■検証241「富士門流執着軍団」の「戒壇大本尊」大石寺17世日精偽作説は誤りである3

 

□造仏読誦論者である大石寺17世日精が「戒壇の大本尊」を偽作するなど絶対にあり得ない

 

大石寺17世日精が京都・要法寺13代貫首・広蔵院日辰流の造仏読誦論者だったことが、「富士門流執着軍団」をはじめとする「戒壇の大本尊」大石寺17世日精偽作説の誤りを解明する大きなカギになる。具体的に言うと、京都要法寺・広蔵院日辰流の造仏読誦論者だった大石寺17世日精が、「戒壇の大本尊」なる板本尊を自ら偽作するはずがないのである。

それでは、大石寺17世日精自身が書き記した著書「日蓮聖人年譜」の記述を元に、日精が唱えていた広蔵院日辰流の造仏読誦論の中身をもう少し掘り下げて、検証してみたい。

京都要法寺・広蔵院日辰流の造仏読誦論で、ここで取り上げている「戒壇の大本尊」大石寺17世日精偽作説と直接関係ある箇所とは、三大秘法論、なかんずく本門の本尊論である。大石寺17世日精が唱えていた広蔵院日辰流の造仏読誦論では、本門の本尊を総体の本尊と別体の本尊に分ける。総体の本尊とは、一幅の大漫荼羅本尊。別体の本尊とは、さらにこれを人本尊と法本尊に分ける。人本尊とは、久遠実成の釈迦如来、一尊(釈迦)四士(上行、無辺行、浄行、安立行の四菩薩)、両尊(釈迦如来と多宝如来)四菩薩とし、法本尊を法華経の題目、南無妙法蓮華経とするものである。そして総体の本尊である大漫荼羅本尊は、三大秘法建立の時(つまり広宣流布の日)、ないしは経済的に可能である時、本門の本尊造立のための設計図であり、その本門の本尊造立の時までの仮の本尊、ないしは常途の本尊という位置付けにしている。釈迦如来像を造立するから大漫荼羅本尊を全く排除してしまうというのではなく、大漫荼羅本尊をも総体の本尊として、三大秘法建立の時、ないしは経済的に可能である時、本門の本尊造立のための設計図として、その本門の本尊造立の時までの仮の本尊、ないしは常途の本尊として認めており、要法寺13代貫首・日辰をはじめとする要法寺歴代貫首は、造仏思想を持っている一方で、大漫荼羅本尊をも書写していた。これと同じように、大石寺17世日精も、大漫荼羅本尊を本門の本尊造立の時までの仮の本尊、ないしは常途の本尊として漫荼羅書写を行い、板本尊の造立を行っていたというわけである。こういう大石寺17世日精の広蔵院日辰流の造仏読誦教学、本尊観の中から、「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作するという教学的動機、目的が全くない。日辰流の造仏読誦論者だった大石寺17世日精が、「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作するはずがないのである。

日精造仏読誦1日蓮年譜


日精造仏読誦2日蓮年譜


日精造仏読誦3日蓮年譜
 

(大石寺17世日精が造仏読誦義を説く大石寺17世日精の著書「日蓮聖人年譜」/大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』5)

 

 

□大石寺17世日精の造仏読誦義が「戒壇の大本尊」日精偽作説の誤りを解明するカギ

 

大石寺教学の中での「戒壇の大本尊」なる板本尊の位置づけは、本門の本尊造立の時までの仮の本尊、ないしは常途の本尊などというものではなく、「戒壇の大本尊」なる板本尊そのものが、日蓮仏法のおける終窮究竟の極説、出世の本懐、三大秘法総在の本尊、富士山本門寺本堂の正本尊と位置付けていて、「戒壇の大本尊」なる板本尊が広宣流布の日に建立される本門戒壇に祀られる本尊であるとする。こういった大石寺の根本教学は、「百六箇抄」「本因妙抄」から来るものと考えられるが、日精教学の元である京都・要法寺日辰は、著書「造仏論議」「読誦論議」の中で、「百六箇抄」「本因妙抄」を偽書とは断定していないものの、「百六箇抄」「本因妙抄」の教学を明確に否定している。そして京都・要法寺13祖貫首・広蔵院日辰が著書『開迹顕本法華二論議得意抄(二論議)』の中でかく書いている

「御正筆の血脈書を拝せざる間は謀実定め難し」---百六箇抄・本因妙抄の二つの血脈抄は、日蓮の正筆(真筆)を拝して中身を見極めるまでは、日蓮真筆なのか、あるいは誰かの手による偽作なのか、判断が出来ない(『開迹顕本法華二論議得意抄(二論議)5巻・日蓮宗宗学全書3p370)

二論議・不拝正筆謀実難定1


二論議・不拝正筆謀実難定2
 

「日蓮の正筆(真筆)を拝して中身を見極めるまでは、日蓮真筆なのか、あるいは誰かの手による偽作なのか、判断が出来ない」と日辰が言っているということは、「百六箇抄」なる文書を偽作したのは、京都・日尊門流・要法寺ではないということ。「戒壇の大本尊」を中心とする大石寺独自の三大秘法、大石寺教学を明確に否定する文である。したがって、この大石寺教学は、大石寺17世日精が大きく傾斜していた広蔵院日辰流の造仏読誦教学とは全く異質の教学であり、全く相容れないものである。

大石寺17世日精は、自らの著書「随宜論」の中で、「板本尊」(戒壇の大本尊のこと)について

「板本尊について。この板本尊は戒壇堂の本尊である。この本尊があるからといって不造像の証とはならない。本門心底抄に『本門の戒壇が建たないことがあるだろうか。戒壇堂建立のときには、本尊の図のごとく仏像を安置する』とある。この文から推するに、戒壇堂が建立されるとき、その本尊として仏像を造立することは明らかである」(趣意)

「これら本門心底抄や、迹門戒壇の義に準じて考えるに、本堂には曼荼羅のような配置に仏像を安置するべきである。祖師堂には日蓮聖人の御影、垂迹堂には天照太神、八幡大菩薩の像を置くべきである。その上に戒壇堂を建立し、中に法華経一部を納めて戒壇とし、板本尊を安置すること。これが法華本門の戒を授ける所である。」(趣意)

と述べている。

元々、造仏読誦論者である大石寺17世日精は、「随宜論」の中で「戒壇の大本尊」と造仏読誦義の関係について、誠に苦しい会通をしている。

「本堂には曼荼羅のような配置に仏像を安置するべきである。祖師堂には日蓮聖人の御影、垂迹堂には天照太神、八幡大菩薩の像を置くべきである」

というのが大石寺17世日精教学の本義であり、この教義と「戒壇の大本尊」の関係を会通していることからして、「戒壇の大本尊」は明確に大石寺17世日精よりも以前から大石寺に存在していた、ということである。これからしても「戒壇の大本尊」の偽作者は大石寺17世日精でないことが明らかである。

17世日精1
 

(大石寺17世日精の著書「随宜論」の末文に載っている日精花押)