■検証34・日蓮本仏義の大ウソ・日蓮本仏義は日蓮・日興の教義ではない34

 

□日蓮正宗僧・漆畑正善氏「本因妙口決・日蓮宗の語は『日蓮宗』の語の初見」説の誤謬を斬る

 

「本因妙口決」後世偽作説の根拠になっているものは、「大白蓮華」に連載された「堀上人に富士宗門史を聞く」の中で、大石寺59世堀日亨が、実質的に「本因妙口決」が三位日順の著作ではなく、後世の偽作であることを認めていることだけではない。従前から「本因妙口決」後世偽作説の根拠になっているものは、この「本因妙口決」の中に

「日蓮一宗」(『富士宗学要集』2p80より)

本因妙抄口決・日蓮一宗1
 

「日蓮宗」(『富士宗学要集』2p82より)

本因妙抄口決・日蓮宗2
 

といった言葉があるからである。日順の他の著書である「日順阿闍梨血脈」「摧邪立正抄」「念真所破抄」では、いずれも「法華宗」と書かれている。 歴史学的な定説・通説で言えば、この「日蓮宗」という名称は、1536(天文5)年の天文法華の乱で、京都が灰塵になり、各日蓮教団が、室町幕府から「法華宗」の名称を使用することを禁じられてから、「日蓮宗」という言葉が使われるようになったという説である。ということは、歴史学的な定説・通説をあてはめるならば、「本因妙口決」は三位日順の著作ではなく、後世の偽作ということになる。ところが「日蓮本仏義」を信奉する日蓮正宗は、これでは困ると思ったのか、日蓮正宗僧侶・漆畑正善氏が、天文法華の乱以前の大永年間の文献「妙本寺文書」の中に

「安州北部法華日蓮宗妙本寺の事」(大石寺59世堀日亨編纂「富士宗学要集」8p83)

安州北部法華日蓮宗妙本寺の事

 

とあることを持ち出し、「『本因妙口決』に『日蓮宗』の語が用いられていても、それを偽撰とする根拠にはならない。むしろ『日蓮宗』の語の初見と見るべきである」などと、かなり強引な論を展開する。(漆畑正善論文「創価大学教授・宮田幸一の『日有の教学思想の諸問題』を破折せよ」より)

当該の論文は「本因妙口決」にある「日蓮宗」の語句についての創価大学教授・宮田幸一氏(創価学会員)と日蓮正宗僧侶・漆畑正善氏の論争だが、両者とも「本因妙口決」にある「日蓮宗」の語句についての論争に終始してしまっており、これだけで「本因妙口決」が三位日順の著作だの後世の偽作だのと決めつけようとする誤りに嵌り込んでしまっている。「本因妙口決」を後世の偽作とする根拠は、何も「本因妙口決」にある「日蓮宗」の語句だけではない。大石寺59世堀日亨は、『大白蓮華』55号に掲載された「堀上人に富士宗門史を聞く」(1)の中で、実質的に「本因妙口決」をはじめ三位日順の著作を偽書だと認める見解を言っている。堀日亨が「本因妙口決」に疑義を呈して実質的に偽書だとする根拠は

□三位日順は実在の人物で著作を残しているが、それは「日蓮本仏義」などの重要な教義に関するものではなく、他山から伝来したのを日順が写しておいたというようなものは北山本門寺にある

 

 

□大石寺9世日有御物語抄や西山本門寺8世日眼の日眼御談が『日蓮宗』の語の初見である

 

□「日蓮本仏義」などの重要な教義に関する三位日順の著書は北山本門寺には全く残っておらず、それらの写本と称するものが全部、大石寺にある

□大石寺に残っている「日蓮本仏義」などの重要な教義に関する三位日順の著書と称するものの写本が写された時代は、戦国時代から織田・豊臣時代である。

□大石寺に残る「日蓮本仏義」などの重要な教義に関する三位日順の著書と称するものの写本を残した人物の名前だけはわかっているが、その人物の行績が全然わからない。

□本因妙口決の文体が、他の三位日順の著書の文体と異なっている

ということであり、堀日亨は「本因妙口決」にある「日蓮宗」の語句については全く触れていない。漆畑正善氏が「本因妙口決」が三位日順の著作であるとするならば、堀日亨の疑義に対して、明快に答えなくてはならないが、漆畑正善氏は堀日亨の疑義には何ら触れることなく、頬被りを決め込んでいる。又、漆畑正善氏が大永年間の文献「妙本寺文書」の中の「安州北部法華日蓮宗妙本寺の事」(大石寺59世堀日亨編纂「富士宗学要集」8p83)とあることを持ち出して、「本因妙抄」偽作説を覆そうとしていることも、かなり無理がある論である。

なぜならば、富士門流・日蓮正宗大石寺門流の史料では、大永年間の妙本寺文書よりもはるか以前の大石寺9世日有の説法を弟子の南条日住が筆録したという「有師御物語聴聞抄佳跡・上」(『富士宗学要集』1p194)や大石寺9世日有とほぼ同年代の僧侶である西山本門寺8世日眼の著書「日眼御談」(『富士宗学要集』2p132)に「日蓮宗」の言葉が出てきているからである。

物語抄・日蓮宗
 

(「有師御物語聴聞抄佳跡・上」(『富士宗学要集』1p194)

日眼御談・日蓮宗
 

(西山本門寺8世日眼の著書「日眼御談」(『富士宗学要集』2p132)

したがって「『日蓮宗』の語の初見」と言うならば、大石寺9世日有の説法「有師御物語聴聞抄佳跡・上」や西山本門寺8世日眼の著書「日眼御談」を「『日蓮宗』の語の初見」と言うべきではないか。さらに1558(永禄1)11月、大石寺13世日院が、京都要法寺13代貫首・日辰に送った、日辰からの通用申し出を拒絶する書状『要法寺日辰御報』(『歴代法主全書』1p450)の中に、日院が「本因妙口決」の一部の記述をそっくりそのまま借用して書いている。

要法寺日辰御報1


要法寺日辰御報2


歴代法主全書1巻1
 

(『要法寺日辰御報』(『歴代法主全書』1p450)

したがって、「本因妙口決」は少なくとも、1558年までには成立していたということになるが、やはり少なくとも、日蓮正宗大石寺門流や富士門流の中で「日蓮宗」という言葉が使われはじめたのは、大石寺9世日有の時代あるいは大石寺9世日有とほぼ同年代の僧侶である西山本門寺8世日眼の代(15世紀) より以降ということになろう。したがって、少なくとも、14世紀においては、どの日蓮門流においても「日蓮宗」「日蓮一宗」という言葉は使っていなかった。日順の他の著書では、いずれも「法華宗」と書かれていることからしても、「本因妙口決」を1300年代(14世紀)に生きた日順の著作とすることはとうていできない。 日蓮本仏義というものを、大石寺門流ではじめて公然と説いたのは、大石寺9世日有であるから、「五人所破抄見聞」にしても「本因妙口決」にしても、大石寺門流の者が、大石寺9世日有の時代より前の、古来から日蓮本仏義が唱えられていたことを証したいが為に、偽造したニセ文書である。

9世日有4(諸記録)
 

(能勢順道氏の著書『諸記録』に載っている大石寺9世日有の肖像画)

三位日順著書堀日亨重大な疑問1
 

(「堀上人に富士宗門史を聞く」(1)/『大白蓮華』55号より)

59世日亨2
 

(大石寺59世堀日亨)