■検証201・大石寺の「戒壇大本尊」が大石寺9世日有の偽作である16の証拠56
□大石寺法主が否定している久遠院日騰の「紙墨の戒壇本尊・後代彫刻・加工説」
「戒壇の大本尊」なる板本尊の曼荼羅の模写と彫刻・塗箔、ないしは模写・彫刻と塗箔が別の法主によって行われたのではないかという説とよく似た説に、「日蓮が紙墨に認めた紙幅の本尊を9代日有が彫刻した」と言った大石寺34代学頭・久遠院日騰の説がある。
日蓮正宗大石寺52世法主・鈴木日霑が35代大石寺学頭だったので、久遠院日騰は鈴木日霑よりも一つ前の学頭ということになる。
学頭とは大石寺次期法主に内定した人物のことで、法主に次ぐ宗門ナンバー2の高僧である。
久遠院日騰は大石寺51世日英から学頭に任命されたが、法主には登座せず、鈴木日霑が35代大石寺学頭になり、そのまま大石寺52世法主に登座している。
その後、久遠院日騰は1854(安政1)年11月の安政の大地震でのケガが元で、翌1855(安政2)年10月に48才の若さで死去している。
明治初期に北山本門寺34代貫首・玉野日志氏と日蓮正宗大石寺52世法主鈴木日霑との間の「霑志問答」で、玉野日志が鈴木日霑に、久遠院日騰の説についてこのように書いている。
「其彫刻は現に久遠院弁妙・国学の友大堀有忠—今尚存生—に語って云く、大石寺に戒壇の本尊有り、惜しいかな九代日有師之を彫刻して其の本紙を失すと」
(『両山問答・本門寺問の部』日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨編纂『富士宗学要集』7巻p44)
これに対して大石寺の鈴木日霑は、次のように答えている。
「其の彫刻は久遠院便妙・国学の友大堀有忠に語って云くとは死人に口なし、能き証人なり。彼の便妙なる者、吾が信者ならざる方外の友杯に妄りに法話をすべきの人にあらず。是れ必ず死して其の人の亡きを幸いとし斯る胡乱なる証人を出し給ひし者か。若し万が一彼の人にして此の語あらば、彼の人の殃死は必ず此の妄言を出せし現報なるべし」
(『両山問答・大石寺答の部』日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨編纂『富士宗学要集』7巻p101)
鈴木日霑は、もし万が一にも久遠院日騰が本当に国学の友大堀有忠に「大石寺に戒壇の本尊があるが、これは大石寺九代日有が彫刻した本尊で、日有は日蓮が紙墨に認めた戒壇本尊を失してしまった」と語ったならば、久遠院日騰が安政の大地震でのケガが元で死去したのは、この妄言を言った仏罰の報いなのだ、と言っている。
つまり鈴木日霑は、久遠院日騰が言ったとされる「日蓮が紙墨に認めた戒壇本尊を大石寺九代日有が彫刻した」という説を言下に否定しているのである。
□大石寺67世阿部日顕も否定した「日蓮直筆紙墨の戒壇大本尊」後世板本尊彫刻説
又、日蓮正宗大石寺67世法主・阿部日顕はかつて
「まず、『直筆である紙幅の本門戒壇の御本尊は、現在宝蔵に保管されています』と言っていますが、大石寺の御宝蔵にはもちろんのこと、この世のいずこを探しても、彼等の言う『紙幅の戒壇の大御本尊』なるものは存在しません。このような“前代未聞”の珍説がどこから生まれたか判りませんが、これも創価学会お得意の、ないものをあったが如く偽る、悪しき体質の一例です。」
(『創価学会の偽造本尊義を破す』に載っている阿部日顕の説法)
と説法して、「最初に戒壇の本尊を紙墨にしたためたのは大聖人で、後の時代に金箔加工された」という妄説を否定している。
このように、「最初に戒壇の本尊を紙墨にしたためたのは日蓮で、後の時代に加工された」説を大石寺法主の鈴木日霑、阿部日顕自らが否定しているわけだが、大石寺法主がどう言おうが、「戒壇の大本尊」が日蓮の造立ではなく、日蓮から大石寺8世日影の代まで存在していないわけだから、これによって「最初に戒壇の本尊を紙墨にしたためたのは日蓮で、後の時代に加工された」説というのは根拠を失って崩壊する。
又、「紙墨にしたためた戒壇の本尊」ないしは「紙幅の戒壇の大御本尊」なるものを否定することによって、実質的にこれは「戒壇の大本尊」なる板本尊が大石寺9世日有によって偽作されたことを認めているものと言うこともできる。
しかし大石寺の法主自身が、別の時代の、別の二人以上の法主によって筆写・彫刻・塗箔が行われたという説を全面否定しているという点は重要である。
これにより、日蓮正宗は誰か一人の法主によって「戒壇の大本尊」の筆写・彫刻・塗箔が行われたという説に立っていることになる。日蓮正宗は日蓮が直接全てを行ったと言いたいのだろうが、「大石寺の『戒壇大本尊』は後世の偽作だ」カテゴリで詳述したように、日蓮直筆・直造ではないことは明白である。
□「大石寺の『戒壇大本尊』は日蓮造立ではない偽作本尊だ」
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_161867.html
この「大石寺の『戒壇大本尊』は9世日有の偽作だ」カテゴリで述べるように、大石寺9世日有の手によって偽作されたことが確定的ということになる。
□「大石寺の『戒壇大本尊』は大石寺9世日有の偽作である」
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_161878.html
それともうひとつ。「大石寺の『戒壇大本尊』は後世の偽作だ」と追及されて、日蓮正宗謀略機関紙『慧妙』や洗脳法華講員・ブルーシールが、別の時代の、別の二人以上の法主によって筆写・彫刻・塗箔が行われたという説を苦し紛れの言い訳で使っているが、これを大石寺の法主自身が否定していることになる。ということは、『慧妙』やブルーシールは、大石寺法主とは別の見解を述べていることになり、日蓮正宗・宗規の「教義上の異説」で大石寺法主から処罰される可能性が極めて高くなることになる。誠に気の毒な限りである。(笑)
(大石寺の『戒壇の大本尊』)
(能勢順道氏の著書『諸記録』に載っている大石寺9世日有の肖像画)
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