■検証242「富士門流執着軍団」の「戒壇大本尊」大石寺17世日精偽作説は誤りである4

 

□造仏読誦論者である大石寺17世日精が「戒壇の大本尊」を偽作するなど絶対にあり得ない2

 

大石寺の「戒壇の大本尊」は誰が偽作したのか。大石寺9世日有が「戒壇の大本尊」を偽作した証拠は何か。大石寺17世日精が「戒壇の大本尊」を偽作した説はなぜ誤りなのか。

1大石寺9世日有が「戒壇の大本尊」を祀る大石寺を「事の戒壇」と定義づけたこと。

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_1150638.html

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/43481379.html

2大石寺9世日有は左京阿闍梨日教を使って、歴史上、大石寺門流ではじめて大石寺9世日有独自の「三大秘法」の教義をさかんに鼓吹させたこと。

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_695513.html

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/43686544.html

3戒壇大本尊の脇書の「本門戒壇願主」は大石寺9世日有偽作の日有独自の戒壇と一致する

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/43743326.html

4歴史上はじめて「戒壇の大本尊」を祀る「事の戒壇」が大石寺9世日有の代に「新池抄聞書」に登場すること。

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_931149.html

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/43894698.html

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/43894748.html

大石寺9世日有の「本門事の戒壇」思想は「新池抄聞書」『日浄記』等の文書に出てくる。それは

「日有云く、また云く、大石は父の寺、重須は母の寺、父の大石は本尊堂、重須は御影堂、大石は本果妙、重須は本因妙、彼は勅願寺、此は祈願寺、彼は所開、此は能開、彼は所生、此は能生、即本因、本果、本国土妙の三妙合論の事の戒壇なり」

(「新池抄聞書」/「富士日興上人詳伝・下」p84)

新池抄聞書1


新池抄聞書3
 

「当山第六世日浄上人伝に云く『大石寺日有云く、重須は生御影堂正意、大石寺は本堂正意なり。故に国主本門の正法を立てらるる時は此の板本尊即ち本門戒壇の本尊と云々。』 …

是れ日浄上人は日有の時の人なり。已にそれ未聞未見の板本尊を彫刻すと云う。偽造たること白々たり。又、小泉久遠寺の日要、日我等、日有の真似をして重須は御影堂正意、久遠寺は本堂、能開所開、両寺一味などと云う」

(「日浄記」/「大石寺誑惑顕本書」p6p7)
日浄記1

 

 

□要法寺日辰が「御正筆の血脈書を拝せざる間は謀実定め難し」と言って偽作を否定している

 

これらの文に、はっきりと垣間見得るように、大石寺9世日有が言う「事の戒壇」とは「戒壇の大本尊」なる板本尊が祀られている堂宇・伽藍という意味である。「百六箇抄」の文「四十二、下種の弘通戒壇実勝の本迹、 三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり」「又五人並に已外の諸僧等、日本乃至一閻浮提の外万国に之を流布せしむと雖も、日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべきなり」(大石寺59世法主堀日亨編纂「富士宗学要集」1p1821)

この中の「日興嫡嫡相承の曼荼羅」とは、大石寺格蔵の「戒壇の大本尊」を指している。大石寺の「事の戒壇」とは、三大秘法の「戒壇」の根本として「戒壇の大本尊」を祀る場所という意味である。すなわち、大石寺の「戒壇の大本尊」、「百六箇抄」が同一人の手によって偽作されたということ。「戒壇の大本尊」「百六箇抄」を偽作したのは大石寺9世日有である。では、「戒壇の大本尊」は大石寺9世日有が偽作した証拠は何か。これは16の証拠があることを論証している。

□大石寺の「戒壇の大本尊」が大石寺9世日有によって偽作されたことを証する16の証拠

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/46133826.html

大石寺「戒壇の大本尊」を偽作した者、「戒壇の大本尊」を祀る「事の戒壇」を偽作した者は、大石寺9世日有であり、造仏読誦論者ではないという義が成立する。造仏読誦義からは「戒壇の大本尊」を祀る「事の戒壇」も大石寺「戒壇の大本尊」も偽作する道理も義も全く存在しない。

造仏読誦論者として有名な京都・要法寺13祖貫首・広蔵院日辰が著書『開迹顕本法華二論議得意抄(二論議)』の中で

「御正筆の血脈書を拝せざる間は謀実定め難し」---百六箇抄・本因妙抄の二つの血脈抄は、日蓮の正筆(真筆)を拝して中身を見極めるまでは、日蓮真筆なのか、あるいは誰かの手による偽作なのか、判断が出来ない(『開迹顕本法華二論議得意抄(二論議)5巻・日蓮宗宗学全書3p370)

二論議・不拝正筆謀実難定1
 

と述べていること。これは、「百六箇抄」なる文書を偽作したのは、京都・日尊門流・要法寺ではない、ということを明確に物語っている。特に京都・要法寺13祖貫首・広蔵院日辰が著書『開迹顕本法華二論議得意抄(二論議)』の「御正筆の血脈書を拝せざる間は謀実定め難し」の言は、:決定的である。もし「百六箇抄」が京都・要法寺で偽作された文書だったとしたならば、京都・要法寺13祖貫首・日辰はこんな言い方をしなかったはずである。こういう言い方をしなかったどころか、「百六箇抄」を日蓮真筆だと明言しているはずである。しかも

「日蓮の正筆(真筆)を拝して中身を見極めるまでは、日蓮真筆なのか、あるいは誰かの手による偽作なのか、判断が出来ない」と日辰が言っているということは、「百六箇抄」という文書が要法寺に元々あった文献ではなく、他門流から京都要法寺に輸入された文書であることを、明確に物語っている。ではなぜ日辰は、こんなことを言ったのか。それは「百六箇抄」の中に

「三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり」「直達の法華は本門、唱ふる釈迦は迹なり。今日蓮が修行は久遠名字の振舞に芥爾計も違はざるなり」 「下種の法華経教主の本迹、 自受用身は本、上行日蓮は迹なり、我等が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり。其の教主は某なり」「久遠名字より已来た本因本果の主、本地自受用報身の垂迹、上行菩薩の再誕、本門の大師日蓮」「白蓮阿闍梨日興を以て惣貫首と為して、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之れを残さず、悉く付属せしめ畢ぬ。 上首已下並に末弟等異論無く、尽未来際に至るまで予が存日の如く、日興嫡嫡付法の上人を以て惣貫首と仰ぐべき者なり」 「又五人並に已外の諸僧等、日本乃至一閻浮提の外万国に之を流布せしむと雖も、日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべきなり」「日蓮大将なれば上行菩薩か・日目は毎度幡さしなれば浄行菩薩か」

「又広宣流布の日は上行菩薩は大賢臣と成り・無辺行菩薩は大賢王と成り・浄行菩薩は大導師と成り・安立行菩薩は大関白或いは大国母と成り、日本乃至一閻浮提の内一同に四衆悉く南無妙法蓮華経と唱へしめんのみ、四大菩薩同心して六万坊を建立せしめよ。何れの在処為りとも多宝富士山本門寺上行院と号す可き者なり」といった、京都・要法寺13祖貫首・日辰が「未聞未見」の教義が、山のように満載されているからである。したがって、この日辰の言は、「事の戒壇」「百六箇抄」を偽作したのは、京都・要法寺ではない、ということを明確に物語るものである。

要法寺13
 

 (現在の日蓮本宗本山・京都要法寺)

百六箇抄1


百六箇抄6(富士山本門寺本堂)


百六箇抄7(日興嫡嫡相承本堂正本尊)


百六箇抄8(十万貫・日目大導師)
 

(百六箇抄)