□「日蓮正宗系」カルト団体はケンカ・抗争が大好きでケンカ・抗争によって肥大化していった

 

この悪弊・弊害は、今さら言うまでもないくらいに有名な日蓮正宗・創価学会・顕正会等「日蓮正宗系」カルト団体からカルト信者に至るまで、広く共通する悪弊・弊害である。かつて「アンチ日蓮正宗」コミュにも、世間の良識ある方から、「日蓮正宗系」カルト信者はケンカが大好きであるという苦情が来ていた。

「喧嘩好きの日蓮正宗信徒には困ったもんです。去年の9月なんか、暴走しまくりの日蓮正宗信徒が居て、携帯電話のピコピコで、やれ法論だ、やれ帰依だと、さんざんやりたい放題の勧誘行為をやった日蓮正宗信徒も居ましたから。」(アンチ日蓮正宗コミュ)

まず日蓮正宗・創価学会・顕正会・正信会等「日蓮正宗系」カルト団体が、ケンカや抗争が大好きな宗教団体であり、人の道を説き、平和を説くべき宗教団体として、あるまじきカルト宗教である。そもそも日蓮正宗・創価学会・顕正会・正信会等「日蓮正宗系」カルト団体そのものが、ケンカや抗争によって肥大化していった教団だということを見逃すべきではない。顕正会は、日蓮正宗信徒団体・日蓮正宗妙信講を名乗っていた時代から、日蓮正宗、創価学会、法華講とのトラブルを多数抱えていた。1970年代に入ってからは、大石寺に建立された正本堂が「日蓮遺命の戒壇か否か」という正本堂意義付け問題により、日蓮正宗、創価学会、妙信講の三つどもえの論争・抗争があり、妙信講首脳・浅井親子による大石寺66世細井日達法主脅迫事件や創価学会本部襲撃事件といった暴力事件までも起こしている。日蓮正宗は妙信講を1974(昭和49)8月に破門にしたが、妙信講はその後、顕正会と改名し、日蓮正宗vs顕正会、創価学会vs顕正会の抗争は今もつづいている。その抗争の中で、顕正会が100万会員を自称するところまで肥大化しているが、ここまで顕正会が肥大化したのは、日蓮正宗から破門されて以降、「日蓮正宗顕正会」だの「富士大石寺顕正会」と名乗るようになってからのことである。

法華講や正信会もまた「日蓮正宗系」カルト団体同士の抗争の中で生まれ、肥大化した教団である。1970年代に入ってから池田大作と大石寺66世細井日達の対立に端を発し、1970年代後半の日蓮正宗vs創価学会の「第1次宗創紛争」により、大量の創価学会員が創価学会を脱会して、その多くが日蓮正宗寺院の信徒になった。197080年代にかけて、創価学会を脱会して日蓮正宗寺院の信徒になりながら、未だ法華講にも入っていない人たちを「檀徒」とよんでいた。その「第1次宗創紛争」は1979(昭和54)53日の創価学会第40回本部総会に大石寺66世細井日達が臨席し、池田大作の総講頭・会長辞任を見届けて終結。その後、1979(昭和54)722日の大石寺66世細井日達死去・大石寺67世阿部日顕登座、1980(昭和55)46日の代替わり法要の阿部日顕説法で日蓮正宗と創価学会が再び和合路線を歩んでいく。これに反対する反創価学会急先鋒の僧侶が「正信会」を結成。日蓮正宗・創価学会vs正信会の抗争へと推移していく。

 

 

□法華講は先祖代々の信徒団体ではなく実質的に創価学会を脱会した信徒を集めた団体である

 

