■検証214・大石寺の「戒壇大本尊」が大石寺9世日有の偽作である16の証拠69
□「戒壇大本尊」大石寺9世日有偽作の証拠11・「戒壇大本尊」と「日興跡条条事」の偽作者は同一人である
日蓮正宗大石寺9世法主日有が「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作したとする証拠として第11に挙げなくてはならないのは、大石寺9世日有による「日興跡条条事の偽作」である。「戒壇の大本尊」を偽作した人物と「日興跡条条事」を偽作した人物は、同一人物であり、その偽作した人物とは大石寺9世日有である。大石寺9世日有は、「日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊、日目に之を相伝する。本門寺に懸け奉るべし」 という、かの有名な「戒壇の大本尊」なる板本尊が、さも大石寺開祖・日興の代から存在していたかのように偽装する「日興跡条条事」なる文書を偽作した張本人である。
この「日興跡条条事」第二条の文からして、大石寺9世日有は「戒壇の大本尊」なる板本尊が「日蓮真造である」という文証にして、それが日蓮、日興、日目と相伝されていたという文証にする意図が読み取れる。 「日興跡条条事」の偽作した者=「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作した者ということ。大石寺9世日有が「日興跡条条事」を偽作したことが、「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作したことを証する証拠ということだ。
「日興跡条条事」偽作のポイント・検証点を具体的に列記してみると
■「本門寺建立の時は新田卿阿闍梨日目を座主として」という「日興跡条条事」第一条の文からして、「日興跡条条事」の偽作者は、「日興の正統な後継者は、日代ではなく日目である」ということを位置づける目的ということである。
■「日興跡条条事」第三条の文からして、偽作者は、「日興門流の総本山は、大石寺である」 ということを宣言している。つまり偽作した人物は、日蓮正宗大石寺の歴代法主の中の誰かだ。
■「勤行を致し」という第三条の文にある「勤行」とは、日蓮正宗では「丑寅勤行」のことだ、と言っていることからして、偽作者は、大石寺の客殿を創建して、丑寅勤行をはじめた人物と同一人だ。
■堀日亨が「正本」と鑑定した第二条の文には、「弘安五年の御下文」という文が入っているが、偽作者は、実際に京都天奏の旅に出て上洛した経験があると考えられる。つまり、「日興跡条条事」の偽作者は、日道以後の大石寺歴代法主の中で、実際に京都天奏の経験がある人物。
■「日興跡条条事」第二条の文の「授与之」を「相伝之」と上書きしていることからして、日蓮正宗大石寺歴代法主の中でも、日道以後の法主であることがわかる。「日興跡条条事」の偽作者は、第二条の「授与」を「相伝」と上書きすることによって、「大石寺歴代法主=日目」という教義を発明した。 つまり大石寺客殿の大導師席を日目の座であると称して、その大導師席に座る法主は全員が日目であると定義づけた。
大石寺歴代法主は全員、日目であると定義づけ、「日興跡条条事」の「授与」を「相伝」と上書きすることによって、日目以降の法主の代替にともなう「本門戒壇の大御本尊」なる名前の板本尊の授与書を不要にしてしまったということである。 つまり、これらのことから「日興跡条条事」の偽作者は、客殿を創建して客殿の大導師席を日目の座であると称し、その大導師席に座る法主は全員が日目であると定義づけた人物。。これらの条件にピタリと符合する人物は、大石寺9世日有ただ一人しかいない
「日興跡条条事」が、日興とは全く無関係の文書であり、大石寺9世日有がデッチ上げた教義であることは、別トピックに詳しく論述しているので、そちらを参照せられたい。
□大石寺の『日興跡条条事』は9世日有の偽作だ
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_193002.html
(昭和55年4月9日付け聖教新聞に掲載されている『日興跡条条事』)
(能勢順道氏の著書『諸記録』に載っている大石寺9世日有の肖像画)
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