■検証226・大石寺の「戒壇大本尊」が大石寺9世日有の偽作である16の証拠81

 

1493(明応2)年・北山本門寺六代貫首・日浄「富士山本門寺文書集日浄記」の文

 

大石寺9世日有が「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作したとする証拠として、最後の第16に挙げなくてはならないのは、「富士山本門寺文書集日浄記」である。大石寺9世日有が、「戒壇の大本尊」なる板本尊を、日蓮真筆の本懐の本尊であるなどと言って偽作したことを、公然と告発して文献に書きとどめた人物がいる。それは大石寺と同じ日興門流・富士門流の本山寺院である、北山本門寺の第6代貫首・日浄(?1493)で、この日浄という人物は、大石寺9世日有とほぼ同じ時代を生きた人物である。「富士山本門寺文書集日浄記」の文とは下記の文である。

「当山第六世日浄上人伝に云く『大石寺日有云く、重須は生御影堂正意、大石寺は本堂正意也。故に国主本門の正法を立てらるる時は此の板本尊則ち本門戒壇の本尊と云々』

「日有、開山の本懐に背き、未聞未見の板本尊を彫刻し、猶己義荘厳の偽書を造る。…もし、日有の誑惑世間に流布せば、興門の道俗共に無間に堕ち、将来悲しむべし云々」

(「大石寺誑惑顕本書」p6p7

日浄記1


----日有は、開山・日興上人の本懐の精神に背き、今までに見たことも、聞いたこともない、板本尊を彫刻した。その上に、大石寺一門と自分の身を粉飾し、飾りたてるために、「日興跡条条事」という偽書と、「日目譲り状」という偽書を作製した。もしこの日有の誑惑(たぶらかし)が、一般世間に広まってしまうようなことになってしまったら、日興門流の僧侶や信者は、無間地獄に堕ちてしまい、将来、悲しむべきことになってしまうだろう。------

北山本門寺六代日浄は死の直前になって「日有は未聞未見の板本尊を彫刻・造立した」「日有は偽作した板本尊が国主が本門の正法に帰依したときの『本門戒壇の本尊』だと言っている」と厳しく非難する文書を書き残した。開祖日興の時代以来、大石寺と北山本門寺は「刎頸の友」の蜜月関係だったのだが、大石寺9世日有の「戒壇の大本尊」なる板本尊偽作、北山本門寺六代日浄日浄の日有非難以来、大石寺と北山本門寺の関係は決裂し、敵対関係になっている。北山本門寺6代貫首・日浄が大石寺9世日有を非難する文を載せている「大石寺誑惑顕本書」という文献は、明治維新直前の幕末のころ、北山本門寺33代貫首・日信が著わした著書とされている。

日蓮正宗・創価学会の二重スパイ疑惑で有名な自称・宗教ジャーナリスト・大木道惠氏は、この「大石寺誑惑顕本書」の正筆・写本共に北山本門寺に現存せず、転写本が日蓮正宗大石寺、京都要法寺等に現存していることから、この文献の存在そのものに疑義を呈している。

古文書において、正筆が存在せず転写本のみが存在する古文書は、特に珍しいことではなく、日蓮遺文関係では、「開目抄」「如説修行抄」「顕仏未来記」「頼基陳状」「三沢抄」「窪尼御前御返事」「伯耆殿御返事」等、みなそうなっている。これらの書状が「正筆が存在せず転写本のみが存在する」という理由だけで、日蓮遺文としての存在そのものに疑義を唱える学者は皆無であり、上記の遺文は、立正大学日蓮教学研究所編纂「日蓮聖人遺文」全集にも、大石寺編纂の「日蓮大聖人御書全集」にも、掲載されている。

 

 

□「北山本門寺日浄記」を否定しようとする「富士門流執着軍団」の者たちの妄説は誤りである

 

「正筆が存在せず転写本のみが存在する」という理由だけで日浄記を載せる「大石寺誑惑顕本書」の文献の存在そのものに疑義を唱えるというのは、浅識・浅学の極みというべきである。北山本門寺の日有非難、日蓮正宗大石寺非難の論拠は、古くから「富士山本門寺・日浄記」の文を根拠とするものであり、明治初期に大石寺52世鈴木日霑・大石寺55世下山日布と、北山本門寺34代玉野日志との間の「霑志問答」においても、玉野日志がこの日浄記を引用して大石寺を非難する文献が、大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』に収録されている。この文献の存在に何ら異議を差し挟む余地などない。

さらに大石寺9世日有が「未聞未見の板本尊を彫刻」と非難する北山本門寺6代日浄の言が掲載されている「大石寺誑惑顕本書」という文献が作者不詳の文献だと非難する者が「富士門流執着軍団」にいるが、「大石寺誑惑顕本書」は明治維新直前の幕末のころ、北山本門寺33代日信が著わした著書であり、作者不詳の作文などではない。「大石寺誑惑顕本書」の正筆・写本共に北山本門寺に現存しないとされているが、転写本が大石寺、京都要法寺等に現存している。

「戒壇の大本尊」大石寺9世日有彫刻説は、『大石寺誑惑顕本書』が初出ではない。初出ということを言うのなら、「事の戒壇」という語句が歴史上はじめて富士門流の文献に出てくる「新池抄聞書」を以て初出と言うべきである。「新池抄聞書」と「大石寺誑惑顕本書」の日浄記を比較すると

「日有云く、また云く、大石は父の寺、重須は母の寺、父の大石は本尊堂、重須は御影堂、大石は本果妙、重須は本因妙、彼は勅願寺、此は祈願寺、彼は所開、此は能開、彼は所生、此は能生、即本因、本果、本国土妙の三妙合論の事の戒壇なり」(「新池抄聞書」・日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨の著書「富士日興上人詳伝・下」p84)

新池抄聞書1

新池抄聞書3


「当山第六世日浄上人伝に云く『大石寺日有云く 重須は生御影堂正意、大石寺は本堂正意也。故に国主本門の正法を立てらる時は此の板本尊則ち本門戒壇の本尊と云々』(「大石寺誑惑顕本書」p6)

二つの文献を比べてみると、内容が共通していることが明らかである。したがって、「大石寺誑惑顕本書」の日浄記に何ら異議を差し挟む余地はない。

さらに「富士門流執着軍団」の者は「大石寺誑惑顕本書」の内容について、

「ここにおける偽作論は主に彫刻に係ることで「未聞未見」の、つまりは大石寺秘蔵の紙幅漫荼羅本尊を板に貼り彫ってしまった大石寺9代日有の咎を責めるというものである。その意味では原本となった漫荼羅の真贋を問うものではなかった」と言っているが、そんなことは全く書いていない。

「富士門流執着軍団」は、なんとしても北山本門寺日浄記の文を否定したいようだが、全て日浄記否定の前提に立って論理を組み立てようとしていることが明らかであり、まさにこじつけと虚言に充ち満ちている。したがって、この日浄記の文も、大石寺9世日有による「戒壇の大本尊」偽作の文献的証拠と位置づけられるものである。

北山本門寺39仁王門



(北山本門寺)

9世日有4(諸記録)
 

(能勢順道氏の著書『諸記録』に載っている大石寺9世日有の肖像画)

戒壇大本尊3
 

(大石寺『戒壇の大本尊』)