■検証204・大石寺の「戒壇大本尊」が大石寺9世日有の偽作である16の証拠59

 

□「戒壇大本尊」大石寺9世日有偽作の証拠7-2・大石寺9世日有の大石寺の宝蔵創建2

 

□宝蔵創建以前に「戒壇大本尊」がどこに秘蔵されていたか苦しい弁解の大石寺歴代法主

 

「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作した日蓮正宗大石寺9世法主日有の代以前、というより、大石寺9世日有が「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作してから奉安殿が落慶するまでの間の約五百年間、「戒壇の大本尊」を格蔵していた大石寺宝蔵が創建される以前、「戒壇の大本尊」なる板本尊が、大石寺のどの堂宇に格蔵していたかについて、大石寺法主は全く口を濁している。

もっとも大石寺9世日有の代以前には、「戒壇の大本尊」なる板本尊が地球上のどこにも存在していなかったのだから、大石寺のどの堂宇に格蔵していたかについて、特定できるわけがない。

しかしどこかにあったことにしないと、大石寺法主としては立場上、都合が悪いということなのか、さまざまな苦しい弁解を並べている。大石寺59世堀日亨は、こんなことを言っている。

「開山上人(日興)は、これ(本門戒壇の大御本尊)を弘安二年に密付せられて、正しき広布の時まで苦心して秘蔵せられたのであるが、上代にはこのことが自他に喧伝せられなかったが、いずれの時代(中古か)からか、遠き広布を待ちかねて特縁により強信により内拝のやむなきにいたり、ついには今日のごとき常例となったのは、もったいない事である」(堀日亨の著書「富士日興上人詳伝・下」p59)

堀日亨は、大石寺開祖・日興が「戒壇の大本尊」なる板本尊を「苦心して秘蔵せられた」とは言っているが、具体的に日興が大石寺のどこに秘蔵していたのか、については、何も触れていない。というか、堀日亨は、本心では「戒壇の大本尊」大石寺9世日有偽作説を支持しており、日興が大石寺のどこに秘蔵していたのか触れていない、というのは、大石寺9世日有以前に「戒壇の大本尊」が大石寺に存在していなかったことを暗に認めている。それと堀日亨が、「新池抄聞書」を「富士日興上人詳伝」に収録したことを考え合わせれば、これも堀日亨が、「戒壇の大本尊」が大石寺9世日有の偽作であることを暗に認めている文と言えよう。しかしこれでは、都合が悪いと思ったのか、堀日亨より後の代の法主である大石寺66世細井日達法主は、こんなことを言っている。

「その大御本尊(戒壇の大本尊)を日興上人が大石寺の本堂に安置され、大聖人生身の御影は御影堂に安置せられましたが、その後、本山の陵夷により本堂・御影堂が一堂になり、戒壇の大御本尊は御影と共に安置されてあったようであります。しかしその後、御宝蔵が大きく造立せられてから大御本尊は御宝蔵にお移し申し、御影堂には日精上人の板本尊が安置せられたと思われます。それは延宝七年(1679)で寛永九年の御影堂建立より四十七年も後のことであります。ですから本堂即ち御影堂で戒壇堂でもあったのであります」(『大白蓮華』昭和471月号)

 

 

□「戒壇の大本尊」は「蔵」(大石寺宝蔵)の中に秘蔵する教義を発明した大石寺九世日有

 

細井日達法主は、日興が大石寺創建の時、「戒壇の大本尊」なる板本尊を「本堂」に、御影は「御影堂」に祀ったかのように言っているが、これは全くの大ウソである。日興の大石寺創建の時、大石寺9世日有の代以前の大石寺に「本堂」なる堂宇も、「御影堂」も存在していなかった。

大石寺ではじめて「御影堂」を創建したのは、大石寺9世日有よりも後の代の法主である大石寺12世日鎮である。したがって、『大白蓮華』昭和471月号に掲載されている細井日達法主の説法の内容たるや、ひどいデタラメであり、大ウソである。大石寺9世日有の代以前には、「戒壇の大本尊」は存在していなかったのだから、ごまかすか、ウソをつくしかないのだろう。大石寺66世法主・細井日達が「戒壇大本尊」を蔵に秘蔵する教義を、次のように説法している。

「広宣流布を待ってはじめて本門寺を建立、戒壇の大御本尊を安置し奉って『事の戒壇』建立ということになるのでございます。それまでは『戒壇の御本尊』をおしまい申しかたく護る。先師方が客殿の後ろの奥深くに戒壇の御本尊をお護り申すということを仰せられております。わが本山の先師方のこれが心でございまして、客殿の後ろに奥深く『戒壇の御本尊』を蔵し奉る、しまっておく、広宣流布の暁までは、しまっておくということになる。・・・・『戒壇の御本尊』はどこまでも蔵の中にあるのでございます。誰がみても今の奉安殿は外から見ても立派である。しかし『戒壇の御本尊』様のまわりをご覧なさい。石である。石で囲ってあるきりで、蔵ではないか。そこに何を供えてあるか。・・・シキミの花を供えるのが本意であります。奉安殿の中にシキミがありますか。ないじゃあないですか・・・そのシキミは客殿にあります。客殿に、みなさまが(丑寅)勤行において、二回目に唱える奉安殿に向かって遥拝する、あそこにシキミがある。だからこれを以て推していくと、『戒壇の御本尊』はどこまでも蔵の中にしまってある。蔵してあって拝むのは、外から遥拝する。ただ特別に内拝のために(戒壇の御本尊の)そばまで行って拝めるというのである。だから今度はその『戒壇の御本尊』のお出ましを願って、はじめてそこに『本門寺の戒壇』建立ということが出来上がるのでございます。お出ましは先程から申すところの、いわゆる広宣流布の暁である」(日蓮正宗機関誌『大日蓮』163号)

しかしこれからすると、日蓮正宗大石寺九世法主・日有が大石寺「宝蔵」を創建する以前には、大石寺には蔵という建造物はなかった。細井日達は、「蔵の中に秘蔵する」という教義が、日蓮・日興以来の伝統教義であるかのように言っているが、そもそも大石寺に蔵を創建したのが大石寺九世日有であるからして、「蔵に秘蔵する」という教義を発明したのも大石寺9世日有に他ならない。

もっとも「秘蔵」と言っているが、もともと大石寺9世日有は、人目につかずに、まさに秘密裏に「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作するために、最初からこの大石寺「宝蔵」なる土蔵造りの蔵を創建したということだ。大石寺9世日有が「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作したからこそ、大石寺宝蔵が必要になったので大石寺9世日有が大石寺に宝蔵を創建したに他ならない。つまり大石寺9世日有が宝蔵・客殿を大石寺に創建したことが、大石寺9世日有が「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作した「証拠」ということである。

御宝蔵4
 

(大石寺宝蔵)

御宝蔵3
 

(写真集『日蓮正宗法華講連合会第27回総会』に載っている大石寺宝蔵)

戒壇大本尊3
 

(大石寺の『戒壇の大本尊』)

9世日有4(諸記録)
 

(能勢順道氏の著書『諸記録』に載っている大石寺9世日有の肖像画)

戒壇大本尊2大正4年由井本2
 

(大正時代に大石寺御影堂で行われていた「戒壇の大本尊」開扉の写真)