■検証257富士門流執着軍団の「戒壇大本尊」大石寺9世日有偽作否定説は誤りである1

 

□日蓮・日興門流の虚像に執着して教学・宗学を歪曲する「富士門流執着軍団」は誤りである

 

「戒壇の大本尊は9世日有の偽作だ」に対して、「富士門流執着軍団」がブログでこんな問難を書いているという情報が寄せられた。

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(「富士門流執着軍団」の問難)

「大石寺の『戒壇の大本尊』なる板本尊を日有が偽作したというなら、なぜ日有は化儀抄で

「当宗の本尊の事、日蓮聖人に限り奉るべし」(大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』1巻相伝信条部p65/『有師化儀抄』)と書き、『当宗の本尊の事、本門戒壇の本尊に限り奉るべし』と書かなかったのか」

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当宗本尊事、日蓮聖人限奉るべし
 

(大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』1巻相伝信条部p65/『有師化儀抄』)

まず第一に、『当宗の本尊の事、戒壇本尊に限り奉るべし』という言い方をしてしまうと、別の矛盾が発生してしまうからである。日蓮正宗の末寺寺院の本堂・客殿の須弥壇、信者宅の仏壇には、「戒壇の大本尊」なる板本尊を大石寺法主が書写したとしている曼荼羅本尊だけが祀られているわけではない。大石寺の末寺寺院には、日蓮自筆の紫宸殿本尊を模刻した板本尊(信行寺・妙法寺など)、日華授与本尊を模刻した板本尊(妙蓮寺)、日仙授与本尊を模刻した板本尊(讃岐本門寺)などが本堂・客殿に祀られている寺院が現に存在していること。日蓮正宗の古い檀家・信者の中に、日蓮真筆の曼荼羅本尊を格蔵している人(茨城・永井藤蔵家など)がいたこと。日蓮正宗の僧侶、信者の中で、すでに出回っている日蓮の曼荼羅本尊を感得(思いがけなく手に入れること)する人が出たこと。江戸幕府六代将軍家宣正室・天英院は、日蓮真筆と称する日仙授与本尊を感得している。(ただし妙蓮寺の日華授与本尊、天英院が感得した日仙授与本尊、永井藤蔵家に格蔵されていた本尊は、日蓮正宗が一方的に日蓮真筆だと自称している本尊であり、立正安国会刊行の「日蓮・御本尊集」には載っていない。公式には真偽未決と言うべき本尊である)

日蓮2・日興1
 

(茨城・永井藤蔵家格蔵の「日蓮曼荼羅」・天英院感得「日仙授与本尊」の脇書を収録する大石寺59世堀日亨編纂・「富士宗学要集」8p178)

つまり、「当宗の本尊の事、戒壇本尊に限り奉るべし」という言い方をしてしまうと、「紫宸殿本尊」「日華授与本尊」「日仙授与本尊」の模刻板本尊を祀っている寺院、他の日蓮真筆の本尊を格蔵して祀っている寺院・信者の化儀が、頭から否定されてしまうことになる。したがって大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作した大石寺9世日有が、『当宗の本尊の事、本門戒壇の本尊に限り奉るべし』と書くはずがない。

 

 

□日興門流の虚像に執着して「歪曲教学」を作り上げんとする「富士門流執着軍団」は誤りである

 

第二に、大石寺9世日有は「有師物語聴聞抄佳跡上」で、自らの本尊観についてかく書いている。

「当宗の御堂は如何様に造りたりとも皆御影堂なり、十界所図の御本尊を掛奉り候へども、高祖日蓮聖人の御判御座せば只御影堂なり」

(大石寺59世堀日亨編纂「富士宗学要集」1p193/『有師物語聴聞抄佳跡上』)

日蓮聖人の御判御座せば只御影堂1


日蓮聖人の御判御座せば只御影堂2
 

--当宗の御堂は、どのような造りで建てようとも皆これは御影堂なのである。それは、御堂には十界所図の御本尊を掛奉るのであるが、その御本尊には高祖日蓮聖人の御判が御座すわけだから、御堂に日蓮聖人の御判がある十界所図の御本尊を掛奉れば、御影像がなくてもそこは御影堂になるのである---

この「有師物語聴聞抄佳跡上」の文によれば、大石寺9世日有の本尊観は、大漫荼羅本尊に日蓮御影像を摂するというもので、「化儀抄」においても「当宗の本尊の事、日蓮聖人に限り奉るべし」と書いている一方で、「只十界所図の日蓮聖人の遊ばされたる所の所図の本尊を用うべきなり」とも書いていることからして、「日蓮聖人に限り奉るべし」という意味は、他の日蓮自筆の本尊を包含した上で、大石寺9世日有が偽作した「戒壇の大本尊」なる板本尊に限るという意味である、ということで、充分に会通が成立する。

もっとも「富士門流執着軍団」の場合は、創価学会、日蓮正宗法華講の「日蓮正宗」系をやめた後、「日蓮正宗」系と同系列の富士門流(日興門流)の寺院に本拠を置いている関係上、「戒壇の大本尊」大石寺9世日有偽作説・「日蓮本仏義」大石寺9世日有偽作説・「血脈相承」大石寺9世日有偽作説では、まことに都合が悪いらしく、教学・宗学・学問を無理矢理にでも、富士門流に都合がいいように、ねじ曲げて歪曲しようとする「歪曲教学」を作り上げようとしている。日蓮本仏義や唯授一人の血脈相承が大石寺9世日有の偽作ということになると、今も一部の本山で日蓮本仏義や血脈相承を立てる富士門流(日興門流)は、大石寺9世日有教学に毒されている、ということになり、富士門流(日興門流)の否定につながる。そこで「富士門流執着軍団」では、富士門流にとって都合がいいように、「戒壇の大本尊」大石寺9世日有偽作説の否定・「戒壇の大本尊」大石寺17世日精偽作説・「日蓮本仏義」大石寺9世日有偽作説の否定・日蓮本尊説・「血脈相承」大石寺9世日有偽作説の否定・「血脈相承」保田妙本寺相承説など、教学・宗学を無理矢理でも歪曲する説を唱える。なんで「富士門流執着軍団」がこんなことをしようとするのかというと、「日蓮正宗」系をやめた後になっても、日蓮の虚像・日興門流の虚像に執着しているからだ。しかし学問を生業とする研究者や学者が、自我で歪曲する検証を行うこと自体、嘘で塗り固めた虚構であり欺瞞である。このような「富士門流執着軍団」の検証は重大な誤りであると断ずるものである。

戒壇大本尊3
 

(大石寺「戒壇の大本尊」)