■検証112・「富士門流執着軍団」や東佑介氏らの「百六箇抄」京都要法寺偽作説は誤りである5

 

□京都要法寺偽作・附法の曼荼羅を論拠とした「百六箇抄京都要法寺偽作説」は成立しない

 

「百六箇抄」要法寺偽作説を唱えている大石寺・富士門流研究家の東佑介氏は、「百六箇抄」の

「日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべきなり」

(日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨編纂「富士宗学要集」1p21)

の「日興嫡嫡相承の曼荼羅」とは、大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊のことではなく、日蓮が1272(文永9)年正月元日に図顕したと京都要法寺門流が自称している「称徳符法の本尊」、ないしは、日蓮が1276(建治2)年正月元日に図顕したと要法寺門流が自称している「符法の曼荼羅」であるとしている。東佑介氏は著書『大石寺教学の研究』でこう書いている。

「後加文は尊門僧によってなされたものであるから、『日興嫡嫡相承の曼荼羅』とは、本門戒壇の大御本尊をさすものではなく…「称徳符法の本尊」「符法の曼荼羅」をさすものと考えるのが妥当である」(東佑介氏の著書『大石寺教学の研究』p2324)

要法寺偽作説1
 

要法寺偽作説2

京都要法寺には、「称徳符法の曼荼羅」の他にも、「附法の曼荼羅」「付法第一の本尊」「大日本国護衛の本尊」といった、謎めいた本尊が格蔵されている。中でも「建治二年(1276)正月元日」の日付がある「附法の曼荼羅」は、要法寺では日蓮から日興への「血脈付法の真印」と位置付けられている本尊ということである。これについては、富谷日震の著書『日興上人正伝』において、

「(三)付法の曼荼羅

建治二年(一二七六)正月元日、本尊を図し重ねて師に賜う。脇書に云く、付法沙門日興授与之 称徳付法の曼荼羅と共に両幅三元の本尊と称し奉る、これ血脈付法の真印として日尊上人相伝し、これまた京都・要法寺に蔵す。」(『日興上人正伝』p31

と書いている。「血脈付法の真印」という位置づけは、ここから来るようである。

「附法の曼荼羅」の曼荼羅の相については、かつて要法寺機関紙『要法』406号の2面に載ったという「附法の曼荼羅」の写真を、東佑介氏がブログに載せている。

「京都要法寺所蔵『附法漫荼羅』について」

http://blog.livedoor.jp/naohito_blog/search?q=%C9%ED%CB%A1%A4%CE%D2%D8%E8%B8%CD%E5

この写真を見る限り、曼荼羅の相はあまりにも不鮮明で、判読は不可能に近い。そういう不鮮明な曼荼羅の相から、東佑介氏は、強引に曼荼羅の相を判定して偽筆説を導き出そうとしているが、これはあまり説得力がない。「アンチ日蓮正宗」「仏教宗学研究会」も「建治二年(1276)正月元日」の日付がある「附法の曼荼羅」は偽筆であるという東佑介氏の説には賛意を表するが、東佑介氏の京都要法寺「附法の曼荼羅」偽筆説の組み立て方は、誤りであるという見解である。「アンチ日蓮正宗」「仏教宗学研究会」の「附法の曼荼羅」偽筆説は、以下の通りである。

 

 

□百六箇抄の事の戒壇義、日蓮本仏義、日目再誕説等の検証をしない東佑介氏の説は誤りだ

 

1 日蓮は弘安5(1282)10月、死去の直前に六老僧を決め、その序列を「不次第」としている。少なくとも、日蓮は日興一人に附属しておらず、日蓮の死後を六老僧に託している。

この史実からすれば、建治二年(1276)の段階で、日興一人を日蓮が法を附属するなどということをするばずがない。

2康永3(1344)68日、日尊が日印に授与した付弟状、要法寺14世日賙、15世日性、16世日恩、18世日陽の要法寺相承目録の中に、称徳符法の本尊も附法の曼荼羅も出てこない。

附法の曼荼羅が「血脈付法の真印」であるならば、康永3年の付弟状、要法寺相承目録の中に、称徳符法の本尊も附法の曼荼羅も出てこないというのは、明らかな矛盾である。

3 要法寺中興の祖・13世広蔵院日辰の著書「祖師伝」の日蓮伝、日興伝をはじめ、いずれの僧の伝記にも、称徳符法の本尊も附法の曼荼羅も全く出てこない。もし本当に「血脈付法の真印」という重大な曼荼羅が実在していたならば、日辰が書き残さないはずがない。

この三点において、京都要法寺の「附法の曼荼羅」が、京都要法寺13世日辰、14世日賙、15世日性、16世日恩、18世日陽より後の時代、江戸時代に入ってからの偽筆曼荼羅であることが明らかである。ということは、1400年代のころ(15世紀)にはすでに成立していて、京都要法寺13祖貫首・日辰も閲覧していた「百六箇抄」の「日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべきなり」の「日興嫡嫡相承の曼荼羅」とは京都要法寺の「附法の曼荼羅」なる曼荼羅のことではない、ということになる。つまり「百六箇抄」と京都要法寺の「附法の曼荼羅」なる曼荼羅は全くの無関係であるということになり、京都要法寺の「附法の曼荼羅」を論拠とした「百六箇抄京都要法寺偽作説」は成立しない。さてもう一点。東佑介氏は、称徳符法の本尊、附法の曼荼羅、「百六箇抄」のいずれも要法寺の偽筆としながらも、「百六箇抄」の

「三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり。」「日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべきなり。」の、富士山本門寺本堂の祀る「日興嫡嫡相承の曼荼羅」であるという説を、著書「京都要法寺の沿革と展開」や自らのブログにおいて展開している。しかしこの東佑介氏の説も誤りである。東佑介氏は、「百六箇抄」に展開している、「事の戒壇」義、日蓮本仏義、日興相承、日目再誕説、住本寺・要法寺の造仏等について何ら詳しい検証をせずに、「百六箇抄」の最後の付加文が、日大系であるから、「百六箇抄」全体が要法寺・日大系の偽作であるという、短絡的な説を述べているのだが、ここからして東佑介氏の説は誤りである。「百六箇抄」は、偽筆ではあるが、要法寺が偽作した文書ではなく、大石寺9世日有が偽作した文書であり、「日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべきなり」の「日興嫡嫡相承の曼荼羅」とは、京都要法寺の曼荼羅ではなく、大石寺の「戒壇の大本尊」のことを指している。

□大石寺9世日有偽作の証拠・事の戒壇・本門寺本堂・本門寺戒壇

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_1150643.html

□大石寺9世日有「百六箇抄」偽作の証拠・「本門寺本堂」

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_701479.html

要法寺37本堂
 

(京都要法寺本堂)

百六箇抄6(富士山本門寺本堂)


百六箇抄7(日興嫡嫡相承本堂正本尊)


百六箇抄8(十万貫・日目大導師)
 

(百六箇抄)