■論破10・浄土真宗の仮面をかぶる富士門流執着軍団・日神(自称・拳骨和尚)の正体を暴く10

 

□仏眼寺本堂に阿弥陀如来像と吉野日神(智応)の曼荼羅を並んで祀っていた吉野日神(智応)

 

「アンチ日蓮正宗」管理人に、仏眼寺墓地購入要求を全面拒否された吉野日神(智応)は、顔を真っ赤にして、それはあたかも赤鬼の形相。見た感じとしては、秋田県の赤鬼の面「なまはげ」に、そっくりであった。完全に「なまはげ」と化した吉野日神(智応)は、「それなら、本堂の中に入れよ。本堂の中で、オレといっしょに題目を唱えて見せろよ。『桜千歳』が、題目をあげたら、全然、声変わりしていない、子どもの声だった。本堂でいっしょに題目を唱えて、声を聞いてみるぞ」…。

「アンチ日蓮正宗」管理人に、仏眼寺墓地購入要求を全面拒否されたことが、よほど面白くなかったのか、吉野日神(智応)は完全に感情むき出しになって、私を無理やりにでも仏眼寺本堂の中に招き入れようとした。「浄土真宗木辺派の寺院で題目(?)」…。またまた吉野日神(智応)の言動に不審点を感じ取ったが、姫路に来る事前に「吉野日神(智応)は突然、感情的になる時がある」との情報が入ってきていたので、「ははーん、やっぱりそうか」という感じ。吉野日神(智応)から「桜千歳」といっしょにされてしまったのは、私としてはかなり、しゃくにさわったが、せっかく5万円の旅費・宿泊費をかけて姫路まで来たわけだから、仏眼寺の本堂の中ぐらいは見てから帰ったほうがいいかな(?)。というわけで、消極的ながら本堂の中へ。ところが本堂の中に入ってビックリ。

本堂の須弥壇を見ると、阿弥陀如来像と吉野日神(智応)自身が「書写」した曼荼羅が並んで祀られていた。浄土真宗木辺派の本尊は、阿弥陀如来像だが、その阿弥陀如来像と肩を並べる形で、自分が書写した曼荼羅を祀っていた吉野日神(智応)。さらに本堂の畳の上には、吉野日神(智応)自身が「書写」した曼荼羅数十体が所狭しと並べられていた。それにしても阿弥陀如来像と吉野日神(智応)自身が「書写」した曼荼羅が並んで祀っていたのは、どういうことだこれは(?)。浄土真宗木辺派はいつから、吉野日神(智応)自身が「書写」した曼荼羅を本尊にしたのか。そんなバカなことをするはずがない。浄土真宗木辺派本山の錦織寺では、昔も今も吉野日神(智応)自身が「書写」した曼荼羅を本尊にした事実はない。錦織寺の堂宇には、吉野日神(智応)自身が「書写」した曼荼羅は祀られていない。

□浄土真宗木辺派()錦織寺

http://bukkyoshugakukenkyukai.doorblog.jp/archives/cat_1188482.html

ということは、吉野日神(智応)が自分の判断で、自分が書写した曼荼羅を、阿弥陀如来像を肩を並べる本尊として拝ませようとしていたということに他ならない。

なまはげ1
 

(感情むき出しになって顔を真っ赤にした吉野日神(智応)のそっくりさん・秋田県の赤鬼の面「なまはげ」・ユーチューブの映像より)

 

 

□浄土真宗木辺派寺院で日蓮正宗・創価学会の「ナン妙法蓮華経」を唱えた吉野日神(智応)

 

自分で図顕・書写した曼荼羅を本堂に祀って拝ませようとするのは、吉野日神(智応)がほとんど日蓮気取りか大石寺法主気取りになっているとしか考えられない所行である。しかも仏眼寺「住職」がどこにいるのかさっぱりわからない、住職不在の状態の仏眼寺で、住職不在を利用して、日蓮気取りか大石寺法主気取りで自分が書写した曼荼羅を祀って拝ませようとしている吉野日神(智応)。寺院本堂の本尊とは、その宗派、寺院の宗旨の根本であり、一切の中心のはずである。仏眼寺「住職」や浄土真宗木辺派本山の錦織寺門主が吉野日神(智応)が「書写」した曼荼羅を、阿弥陀如来像と並ぶ本尊にしてもよいと許可しているとは、とうてい思えない。ましてや「住職」ではない吉野日神(智応)が、仏眼寺本堂の本尊を自分の判断だけで、勝手に改変できる権限を持っているとも、到底思えない。つまり吉野日神(智応)は、住職不在の状態の仏眼寺で、住職不在を利用して、それこそ好き勝手放題、やりたい放題、わがまま勝手放題やっているとしか思えない。

しかも浄土真宗木辺派寺院の仏眼寺で、南無阿弥陀仏ではなく、南無妙法蓮華経を唱えさせようという吉野日神(智応)。この男は、一体何を考えているのか。というわけで題目三唱。

吉野日神(智応)は「題目」というから、私は日蓮宗の身延山久遠寺や池上本門寺等々の寺院で僧侶や参詣者が唱えている「なむみょうほうれんげきょう」を三唱した。ところが、導師席の吉野日神(智応)は、日蓮正宗や創価学会、顕正会の「日蓮正宗系」カルト宗教が唱えている「ナンみょうほうれんげきょう」を唱えた。導師席の吉野日神(智応)と本堂に座っていた私が唱えた「題目」が違っていて、全くかみあわなかったという珍現象が勃発。それでなくとも、阿弥陀如来像が祀られている浄土真宗木辺派の寺院で、題目を唱えるということからして、すでに珍現象と言う以外にない。

題目がかみあわなかったからか、導師席でキョトンとしている吉野日神(智応)。本堂に入ってから、珍現象の連続に、思わず私は「ここは八宗兼学の寺院ですか。それとも無宗派の寺院ですか」と吉野日神(智応)に尋ねた。八宗兼学(はっしゅうけんがく)とは、天台宗、真言宗、日蓮宗、曹洞宗、臨済宗、浄土宗、浄土真宗、時宗の八宗の宗派の教義を併せて学ぶこと。無宗派の寺院とは、長野善光寺や宇治平等院のように、所属宗派が定まっておらず、浄土宗と天台宗の共同管理におかれている寺院のことを言う。

□長野・善光寺

http://bukkyoshugakukenkyukai.doorblog.jp/archives/cat_1130662.html

□宇治・平等院

http://bukkyoshugakukenkyukai.doorblog.jp/archives/cat_659187.html

本尊といい題目といい、吉野日神(智応)の言動があまりにも不審でメチャクチャであるため、私がかなり皮肉を込めて質問したのだったが、私の皮肉な質問に吉野日神(智応)は真っ赤な顔をして絶句。それにしても浄土真宗木辺派に転宗してもなお、日蓮正宗や創価学会、顕正会の「日蓮正宗系」カルト宗教が唱えている「ナンみょうほうれんげきょう」を唱えたのだから、今も尚、この男が「富士門流執着軍団」の一員である、明確な証拠と言えよう。

吉野寺院1
 

(吉野日神(智応)が住む姫路・仏眼寺)