正信会破門以降、正信会は衰退したという見解は間違いで、少なくとも1980年代のころは、創価学会員を脱会させて正信会寺院信徒にする流れがつづいており、正信会も勢力を拡大していた。この当時の正信会の布教活動は、197080年代にかけて頻発していた創価学会員の犯罪・事件・不祥事を責める作戦で、正信会は創価学会との抗争を有利に展開。現証や仏罰に弱い創価学会員の心の隙間につけ込み、創価学会員を脱会させ、正信会寺院信徒にしていた。正信会系檀徒新聞「継命」も、何度も創価学会員の不祥事追及の特集号を組んでいる。正信会も創価学会との抗争で勢力を拡大したのである。

この正信会の作戦をそっくりそのまま模倣して勢力拡大を謀っているのが1990年代の宗創戦争以降の日蓮正宗・法華講。なかんずく妙観講である。「第1次宗創紛争」により、大量の創価学会員が創価学会を脱会して、その多くが日蓮正宗寺院の信徒になった「檀徒」が、全てが正信会寺院檀徒になったのではない。大石寺側の末寺寺院の檀徒として残った人もかなりいて、日蓮正宗ではこれらの檀徒に法華講支部を結成させて法華講員としていった。1980年代のころ、大石寺側の日蓮正宗末寺寺院では、かなりの数の法華講支部が結成されているが、これらのほとんどは創価学会を脱会した檀徒によって結成された法華講支部である。

第二次世界大戦終戦後の創価学会「折伏大進撃」による教線拡大以前から存在していた法華講も確かに全国各地にあることはあるが、数としてはわずかなもの。実際は1980年代のころに創価学会を脱会した信者を集めて勢力を拡大した。これが第1次勢力拡大期で、19907月に大石寺大客殿前で4万人総会を行った。ただしこの時はまだ、日蓮正宗全末寺寺院に法華講支部が結成されていたわけではなかった。これが1990年代に第2次宗創紛争・宗創全面戦争がはじまると、再び創価学会を脱会して日蓮正宗寺院信徒になる人が続出。日蓮正宗ではこれらの人を法華講に入れて、日蓮正宗全末寺寺院に法華講支部を結成させた。よって法華講とは先祖代々の信徒の団体ではなく、実質的に創価学会を脱会した信徒を集めた団体である。法華講では信徒数がやれ30万だの50万だのと言っているが、それらの信徒の大半は、日蓮正宗vs創価学会戦争、日蓮正宗vs顕正会、日蓮正宗vs正信会の紛争、いわゆる「日蓮正宗系」内部のケンカ・抗争によって、伝統仏教の仮面によって集めた信徒である。

この「日蓮正宗系」内部のケンカ・抗争による信徒争奪戦には、日蓮正宗系独特の特徴がある。これはそもそも大石寺法主、池田大作、浅井親子、正信会僧侶らの内輪もめではじまったケンカ、抗争であるにもかかわらず、当の大石寺法主、池田大作、浅井親子、正信会僧侶らは対論も法論も何もせず、「それ、あっちの団体は間違っている」「堕地獄だ」とばかりに、何も知らない信徒に対して攻撃を仕掛ける。そして家族の中まで入り込み、家族の中まで日蓮正宗系紛争を持ち込ませる。そして家庭内で信者の取り合いをし、宗教紛争を勃発させている。これは布教でも何でもない、ただのケンカ・抗争であり、弱い者いじめである。弱者を救済すべき宗教が、逆に弱い者いじめの抗争を繰り返すとは、全く言語道断の所業であり、宗教法人として、あるまじき所行である。まさに彼ら「日蓮正宗系」がカルト宗教である証拠と言えよう。

柳沢喜惣次3
 

(創価学会を脱会した信徒を集めた法華講6万総会で演説する法華講連合会委員長・柳沢喜惣次氏)

1980山口法興住職罷免1
 

(日蓮正宗vs正信会紛争・東京目黒・妙真寺前・全国檀徒新聞『継命』より)

1981抗議登山・創価班が正信会入山阻止1
 

(日蓮正宗vs正信会紛争・1981年の正信会の大石寺抗議登山・全国檀徒新聞『継命』より)