■検証110・「富士門流執着軍団」や東佑介氏らの「百六箇抄」京都要法寺偽作説は誤りである3
□「百六箇抄」の「日興嫡嫡相承の曼荼羅の解釈」を論拠とした京都要法寺偽作説は誤りである
「百六箇抄」要法寺偽作説を唱えている大石寺・富士門流研究家の東佑介氏は、「百六箇抄」の
「日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべきなり」
(日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨編纂「富士宗学要集」1巻p21)
の「日興嫡嫡相承の曼荼羅」とは、大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊のことではなく、日蓮が1272(文永9)年正月元日に図顕したと京都要法寺門流が自称している「称徳符法の本尊」、ないしは、日蓮が1276(建治2)年正月元日に図顕したと要法寺門流が自称している「符法の曼荼羅」であるとしている。ただし東佑介氏の「日興嫡嫡相承の曼荼羅・称徳符法の本尊説」は、
「後加文は尊門僧によってなされたものであるから、『日興嫡嫡相承の曼荼羅』とは、本門戒壇の大御本尊をさすものではなく…「称徳符法の本尊」「符法の曼荼羅」をさすものと考えるのが妥当である」(東佑介氏の著書『大石寺教学の研究』p23~24)
と書いているように、「百六箇抄」は日尊門流による偽作なのだから、「日興嫡嫡相承の曼荼羅」とは、大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊のことではなく、京都要法寺の「称徳符法の本尊」「符法の曼荼羅」のことだ、という、いわば自動推論により結論を導き出しているのであって、何らかの証拠を示して「日興嫡嫡相承の曼荼羅・称徳符法の本尊説」を展開しているわけではない。
しかし、「百六箇抄」の偽作者が日尊門流ではなく、大石寺9世日有だと言うことになると、大石寺9世日有が京都要法寺の「称徳符法の本尊」「符法の曼荼羅」を想定して、
「三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり」
「日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべきなり」
と書くわけがなく、これは大石寺9世日有が偽作した大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊のことであることは明白である。したがって「百六箇抄」の偽作者が大石寺9世日有であることが明らかになったことによって、東佑介氏の自動推論は、不成立ということになる。
もっと言うと、「百六箇抄」の「三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり」とは、大石寺9世日有が偽作した独自教義である「事の戒壇」である。
□大石寺9世日有偽作の証拠・事の戒壇・本門寺本堂・本門寺戒壇
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_1150643.html
□大石寺9世日有「百六箇抄」偽作の証拠・「本門寺本堂」
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_701479.html
「事の戒壇」義そのものは、大石寺9世日有独自の教義であり、日蓮・日興・日目の教学にもなければ、日尊門流の教学にもない。さらに「百六箇抄」には
「鎌倉殿より十万貫の御寄進有りしを縁と為して諸所を去り遁世の事・甲斐国三牧は日興墾志の故なり」(日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨編纂『富士宗学要集』1巻p22)
という、鎌倉幕府からの十万貫の寄進などという史実の捏造まで行って、日蓮にさも経済力があったかのような文まで見られる。つまり、「鎌倉殿より十万貫の御寄進」があったから、日蓮には「戒壇の大本尊」なる板本尊を造立できる経済力があった、という「戒壇の大本尊」日蓮造立を意図的にでっち上げる謀略文である。これらの証拠からしても、「日興嫡嫡相承の曼荼羅」とは、大石寺9世日有が偽作した「戒壇の大本尊」なる板本尊のことであることは明らかである。
□京都要法寺偽作・称徳符法の大本尊を論拠とした「百六箇抄京都要法寺偽作説」は成立しない
東佑介氏が「百六箇抄京都要法寺偽作説」の論拠としている京都要法寺の「称徳符法の大本尊」とは、一体いかなる曼荼羅本尊なのか。ここを検証して行く必要がある。大石寺59世堀日亨が編纂した『富士宗学要集』8巻によれば、要法寺に格蔵されている「称徳符法の曼荼羅」の顕示年月日は、「文永九年太才壬申正月元日」。授与書は「問答第一行戒智徳筆蹟符法沙門日興授与之」となっており、仏滅讃文は「仏滅度後二千二百二十余年之間 一閻浮提之内 未曾有之大曼荼羅也」となっている。授与書が日興に宛てられていることから、通称名は「称徳符法御本尊」と古来から言うようである。
(日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨編纂『富士宗学要集』8巻p207)
東佑介氏は自らが所蔵しているという「称徳符法本尊」の形木本尊の写真を著書で公開している他、ブログで東佑介氏はオスカー氏から入手したという図版も公開している。
(東佑介氏のブログより)
この「称徳符法の本尊」の最大の問題点は、これが本当に日蓮の直筆なのか、という点である。この本尊の諸尊勧請の曼荼羅の相は、文永十年七月八日の佐渡始顕本尊以降の相であり、さらに仏滅讃文が入っている本尊は、文永十一年七月の本尊以降である。文永九年に日蓮が図顕した本尊で、これだけの諸尊勧請の曼荼羅は、他に例がない。東佑介氏は、ブログ「京都要法寺所蔵『称徳附法漫荼羅』について」において
「『称徳附法漫荼羅』が日蓮聖人の御筆と認められるかというとそうは思われない。日蓮聖人は文永八年十月九日より御本尊を図顕されるのであるが、この時期の御本尊とは根本的に相違している。下記に文永九年の御本尊を掲げよう。典拠は『御本尊集』第二番である。安本No.2は文永九年六月十六日、つまり、『称徳附法漫荼羅』が図顕されたと伝わる五ヵ月後の御本尊である。にもかかわらず、安本No.2は『称徳附法漫荼羅』の如くになっていない。そもそも、文永初期の御本尊(~安本No.7)は①首題②釈迦多宝③不動愛染という特徴がある。けれども、『称徳附法漫荼羅』はこうした初期の御本尊の範疇に入らない。」と書いて、「称徳符法本尊」を偽筆と断じている。
http://blog.livedoor.jp/naohito_blog/archives/51073585.html
これに対して日蓮真筆説は、大石寺59世堀日亨で、自らが編纂した『富士宗学要集』8巻に、日蓮真筆本尊として所収している。東佑介氏が指摘しているように、曼荼羅の相について、数多くの疑義があるにもかかわらず、堀日亨が「真筆」としている根拠は、おそらく筆跡ではないかと思われる。形木本尊の写真で見る限り、この本尊の筆跡が日蓮のものに見えなくもない。
しかし筆跡が日蓮のものだと仮定しても、他の日蓮の本尊から模写した可能性もあるわけで、筆跡のみで真偽を判定することはできない。しかし現存する日蓮真筆本尊の中に、この「称徳符法本尊」の曼荼羅の図形と合致する本尊はない。
ちなみに、警察等の科学捜査では、東京高裁・平成12年10月26日判決がきっかけになり、それまで行われてきた「鑑定人による勘と経験に頼る伝統的筆跡鑑定法」と決別し、調査や実験データなどを利用する客観的な鑑定法へ移行している。そして現在では、近代統計学に裏付けされた客観的判断基準となる数学的な数値解析法へと進化して行っているという。
「筆跡鑑定」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%86%E8%B7%A1%E9%91%91%E5%AE%9A
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