■検証41・大石寺に「大石寺開山・二祖日興の正墓」は存在しない3

 

1982(昭和57)年・日興六百五十遠忌大法要で日興「墓参」を宣伝する大石寺の欺瞞を斬る

 

日蓮正宗大石寺には、日興の遺骨はなく、現在も「日興の墓」「日興の正墓」は存在していない。

ところが日蓮正宗は、大石寺墓苑にある日蓮・日興・日目の「三師塔」を「日蓮の正墓」「日興の墓」だと言って、日蓮正宗の信者を欺瞞している証拠がある。それは、まだ日蓮正宗と創価学会が和合路線を歩んでいた「宗創和合時代」の昭和57(1982)3月に大石寺で行われた「日興六百五十遠忌慶讃大法要」で、日興の墓参が行われたことを報道する昭和57(1982)39日付け聖教新聞である。さてその聖教新聞には、こんなことが書いてある。

「御法主上人猊下は大石寺墓苑に御出仕され、三師大塔で御廟参の儀が執り行われた。

これには藤本栄道総監、早瀬日慈重役、太田慈晁宗会議長をはじめとする各御僧侶方が列席。また名誉総講頭の池田名誉会長、大講頭の森田理事長、和泉・辻副会長、阿部唯七郎法華講連合会委員長、並びに学会、法華講の代表が参列した。

御廟参は、御法主上人の大導師のもと、まず中央大塔で読経・唱題が厳粛に進められ、列席の御僧侶方、居士衣を着した名誉会長ら参列者が相次いで焼香。ひきつづき、西大塔、東大塔で御墓参の儀が執り行われ、報恩感謝申し上げた。」

(昭和56(1981)1017日付け聖教新聞)

この記事の見出しは

「厳かに御廟参の儀」

となっていて、墓参ではなく「廟参」となっているが、記事の中を読むと「御廟参」と「御墓参」の語句が入り交じっている。「廟」とは、辞書によれば

「(宗教施設) 死者を祀る宗教施設。特に各親族集団において祖先を祀るものをいう(仏壇など)。霊廟。祖廟。」(Feペディア)

「1 祖先・先人の霊を祭る建物。おたまや。「香椎(かしい)―」「レーニン―」2 神社。社(やしろ)。祠(ほこら)。3 王宮の正殿。東西に庇(ひさし)のある建物で、政治を行う所」

(大辞泉国語辞書の検索結果)

となっていて、「廟参だから、墓参ではない」という言い訳が、一見成り立つように見えなくもない。しかしこれは、大石寺の悪質なごまかしと欺瞞のからくりがあるのである。

 

 

□中央大塔「廟参」を「日蓮・日興・日目墓」の「墓参」に見せかけて欺瞞する日蓮正宗

 

聖教新聞の文面には「廟参」と書いてあっても、日興六百五十遠忌大法要の最終日の大石寺墓苑への「廟参の儀」を、あたかも日興正墓へ墓参の儀を行っているかのように、信者に見せかけようとする欺瞞のパフォーマンスであることは明らかである。

大石寺法主が本当に日興の正墓に墓参すると言うならば、北山本門寺の日興の正墓に墓参すべきだと思うがどうだろうか。

日興墓参1
 

(大石寺「日興墓参」を報じる昭和5739日付け聖教新聞)

焼香する日顕と池田大作1
 

(大石寺67世日顕と居士衣を着た池田大作の焼香を報じる昭和5739日付け聖教新聞)

歓談する日顕と池田大作1
 

(「日興六百五十遠忌慶讃大法要」終了後の大石寺書院の宴会で乾杯して歓談する大石寺67世日顕と池田大作を報じる昭和5739日付け聖教新聞)