■検証24・日蓮正宗大石寺に「日蓮の遺骨・日蓮の墓」は存在しない24

 

□大石寺の自称「日蓮遺骨・日蓮廟墓」を偽作したのは大石寺9世日有である3

 

さて大石寺の自称「日蓮遺骨・日蓮廟墓」が大石寺9世日有の偽作であることを示すもうひとつの証拠がある。それは大石寺9世日有の説法をまとめたものと伝承する「日有化儀抄」の中にある下記の文である。

「一、卒都婆を立つる時は大塔中にて十如是自我偈を読みて、さて彼の仏を立つる所にて、又十如是自我偈を読むべし、是れ又事の一念三千の化儀を表するか。」(日有化儀抄p50)

この文について大石寺66世細井日達は、次のように解説を加えている。

「卒都婆とは塔婆のことで、地水火風空の五輪の塔を表す。大塔中とは、総本山歴代(法主)墓地の中央の宗祖大聖人並びに二祖(日興)及び三祖(日目)の大墓碑を指す。彼の仏を立つる所とは、塔婆建立回向する、その墓をいう。亡者の追福作善のため、塔婆を建てて回向する時は、塔婆を一度、(日蓮)大聖人の墓碑の所に建てて、方便品、(寿量品の)自我偈、唱題して、一度回向してから、その追善すべき亡者の墓へ、その塔婆を建立して、方便品、(寿量品の)自我偈、唱題して追善供養するのであります。これが師弟相対した事の一念三千の化儀を表したことになるのであります」(『日有化儀抄(略解)p5152)

これもまた注目すべき文である。「日有化儀抄37条」の「大塔中」とは、大石寺66世細井日達は、「総本山歴代(法主)墓地の中央の宗祖大聖人並びに二祖(日興)及び三祖(日目)の大墓碑を指す」と言っている。歴史上はじめて大石寺の日蓮の「墓所」があることが記載されている文献は、大石寺9世日有が偽作した「日興跡条条事」であるということは、すでに論述している。その文とは

「一、大石の寺は御堂と云ひ、墓所と云ひ、日目之を管領し修理を加え、勤行を致し広宣流布を待つべきなり」(大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』8p17・『御書全集』p1883より)

である。これと同じく大石寺9世日有が説いた説法を筆録した文献とされる「日有化儀抄」の「37条」に「大塔中」との言葉で、大石寺の日蓮の「墓所」が登場する。したがって、「日有化儀抄37条」の「大塔中」も、歴史上はじめて大石寺の日蓮の「墓所」があることが記載されている言葉ということになる。これらの文献からして、大石寺には、大石寺9世日有の代になって、はじめて自称「日蓮の遺骨」「日蓮の墓」が登場する。このように大石寺の自称「日蓮の遺骨」「日蓮の墓」の偽作者を解明していっても、大石寺には大石寺9世日有の代以前に、自称「日蓮の遺骨」「日蓮の墓」が存在しないことが明らかで、大石寺の自称「日蓮の遺骨」「日蓮の墓」を偽作したのは、日蓮正宗大石寺9世法主・日有だという結論になるのである。

三師塔2
 

(大石寺の自称「日蓮廟墓」)

大石寺奉安堂3
 

(奉安堂「戒壇の大本尊」の隣に祀られている自称「日蓮遺骨」)

9世日有4(諸記録)
 

(能勢順道氏の著書『諸記録』に載っている大石寺9世日有の肖像画)

奉安殿御開扉5
 

(創価学会『折伏大進撃』時代の大石寺奉安殿の御開扉)

戒壇大本尊3
 

(大石寺の『戒壇の大本尊』)

66世日達16・1960創価学会本部総会
 

(大石寺66世細井日達)