■検証3・日蓮正宗大石寺に「日蓮の御肉牙・歯骨」は存在しない3

 

□御肉牙が大石寺に存在していれば中世の霊宝虫払い法要で開封しないはずは絶対にない

 

1573(元亀4)819日、大石寺法主として登座間もない大石寺14世日主が、当時の日蓮正宗大石寺が所蔵していた重宝?なるものを、虫干し・風通しした、いわゆる「霊宝虫払い」をした記録が残っている。大石寺14世日主は、当時、今の満年齢で18才。数え年の19才の青年法主で、前法主で大石寺13世日院(46)が隠居として、控えていた。当時の現職法主・大石寺14世日主と前法主の隠居・大石寺13世日院の連名の署名が入っている「霊宝虫払い記録」には、次のように記している。

「御筆(大聖人)数十二通、御筆の大本尊一包同く三包。」

(1573819日の「霊宝虫払い記録」---日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨が編纂した「富士宗学要集」第843ページ)

この中に日蓮の本尊や遺文(御書)を「虫払い」したという記載はあるが、「日蓮の御肉牙」を「虫払い」したという記載はない。この記録は、当時の日蓮正宗大石寺が「日蓮の御肉牙」なるものを所蔵していなかったという証拠であり、つまり現在の日蓮正宗大石寺が所蔵していると自称している「日蓮の御肉牙」なるものは、この時代以降に何者かが偽作した真っ赤なニセものということである。日蓮正宗大石寺の「お虫払い法要」について、公式に次のように述べている。

「このお虫払会は、遠く第二祖日興上人の法宝伝持のご精神に起源を求めることができましょうが、残念ながら文献としては残されていません。折々お弟子方を督励しては虫払をされたことと思います。記録にとどめられているものとしては、第十四世日主上人の時代(十六世紀)に、七月あるいは八月におこなったようすを記した正文書がありますが、これらが古い方といえましょう。そののち江戸時代以降は大体六月におこなわれてきたようです。しかし、当時は三年おき、または一年おきでした。現在のように、毎年四月に奉修するようになったのは大正時代になってからのことです」

御虫払い法要

http://homepage2.nifty.com/honshoji/activities/omushibarai/omushibarai.htm

つまり1573(元亀4)819日の日主の虫払い記録は、日蓮正宗の「虫払い法要」の記録としては、現在の日蓮正宗大石寺に残る最古のものであると述べている。さらに注目すべき点は、この1573(元亀4)819日の大石寺14世日主の虫払いは、大石寺14世日主が富士大石寺の法主に登座した直後の虫払い法要の記録であるということ。現在の日蓮正宗大石寺の法主の代替の直後の虫払い法要では、「日蓮の御肉牙」なるものを参詣した信者の前で開封し、内拝させている。これは長年の大石寺の伝統行事として定着しているものである。これは現代での大石寺65世堀米日淳法主、大石寺66世細井日達法主、大石寺67世阿部日顕法主、大石寺68世早瀬日如法主のいずれの法主の代替わり法要でも、「日蓮の御肉牙」なるものを参詣した信者の前で開封し、内拝させている。

 

 

ところが大石寺14世日主の登座した直後の虫払い法要では、「日蓮の御肉牙」なるものを「虫払い」したという記録がないということは、「日蓮の御肉牙」なるものを当時の日蓮正宗大石寺が所蔵していなかったということに他ならない。

当時の日蓮正宗大石寺が所蔵していれば、絶対に大石寺14世日主は開封し、虫払いしていたはずである。したがって、1573年の大石寺14世日主の霊宝虫払い記録は、「日蓮の御肉牙」が後世の誰かが偽作したニセものである証拠ということになる。日蓮正宗大石寺も、こういう後世の誰かが偽作したニセものばかりを信者の前に並び立てて、信者から供養金を集めるなどというあくどい詐欺的金集めを直ちに中止すべきである。

霊宝虫払大法会19


霊宝虫払大法会16

霊宝虫払大法会17
 

(現代の大石寺「霊宝虫払い大法会」の様子)

11聖教


11聖教
 

(1981(昭和56)10月の大石寺・日蓮七百遠忌大法要の正本堂御開扉の時に行われた「御正骨内拝」の儀式・1981(昭和56)1011日付け聖教新聞に掲載された写真)