□デモ、集会、アジ演説等によって政府がかわり世の中がかわり時代が変革した20世紀の時代

 

正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗」に時折、「なぜデモ行進をやらないのか」との質問を寄せてくる人がいる。近代にはいってから、米欧先進国のみならず、日本でも19世紀から20世紀にかけて、政治的主張を行う手段として、デモ行進や集会といったことが行われてきたことは事実である。それによりさまざまな政治的成果があったこともまた事実である。しかし21世紀に入り、時代が移り変わったからなのか、デモ行進や集会が必ずしも政治的要求、主義主張を行う手段として、プラスに作用しないケースが発生することが判明した。その最大のものは、在特会が行っていたヘイトスピーチ、差別発言によるデモ、集会、アジテーション演説である。在特会のヘイトスピーチに対して、201412月、最高裁が判決を下し、在特会の人種や国籍で差別するヘイトスピーチの違法性を認めた判断により、半径200メートル以内での街宣活動の禁止と、約1200万円の損害賠償を命じた一、二審判決が確定した。それだけではない。これらの在特会のヘイトスピーチのデモ、集会、アジ演説等によって、数多くの在特会批判勢力が生まれ、在特会や在特会指導者たちがレイシスト(差別主義者)であるとの評価が多方面で下されている。在特会とは、「在日特権を許さない市民の会」の名称で、在日韓国人・朝鮮人の特別永住者制度の廃止をめざしている団体だと聞く。であるならば、在特会がヘイトスピーチを繰り返して最高裁からヘイトスピーチの違法性を認めた判断を下されたり、批判勢力から「レイシスト」だと評価を下されることは、在特会の運動にとってプラスになるはずがなく、大いにマイナスに作用しているはずだ。誤解のないように断っておくが、私はここで在特会そのものに対する賛否、在特会の政策に対する賛否を表明しているのではない。

20世紀の時代は、たしかにデモや集会、アジテーション演説等によって政府がかわり、世の中がかわり、時代が変革していった時代だったといえる。1911年の孫文が主導した中国・辛亥革命では、清朝が打倒されて中華民国が成立した。1917年のロシア革命では、反政府デモがきっかけになって皇帝政府が打倒され、レーニンのソビエト政権が樹立された。1956年のハンガリー暴動、1968年のチェコ・プラハの春はソ連軍の戦車によって鎮圧されてしまったが、ソ連・ゴルバチョフ政権のペレストロイカにより、1989年にベルリンの壁が崩壊。ルーマニアのチャウシェスク独裁政権が、民衆蜂起によるルーマニア革命で崩壊した。1986年のフィリピンでは、ピープルズパワー革命により、マルコス独裁政権が打倒され、コラソン・アキノ政権が誕生した。20世紀の韓国では、1960年の学生革命で李承晩政権が打倒された。1987年の民主化革命では、新憲法制定、大統領直接選挙が実現した。アメリカでも1960年代では、黒人差別反対、人種差別反対デモが沸き起こり、人種差別を禁止する公民権法が1964年に成立した。21世紀に入っても、チュニジア、エジプト、アルジェリア等々でアラブの春と言われる民衆蜂起による民主化の潮流が起きた。これらの革命は、デモや集会といった民衆蜂起が成功した事例と言えよう。

 

 

□根本的運動方針としてデモ・集会が適切な政治的手段なのかを問い直すことは当然のことだ

 

日本においても、終戦直後の1945年から1970年代のころまで、労働組合、学生、左翼過激派のストライキ、デモ、集会等が荒れ狂った時代があった。この時代は、日本の高度経済成長の時代だったということもあって、労働運動は労働者の賃金上昇という成果を得たが、左翼運動や学生運動は次第に暴力化、暴力集団化して大衆の支持を失い、官憲の取り締まり等もあって弱体化、沈静化していった。日本の労働組合、学生、左翼過激派のストライキ、デモ、集会等は、ロシア革命、辛亥革命、ルーマニア革命、韓国・学生革命のような革命にはならなかった。

1989年、リクルート事件、消費税導入で政府批判が高まっていたころ、深夜討論番組「朝まで生テレビ」で、評論家が学生に「なぜ君たちは街頭に出てデモをやらないのか」と質問したことがあった。これに学生が「学生運動の指導者がデモを組織する能力がない」と答えて、会場の笑いを誘ったことがあった。私はこれは学生の単なるジョークや笑い話ではないと思う。

労働組合が組織していたデモ行進や集会は、労働組合指導者が号令をかけて、労働組合員の中からデモ参加者を募り、労働組合はデモ参加者に「活動費」の名目でカネを支払っていた。

労働組合役員に対しても、組合会計の中から役員報酬が支払われている。労働組合役員の中には、委員長、書記長、副委員長、執行委員等の365日、労働組合の事務に専従する専従役員がおり、専従役員は組合会計の中から給与をもらって生活している。デモ参加者がもらっている「活動費」という名目のカネも、労働組合員の毎月の給与の中から労働組合が徴収する「組合費」やその他のコーヒーの自動販売機等の収入で成り立っている労働組合会計から支払われるカネである。「デモを組織する能力」とは、こういうことを指して言っていたのだろうか。

デモや集会とは、はじまりは組織的なものかもしれないが、しかしそれは民衆蜂起といった自然発生的に大きくなっていったものという前提があるはず。組合会計の中から給与をもらって生活している専従役員が号令をかけて組織し、デモ参加者に「活動費」の名目のカネを支給して組織するデモをやって、果たしてどれだけの成果が挙げられるというのか。1990年代から21世紀に入り、労働組合の組織率が年々低下をつづけ、春闘をやっても、一向に成果があがらず、士気もあがらず、「活動費」のカネをもらってデモに参加している人たちも、マンネリ化したデモや行事に嫌気がさしているのか、「軍事費を削って福祉にまわせ」とのスローガンを「軍事費を削ってパチンコにまわせ」とか「軍事費を削ってソープランドにまわせ」と叫んでいる有様。これなどは労働組合運動の弱体化の象徴のようなもので、労働運動が尻つぼみになっていっているのは、こういったことが一因になっているのではなかろうか。

ましてや近年は、在特会がヘイトスピーチ・デモを行うことによって、最高裁からヘイトスピーチの違法性を認めた判断を下されたり、在特会批判勢力から「レイシスト」だと評価を下されたり、在特会の運動にとってマイナスに作用している結果が出ていることは見逃せない。そうであるならば、根本的な運動方針として、デモ・集会という手段が、適切な政治的手段・運動手段なのかどうかを問い直すことは、当然のことではあるまいか。

ヘイトスピーチ6


ヘイトスピーチ1


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ヘイトスピーチ3


ヘイトスピーチ5


ヘイトスピーチ7
 

(在特会のヘイトスピーチ・デモ行進・ユーチューブの映像より)