那大伴氏浄蓮」という名前が書いてあるという。同じく大石寺59世堀日亨が書いた「堀ノート」には

「当寺にては戒壇御本尊と云ひけるとのこと。 裏書不明」

とあり、この板本尊は妙法寺にては『戒壇の御本尊』と称されていたというのである。

この妙法寺の板本尊も、応永27(1420)年の造立当初から、黒漆塗りに金箔加工を施した板本尊だったとは、とても考えられず、大石寺9世日有の「戒壇の大本尊」偽作以後において、このように加工されたと考えられるのである。その根拠は、以下の通りである。

□第1に、妙法寺にいくら有力な信者がいたとしても、大石寺の末寺である妙法寺には単独で仏師・職人を調達し、板本尊に黒漆塗りや金箔加工を施すほどの経済力・技術力もなく、そのような大がかりな板本尊造立が出来るほどの指導力もなかった。

室町時代の頃は、天皇・皇族、朝廷の公家・貴族、幕府の武家、仏教界の僧侶以外のほとんどの人は文字の読み書きができなかった。妙法寺の信者が仮に経済力を持っていたとしても、文字の読み書きができない人に、板本尊造立を指揮・監督出来る指導力がないことは明らかである。

□第2に、板本尊に金箔加工を施すには「金」が絶対に必要になるが、福島県いわき市周辺には、金を産出する金山は存在せず、妙法寺がそもそも「金」を入手することが不可能であること。ここから一番近い金山は、やはり福島県郡山市の高玉金山であるが、ここは1573(天正1)年に会津藩主芦名盛興によって開かれたもので、1400年代には、まだ未発見で、金山そのものが存在していなかった。

□第3に、総本山大石寺にすら黒漆塗りに金箔加工の板本尊が存在しないのに、末寺が本山をさし置いて、こんな豪華絢爛な板本尊を造立することはあり得ないこと。

 

 

□「大檀那大伴氏浄蓮」が願主になっている本尊が造立当初から板本尊だったとは考えられない

 

□第4に、この板本尊の脇書きに「大檀那大伴氏浄蓮」と書いてあるというが、もし仮にこの脇書きにある「大檀那大伴氏浄蓮」という信者が願主ないしは授与者になっている本尊だとしたら、造立当初から、大石寺にもない黒漆塗りに金箔加工を施した板本尊だったとは、絶対に考えられない。日蓮正宗において、どんな功績が大なる信者に対してでも、法主が授与する本尊は、だいたいが紙幅の掛軸式の常住本尊であるからだ。近年は、日蓮正宗法華講の幹部信者や多額の供養を出したり寺院を寄進した信者にも、法主が板本尊を授与するケースがあるようだが、往古の昔において、信者に板本尊が授与されたという例は皆無に近い。

□第5に、この板本尊は妙法寺では「戒壇の御本尊」と呼ばれていたことからして、信者個人に授与した常住本尊を、いくら何でも「戒壇の御本尊」と呼ぶわけがない。少なくともこの本尊が「板本尊」として、寺院の常住本尊となってから「戒壇の御本尊」と呼ばれたと考えられるわけで、「大檀那大伴氏浄蓮」という信者が願主ないしは授与者になっていることと、「戒壇の御本尊」と呼ばれていたことは並立しない。よって「大檀那大伴氏浄蓮」という信者の常住本尊として図顕された時は、板本尊ではなく、紙幅の掛軸式の常住本尊だったと考えられる。

大石寺9世日有が偽作した大石寺の「戒壇の御本尊」なる板本尊は、黒漆塗りに金箔加工を施した板本尊であるので、大石寺9世日有の「戒壇の大本尊」なる板本尊の偽作の後に、黒須野(福島県いわき市)妙法寺の「戒壇の御本尊」を模倣して、大石寺からの「漆」「金」や「漆加工」「金箔加工」の職人を援助されて、黒漆塗りと金箔加工が施された可能性が高い。

またこの板本尊はヒノキの板で出来ているということだが、ヒノキとは、日本と台湾にのみ分布する木であり、日本では本州中部(福島県)以南から九州まで分布する木である。

福島県はヒノキの生息域の北限と考えられているので、妙法寺が単独でもヒノキの木を入手して、板を製造加工することぐらいは可能であった。したがって、この妙法寺に格蔵されている板本尊は、応永27(1420)4月の造立当初は、紙幅の掛軸式常住本尊であったか、あるいは仮に板本尊であったとしても、黒漆塗りと金箔加工はなされていない、板の上に墨で「紫宸殿本尊」を模写しただけの本尊だったと考えられるのである。そして大石寺9世日有が「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作した後に、黒漆塗りに金箔加工の板本尊に加工されたと考えられるのである。

9世日有4(諸記録)
 

(能勢順道氏の著書『諸記録』に載っている大石寺9世日有の肖像画)

戒壇大本尊3
 

(大石寺の『戒壇の大本尊』)

戒壇大本尊2大正4年由井本2
 

(大正時代に大石寺御影堂で行われていた「戒壇の大本尊」開扉の写真)