■検証198・大石寺の「戒壇大本尊」が大石寺9世日有の偽作である16の証拠53

 

□大石寺9世日有が戒壇大本尊を偽作したのは「身代わり本尊」彫刻の1445(文安2)年だ3

 

日蓮正宗大石寺9世法主・日有は、「戒壇の大本尊」なる板本尊の他に、「御身代わり本尊」を含めた五体の板本尊を造立している。さらに大石寺9世日有は、そもそも「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作する必要性の上から、大石寺に土蔵造りの宝蔵を創建した。大石寺宝蔵の中で、「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作するに当たって、板本尊偽作を大石寺信者の目から隠蔽するために、同時に造立した板本尊として、最も可能性の高いのは「文安二年乙丑十一月六日」の日付が入っている御身代わり板本尊と呼ばれている、日蓮の紫宸殿本尊(※日蓮正宗では紫宸殿本尊のことを『師資伝』本尊と呼んでいる)を板に模写彫刻・漆塗金箔加工した本尊であろう。

ただし大石寺宝蔵の中で、「戒壇の大本尊」なる板本尊といっしょに造立された板本尊としては、身代わり板本尊以外の他の四体の板本尊の可能性も残ってはいるし、「戒壇の大本尊」なる板本尊といっしょに他の五体の板本尊が同時に造立された可能性も残ってはいる。日蓮正宗大石寺59世法主・堀日亨が編纂した「富士宗学要集」や大石寺塔中観行坊住職・能勢順道氏が編纂した「諸記録」といった史料を見ても、御身代わり板本尊の木の材質が何であるかが載っていない。

日蓮正宗・平井(栃木県栃木市)信行寺に格蔵されている、応永十九年(1412)十月十三日造立の日付が入っている、日蓮真筆の「紫宸殿本尊」を模写彫刻した板本尊は、日蓮正宗大石寺59世法主・堀日亨が書いた「堀ノート」によると、「本堂 楠板 宗祖御真筆 弘安三年庚申三月 宗祖在御判 応永十九年十月十三日」と書いており、楠木の板で出来ていると書いてある。

「大石寺の『戒壇大本尊』は後世の偽作だ」で詳述しているが、鎌倉・室町・江戸時代は、日本を含む北半球が、今より平均気温が摂氏2度前後低かった「小氷期」であり、身延山がある山梨県、大石寺がある静岡県富士地方をはじめ、信行寺がある栃木県栃木市には、自生の楠木はなかったと考えられること。

楠木という木は古くから「神木」として崇められてきている木であり、特に僧侶をはじめとする宗教者が簡単に伐り倒せる木ではなかったこと。

こういったこと等々から、日蓮正宗・平井・信行寺の応永十九年(1412)十月十三日の板本尊は、応永十九年(1412)に信行寺で造立されたのではなく、大石寺9世日有の代になってから大石寺で造立され、信行寺に運ばれた板本尊と断定している。

 

 

□大石寺9世日有の隠蔽工作は戒壇大本尊と他の五体の板本尊の組み合わせの可能性もあり

 

同じ楠木を使った板本尊というふうに考えるならば、大石寺宝蔵の中で、「戒壇の大本尊」なる板本尊といっしょに造立された板本尊としては、身代わり板本尊以外の他の四体の板本尊の可能性としては、この信行寺の板本尊である可能性が最も高いと言えよう。

しかし日蓮正宗大石寺52世法主・鈴木日霑らが言っている「身代わり本尊の言い訳」が、室町時代から大石寺で発生していたとするならば、「文安二年乙丑十一月六日」の日付が入っている御身代わり板本尊が造立された1445(文安二年)には、「戒壇の大本尊」なる板本尊が大石寺に存在していたということになる。よって大石寺宝蔵の中で、「戒壇の大本尊」なる板本尊といっしょに造立された板本尊が、身代わり板本尊以外の他の四体の板本尊だったとしても、「戒壇の大本尊」なる板本尊が造立されたのは、遅く見積もっても1445(文安二年)ということになり、もっと言うと大石寺9世日有が大石寺法主に登座して京都天奏に旅だって行った1432年から1445年の間ということになる。

9世日有4(諸記録)
 

(能勢順道氏の著書『諸記録』に載っている大石寺9世日有の肖像画)

戒壇大本尊3
 

(大石寺の『戒壇の大本尊』)

御宝蔵4
 

(大石寺宝蔵)

本尊082・大石寺・紫宸殿本尊
 

(立正安国会『日蓮真筆本尊集』に載っている大石寺・紫宸殿(師資伝)本尊)

霊宝虫払大法会14
 

(大石寺・霊宝虫払い大法会で奉掲される大石寺・紫宸殿(師資伝)本尊)

戒壇大本尊2大正4年由井本2
 

(大正時代に大石寺御影堂で行われていた「戒壇の大本尊」開扉の写真)