■検証24・日蓮本仏義の大ウソ・日蓮本仏義は日蓮・日興の教義ではない24

 

□日興が日蓮木像を尊崇していたことは日興が日蓮を本仏と崇めていたことを意味しない

 

日蓮正宗では、日興が弟子や信者に書き残した消息文(手紙)の中に、日蓮のことを「本師」「聖人」「法華聖人」「法主聖人」「御経日蓮聖人」「仏」「仏聖人」等と尊称して書いていることや、日興の直弟子で重須談所の二代学頭(住職に次ぐナンバー2の職)の職にあった日順が書いたと伝えられる「従開山伝日順法門」という文書の中に

「身延山には日蓮聖人九年、其後日興上人六年御座有り、聖人御存生の間は御堂無し、御滅後に聖人の御房を御堂に日興上人の御計として造り玉ふ。御影を造らせ玉ふ事も日興上人の御建立なり」(大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』2p95)

御影を造らせ玉ふ日興上人御建立也
 

と書いてあることから、日興が生きていた時代における日興門流において、日蓮の御影像(木像)が大漫荼羅本尊とともに崇拝の対象になっていたとして、このころから「日蓮本仏義」が存在していたと主張している。 日興は日蓮の木像を尊崇の対象のひとつとしていたのかもしれないが、だから日蓮を「釈迦牟尼を超越する末法の本仏」と定義づけていたとすることとは、全く意味が違う。

日蓮正宗が言う、日興の代から「日蓮本仏義」が存在していたというのは大ウソである。

まず第一に、日蓮の御影像(木像)を大漫荼羅本尊の前に安置して祀ったり、あるいは日蓮の御影像(木像)を独立して祀ったりする宗教上の化儀は、何も日興門流、富士門流、日蓮正宗だけのものではなく、日蓮正宗のような日蓮本仏義を全く用いていない身延山久遠寺をはじめ日蓮宗全体において広く行われている化儀である。 したがって、日蓮の御影像(木像)を祀ったり、尊崇の対象にするという宗教上の化儀が「日蓮本仏義」の証明になるはずがない。当然のことである。現在のところ、科学的な鑑定が済んだ日蓮木像で最も古いものは、日蓮宗大本山・池上本門寺大堂に祀られる日蓮祖師像(木像)であり、板曼荼羅本尊の前に日蓮祖師像(木像)が祀られている。その他、日蓮宗寺院に行けば、必ずといっていいほど日蓮祖師像を祀る堂宇(祖師堂)があるが、日蓮宗が「日蓮本仏義」の宗派ではないことは今さら言うまでもないことである。したがって、日蓮の御影像(木像)を大漫荼羅本尊とともに崇拝の対象とすることは、日蓮本仏義の証拠にならない。

それから、日興が日蓮のことを「仏」「仏聖人」等と尊称して書いていたことを以て「日蓮本仏義」の文証(文献上の証拠)にしようとするというのは、無理なこじつけも甚だしいものがある。

これなどは、死に際して南無妙法蓮華経を唱えて成仏したという、一般的に故人を仏と呼ぶ世間の習慣に従って、「仏」と呼んだにすぎないものであることは明らかである。 日蓮正宗は、少しでも都合のいい文を持ち出してきて、無理やりにでも「日蓮本仏義」の文証に仕立て上げたいのだろうが、残念ながら、学問的、学術的に冷静・中立な研究を積み重ねていけば、日蓮や日興、日目が生きていた時代に「日蓮本仏義」が存在していなかったことが、明らかになっていくだけである。

 

 

□日興は日蓮を本仏と崇めておらず「久遠実成の釈迦如来」を本仏として尊崇していた

 

日蓮正宗大石寺門流の「日蓮本仏義」の歴史学的な展開を論じていくに当たって、その決定的になるものは、大石寺の開祖・日興の本仏感がいかなるものであったかということが、最大の論点になってくる。日蓮正宗では、日興が弟子や信者に書き残した消息文(手紙)の中に、日蓮のことを「本師」「聖人」「法華聖人」「法主聖人」「御経日蓮聖人」「仏」「仏聖人」等と尊称して書いていることや、日興が生きていた時代における日興門流において、日蓮の御影像(木像)が大漫荼羅本尊とともに崇拝の対象になっていたとして、このころから「日蓮本仏義」が存在していたと主張しているが、これらは全くの見当違いなものであることは、先に論じたとおりである。では、日興がいかなる本仏感を持っていたかを如実に物語る文献はないのか、ということになるが、これが存在するのである。それが以下に挙げる文献である。

「此れのみならず日蓮聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来の画像は一二人書き奉り候へども未だ木像は誰も造り奉らず候に」

(日興から原弥六郎への返状「原殿書」/大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』8P1011)

日蓮出世の本懐南無妙法蓮華経の教主釈尊如来
 

「日蓮聖人の御法門は、三界衆生の為には釈迦如来こそ初発心の本師にておはしまし候」(「原殿御返事」/大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』5P162163)

日興伝・原殿御返事1
 

「上下万人初発心の釈迦仏を捨て進らせて、或いは阿弥陀仏、或いは大日如来、或いは薬師仏とたのみて、本師釈迦如来に背き進らせ候」(「報佐渡国講衆書」歴代法主全書1p182)

日興・報佐渡法華講衆1
 

短い文であるため、現代語訳は省略させていただくが、「南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来」「釈迦如来こそ初発心の本師」「本師釈迦如来」の言葉に、日興の本仏感が如実に現れていると言える。すなわち、日興は「久遠実成の釈迦如来」を本仏として尊崇していたことが諒解されるのであり、日興が釈迦牟尼を本仏として著書の中に明記している以上、日興が随所でいかに日蓮を尊崇していたとしても、それは「日蓮本仏義」を本仏感として認識していた上での行動ではないことが、明白である。つまり日興は、日蓮が図顕した紙幅の大漫荼羅本尊を根幹にして、その上で日蓮の御影に供物をささげていたということである。

又、「原殿書」の「南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来の画像」という日興の言葉からして、大石寺門流においては、日蓮本仏義はおろか、大漫荼羅本尊を日蓮の当体とする教学すらも未だ形成されていなかったことを物語るものではないか。つまり日興は、久遠実成の釈迦如来を本仏と見ていたことは明らかで、すなわちこれは、日興が在世の時代において、大石寺門流に「日蓮本仏義」が存在しなかったことを明確に物語っている。

下・日蓮尊号1


下・日蓮尊号2


下・日蓮尊号3


下・日蓮尊号4
 

(日興が弟子や信者に書き残した消息文(手紙)の中に、日蓮のことを「本師」「聖人」「法華聖人」「法主聖人」「御経日蓮聖人」「仏」「仏聖人」等と尊称して書いていることを詳述する大石寺59世堀日亨の著書「富士日興上人詳伝」)

池上大堂・日蓮1
 

(板曼荼羅本尊の前に日蓮祖師像(木像)を祀る池上本門寺大堂)