■論破11・浄土真宗の仮面をかぶる富士門流執着軍団・日神(自称・拳骨和尚)の正体を暴く11

 

□「日蓮曼荼羅は書の芸術」を自分の曼荼羅への褒め言葉と勘違いしていた吉野日神(智応)

 

しかし吉野日神(智応)は、浄土真宗木辺派の寺院・仏眼寺の阿弥陀如来像に肩を並べて、自分が書写した曼荼羅を祀り、仏眼寺本堂の畳の上に、吉野日神(智応)自身が「書写」した曼荼羅数十体を所狭しと並べ、さも自慢げに「それ見てくれ」と言わんばかりの吉野日神(智応)。つまりこれは、どこからどう見ても、誰がどう見ても、吉野日神(智応)は私に、自分の書写した曼荼羅を絶賛するコメントを要求しているとしか思えない。「アンチ日蓮正宗」管理人は、無宗派、無宗教であるので、十界曼荼羅を本尊とは考えていないし、曼荼羅書写する人物が偉いとも思っていない。だから私としては、眼前に何十体、何百体の曼荼羅を並べられても、ただ「…」だけ。それでなくても、吉野日神(智応)の常軌を逸した曼荼羅マニアぶりには、ため息が出るだけ。いつまでたっても「…」な感じで、自分の意に介した褒め言葉を言わない私に業を煮やしたのか、次から次へと、庫裡の奥から、自分が書写した曼荼羅を本堂に持ってきて広げる吉野日神(智応)。私が褒め言葉を言うまで、「これでもか。これでもか」とばかりに、本堂に自分が書写した曼荼羅を持ってくる吉野日神(智応)。私としては、まさに口あんぐりで、ただただ「…」と、ため息が出るだけ。吉野日神(智応)のほうは、よほど業を煮やしたのか、今度は日蓮直筆曼荼羅のレプリカの掛け軸を持ってきた。

そこで私は一言。「これは書の芸術ですね」。これは、日蓮直筆の曼荼羅が書の芸術だという意味で、吉野日神(智応)が「書写」した曼荼羅が書の芸術だという意味ではない。これは、かつて私が「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」に書いたことだが、「立正安国会」発行の「日蓮御本尊集」等に収録されている日蓮真筆本尊に見られる「書の芸術性」が、「戒壇の大本尊」には見えない。「立正安国会」発行の「日蓮御本尊集」等に収録されている日蓮真筆本尊には、見事なくらいの「書の芸術性」が見てとれる。大石寺の「戒壇の大本尊」は、「書の芸術性」どころではない。板本尊の相が実に歪に見える。というか歪んだ相に見える。だから普通の人がこの「戒壇の大本尊」を直接見れば、「こんな本尊が日蓮真筆のはずがない」と思うはずだ、という主旨である。

□「戒壇大本尊は後世の偽作だ(226)~曼荼羅の相が歪み日蓮真筆本尊の「書の芸術性」が全くない大石寺の「戒壇の大本尊」」

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/20030158.html

日蓮直筆の曼荼羅が「書の芸術」だという意味は、日蓮以外の人物が書写した曼荼羅には、「書の芸術性」はないという意味である。もちろん、吉野日神(智応)が「書写」した曼荼羅に「書の芸術性」はない。又、日蓮直筆の曼荼羅が「書の芸術」だという意味には、日蓮という人物が純粋であったと推測されるが故に、カルト的な信仰に走ったのではないかという意味も含まれる。ところが吉野日神(智応)は、自分が書写した曼荼羅が「書の芸術」だと褒められたと、またまた勘違いを起こし、「無宗教の人は、曼荼羅を芸術作品と見るんですよね」などとノー天気なことを言う吉野日神(智応)。私が資料としてこれらの曼荼羅を写真撮影したところ、吉野日神(智応)は「曼荼羅本尊を触ったり、写真撮影できるくらいにならないと、ダメですわなー」などと、はしゃぐ吉野日神(智応)。次から次へと勘違いを起こす吉野日神(智応)の勘違い男ぶりには、私としては、全く呆れ果てて、言葉も出なかった。

本尊105-3
 

(吉野日神(智応)が仏眼寺本堂で見せびらかした日蓮直筆曼荼羅のレプリカ)

吉野曼荼羅1
 

(吉野日神(智応)が仏眼寺本堂で見せびらかした吉野日神(智応)自身が「書写」した曼荼羅)

 

 

□松本修明氏不在の姫路仏眼寺で松本修明氏に罵詈雑言を浴びせていた吉野日神(智応)

 

自分が書写した曼荼羅が「書の芸術」だと褒められたと勘違いした吉野日神(智応)は、これで気をよくしたのか、上機嫌になり、本堂に隣接する住職室に私を招き入れた。「オレの話しを聞いてくれ」という主旨のようである。吉野日神(智応)が自分が書写した曼荼羅が「書の芸術」だと褒められたと勘違いしたのは、当人の勝手であり、当人の責任だが、私としては、吉野日神(智応)が何か言いたいことがあるというので、吉野日神(智応)の話しを今回は黙って聞くことにした。ただし、寺院宿泊は拒否する、吉野日神(智応)の車の出迎えは拒否する、墓地購入は拒否するといった「北風作戦」の連続では、吉野日神(智応)がカラに閉じこもって出てこなくなってしまう可能性がある。せっかく旅費をかけて姫路まで来ても、それではしょうがない。ここは少しは「太陽作戦」で、吉野日神(智応)の話を聞くことにした。吉野日神(智応)が最初に口にしたのは、「hideさんは、東京に住んでいて、松本(大津蓮華寺住職・松本修明氏のこと)の蓮華寺東京別院の近所なのではないか」「hideさんは、松本に会ったことがあるんじゃないか」などと、奇妙な勘ぐりを入れてきた。私と松本修明氏が面識があっては、困る様子である。私としては、特段、松本修明氏と人間的な繋がりを持ちたいとは考えていないが、それにしても吉野日神(智応)の奇妙な勘ぐり、探りがやけに気になった。この「謎」めいた吉野日神(智応)の不審言動のからくりも、あとでわかるのだが、吉野日神(智応)は松本修明氏のことや大津蓮華寺のことについて、私の前でウソ八百を言う腹づもりだったようで、そのために私と松本修明氏が面識があるのかどうか、探りを入れていたと考えられる。つまり、吉野日神(智応)のうそ八百がバレると困るからである。本堂に隣接する住職室で、吉野日神(智応)は話を始めたのだが、最初からこの男の話は、松本修明氏をはじめ、大津蓮華寺関係者、犀角独歩氏ら自分と仲が良くない人物から、「桜千歳」「松」「バカタレイヤ」「不動心」等々、自分の盟友に至るまで、ありとあらゆる人たちの罵詈雑言、誹謗中傷だけ。次から次へと罵詈雑言、罵倒する吉野日神(智応)。吉野日神(智応)が罵詈雑言、誹謗中傷を浴びせる第一の人物は、大津蓮華寺住職・松本修明氏。かつて吉野日神(智応)は、松本修明氏のことを「松本上人」と呼んでいたが、それが一転して「松本」と呼び捨てにし、あたかも東大寺南大門の金剛力士像のような形相で、松本修明氏不在の仏眼寺で、松本修明氏にありったけの罵詈雑言を浴びせる吉野日神(智応)。これもまた、私が驚き、呆れ果てた吉野日神(智応)の所行であった。

東大寺33南大門
 

(松本修明氏にありったけの罵詈雑言を浴びせる吉野日神(智応)のそっくりさん・東大寺南大門の金剛力士像)