■検証46・大石寺に「大石寺三祖日目の正墓」は存在しない5

 

□京都鳥辺山の實報寺庫裡の奥から實報寺住職・嘉儀吉裕氏が現れて単独取材が実現

 

「要法寺開山本廟」という石碑が建っていた墓園の中に入っていくと、山門があり、さらに寺の庫裏のような建物もありました。山門や庫裡の棟札を見ると「實報寺」という名前が。ここは鳥辺山墓地というのではなく、日蓮本宗本山で、日尊門流の祖山である京都・要法寺の末寺・實報寺の墓園という感じです。さて實報寺の墓園の中を見学してみたのですが、どこにでもある、何の変哲もない墓園。墓園の中は所狭しと、さまざまな墓石が建っていました。墓石の掃除・手入れもなかなか行き届いており、一見して、ちょっと高級な墓園に見えました。墓園の中に、ただ一カ所、墓園の中央のような所に、大きな石塔が建った「廟」があった。「これが日目の墓なのかな」と思いましたが、何の案内板も何の説明書もなし。しかし、實報寺の入り口に「要法寺開山本廟」という石碑が建っていることからして、これが日目・日尊の墓としか考えられない。しかし案内板も説明書もなく、何の表示もないことからして確認することが出来ない。

山門の近くには「詰め所」のような建物があり、初老の男性が、墓園の掃除や手入れをしているように見えた。ひょっとしたら、見知らぬ顔の男が一人、墓園に入ってきたことから、「何者か」と思って、出てきたのかも知れません。私は、「ひょっとしてこの墓園の管理人か?」と思い、その男性に質問してみることにした。たしかこの男性は、「要法寺」だったか「實報寺」だったか、文字が入っている半被を着ていました。

○「ここの入り口に、『要法寺開山本廟』という石碑があったので、ここに入ってきたのですが、鳥辺山墓地とか、鳥辺野墓地という所は、こちらですか」

□男性「そういう名前は知りません。ここは實報寺というお寺の墓園です」

○「しかし私は、鳥辺山墓地に要法寺三祖日目上人が葬られたということを聞いて、ここにやってきたのですが。」

□男性「いや、そういう墓地は知りません」

○「知らないはずがないでしょう。入り口に『要法寺開山本廟』と書いた石碑が建っているじゃありませんか。日目上人というお方は、要法寺さんの第三祖に当たるお方でしょう」

□男性「…」

半被を着た初老の男性が、なんとなく内にこもって、私の質問をかわして追い返そうという感じに見えたので、ちょっと強い口調でこう言いました。

○「わからない、わからないじゃ話になりませんよ。わかる人はいないんですか。あなたがわからないんじゃ、すぐわかる人を呼んできて下さい」

この半被を着た男性は、完全に自分の殻の中に閉じこもりかけていました。日蓮正宗や、ここの要法寺門流の日蓮本宗も含めて、富士門流では、こういうタイプの人が多いです。

 

 

□「アンチ日蓮正宗」管理人と實報寺住職・嘉儀吉裕氏が事前連絡を巡って實報寺受付で大激論

 

私としては、先に本山要法寺に行ったときに、受付に出てきた所化僧に本堂に入ることを断られて、そのまま帰ってしまったという苦い経験をしているので、「ここで絶対に引き下がるわけには行かない」と思い、「あなたがわからないというのであれば、わかる人を呼んできて下さい」と要求した。

半被を着た男は「何ですか、あなたは。外では何だから、中に入って下さい」と言い、私は、庫裡らしき建物の玄関に入った。するとそこには受付の窓口のような造りになっていましたが、その受付には誰もいなかった。言ってみれば、昔風の造りの受付である。私は、ここで10分~15分くらい、立ったまま待ちぼうけ。「何が出てくるのか。歓迎のお茶でも出てくるのかな」と思っていたところ、何と庫裡の奥の方から、實報寺住職・嘉儀吉裕氏が出てきたのでありました。こうして意外な形で、實報寺受付にて、要法寺末・多宝山實報寺住職・嘉儀吉裕氏との単独取材が実現することになりました。實報寺住職が庫裡から受付に出てきたのには驚きましたが、しかし冒頭から實報寺住職の表情は険しく、実に刺々しい雰囲気ではじまりました。

□住職「先程から、表で、いろいろと話しておったのは、あなたですか」

○「あそこにいた、半被を着た男性と話していたのは私です」

□住職「何の用で、ここに来られたのですか」

○「私はサイトを主宰している者ですが、要法寺第三祖に当たる日目上人の正墓の所在についていろいろと調査を重ねていたところ、京都・鳥辺山に埋葬されたという古文書を複数見つけました。しかしこれらの古文書は、室町時代から江戸時代のもので、今の日目上人の正墓の所在を確認できる資料をいろいろと探したのですが、見つかりません。そこで実際に京都・鳥辺山に来て実地調査をすることにしました。ちょうど、所用で京都へ来たので、こちらの鳥辺山へ来たわけです」

□住職「それならば、どうして事前にこちらに連絡をしてくれなかったのですか」

○「私が、實報寺さんをお訪ねしようと思ったのは、こちらの鳥辺山に来て登り坂の道を歩いてきたところ、入り口に『要法寺開山本廟』と書いた石碑が建っていたからです。それまで私は、實報寺さんの名前や存在すら知りませんでした。ここ鳥辺山に来て、はじめてわかったわけです」

□住職「そんなことはないでしょう。東京から来られているということでしたら、あちらには、日目上人に関する資料はたくさんあるはずです」

○「今の日目上人の正墓の所在を示す資料は、何処にも見当たりませんでした。

日目上人は、日蓮正宗大石寺の第三祖でもあるわけですが、日蓮正宗では、日目上人の正墓は大石寺にあるとか、下之坊にあるとか書いた本を出しています。しかしこれは何の根拠も証拠もなく、全く信用できないものです。なぜなら、室町時代の古文書には、日目上人の遺骨が京都・鳥辺山に葬られたことが出ていますし、上代の記録は、いずれも鳥辺山説であって、大石寺・下之坊に葬られたという記述はありません」

□住職「それなら、鳥辺山にあるウチの寺のことを書いた資料があると思うんですがね-」

とにかく私がいくら説明しても、住職は「東京には鳥辺山の日目上人の正墓に関する資料があるはずだ」「ここに来るなら来るで、どうして事前に連絡しなかったのか」の一点張りで、これを繰り返すだけ。私は、現在の日目の正墓に関する正確な資料がないからこそ、京都・鳥辺山の実地調査に来た旨を何度も説明しました。實報寺受付で、私と實報寺住職ーの間で、この点に関して、延々と論争がつづきました。

實報寺7


實報寺1


實報寺2
 

(京都要法寺末寺・實報寺)

實報寺9日目墓2


實報寺10日目正墓3
 

(鳥辺山墓地にある日目の正墓)