■検証267大石寺9世日有「戒壇の大本尊」偽作の動機1・大石寺の総本山化6

 

□日蓮=本仏=戒壇の大本尊との教義理論を具体的に具現化した堂宇・大石寺御影堂2

 

大石寺9世日有は、「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作し、「戒壇の大本尊」=日蓮=本仏という教義理論を以て、大石寺の総本山化を計った。「総本山たる寺院に『本仏・本師』が住む」という理論は、大石寺9世日有が発明した教学理論であるが、大石寺9世日有の後継の大石寺法主は、この大石寺9世日有が造り上げた「戒壇の大本尊」=日蓮=本仏という教義理論を以て、大石寺の総本山化路線を忠実に走って行った。そのことは、そのまま大石寺9世日有が「戒壇の大本尊」「日蓮本仏義」を偽作した動機が「大石寺の総本山化のため」であるということを証明している。大石寺9世日有の代は、「戒壇の大本尊」=日蓮=本仏という教義理論にとどまっていたが、次の大石寺12世日鎮は、1522(大永2)年に大石寺境内に、御影堂を造立し、ここに大石寺6世日時が造立した日蓮の御影像(木像)を祀った。御影堂という堂宇は、大石寺が「常に此処に日蓮大聖人が住まわれて説法(常住此説法)される堂宇」と意義づけている堂宇であり、大石寺の御講や霊宝虫払大法会・御大会の二大法要、50年に一度の日蓮、日興、日目の遠忌法要の法主の説法も、御影堂で行われる。1632(寛永9)年、大石寺17世日精が、阿波国(徳島県)徳島の城主・蜂須賀至鎮の夫人・敬台院の寄進を元にして、御影堂を再建・造営し、御影堂の表玄関に「本門戒壇堂」と書いた棟札を出している。御影堂には、建物全面ではないものの、多くの箇所に金箔が張られているといった豪華絢爛な堂宇であった。

さらに大石寺17世日精は、大石寺御影堂に自筆で「本門戒壇堂」と記した棟札を掲げ、御影堂の厨子にある日蓮御影像の背に「戒壇の大本尊」なる板本尊を祀った。この大石寺17世日精が御影堂に祀った「戒壇の大本尊」は、大石寺9世日有が偽作した巨大半丸太本尊の「戒壇の大本尊」ではなく、レプリカ板本尊の可能性が高い。しかしこれが仮にレプリカ板本尊であったとしても、大石寺17世日精は、「常に此処に日蓮大聖人が住まわれて説法(常住此説法)される堂宇」と意義づけている堂宇・御影堂を、大石寺の中心堂宇・本堂として使ったことがわかる。

その後も、歴代の大石寺法主は、大きな法要で多数の信者が大石寺に参詣した折りには、「戒壇の大本尊」なる板本尊を御影堂の厨子に祀って、御影堂で御開扉を行っている。

大正時代、東京独一本門講という講中が発刊した大石寺写真集には、御影堂を「大石寺本堂」と記して紹介している。つまり、「戒壇の大本尊」なる板本尊を御影堂に祀って御開扉を行っていたため、御影堂を「本堂」と意義づけていたと考えられる。

その大石寺17世日精以後も、歴代大石寺法主はこの御影堂を、総本山大石寺境内の中心堂宇として、度々、修理・改修している。日蓮正宗大石寺側の記録によれば、1699(元禄12)年・大石寺24世日永の時、1902(明治35)年・大石寺56世大石日応の時、1972(昭和47)年・大石寺66世細井日達の時に、御影堂の改修工事が行われており、さらに2009年の日蓮・立正安国論750年事業としても、御影堂改修工事が数年かけて行われている。

 

 

□大石寺9世日有の「戒壇の大本尊」偽作と「日蓮本仏義」偽作は表裏一体の同体である

 

大石寺9世日有は、自ら偽作した「戒壇の大本尊」=日蓮=本仏と意義づける「日蓮本仏義」を発明。この日蓮=本仏=戒壇の大本尊と意義づける「日蓮本仏義」という教義理論を具体的に具現化した堂宇が、かつての大石寺御影堂だった。つまり日蓮正宗大石寺においては、日蓮の御影を祀っている御影堂という堂宇は、日蓮が「常住此説法」している堂宇であり、かつては「戒壇の大本尊」を祀って御開扉を行い、大石寺「本堂」と意義づけていた堂宇である。ここに大石寺6世日時が造立した日蓮の御影像(木像)を祀ったと同時に、「戒壇の大本尊」を祀って御開扉を行い、大石寺「本堂」と意義づけていたという意味は、これは北山本門寺の中心堂宇・御影堂よりも大石寺御影堂のほうが優越するという意味に他ならない。つまり、日蓮=本仏=戒壇の大本尊と意義づける「日蓮本仏義」という教義理論は、そのまま、大石寺が日蓮宗総本山・身延山久遠寺や富士門流総本山・北山本門寺といった他門流の本山寺院に優越する寺院であることを誇示する教学理論ということになる。これが「御影堂造立」というふうに具体化したのは大石寺12世日鎮以降のことであるが、根源を辿れば、大石寺9世日有が偽作した「戒壇の大本尊」「日蓮本仏義」にほかならない。大石寺9世日有は、「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作して、

「当宗の本尊の事、日蓮聖人に限り奉るべし」

(大石寺59世法主堀日亨が編纂『富士宗学要集』1p65)

当宗本尊事、日蓮聖人限奉るべし
 

と、「日蓮を本尊とすべき」とはっきりと明示し、これを「戒壇の大本尊」=日蓮としたのだが、そうすると、必然的に釈迦牟尼本仏義では、「戒壇の大本尊」を終窮究竟の本尊とする大石寺9世日有教学では、根本教義が矛盾してしまう事になる。つまり本仏=本尊で、大石寺9世日有は「戒壇の大本尊」=日蓮として、「日蓮を本尊とすべき」としたわけだから、釈迦牟尼本仏義では矛盾してしまうのである。日蓮正宗が、教義の中でも最重要教義としている「本門事の戒壇」に祀る「戒壇の大本尊」なる豪華絢爛な板本尊の“造立主”は、『本仏』でなければならないのである。釈迦牟尼から相承を受けた上行菩薩が末法の世に再誕した僧侶・日蓮という位置づけでは、『本仏』よりも格下の『僧』が根本の『本尊』を説いたことになり、教義が自己矛盾に陥ってしまう。

「当宗の本尊の事、日蓮聖人に限り奉るべし」(大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』1p65)

と、大石寺9世日有がはっきりと「日蓮=本尊」とする教学は、これが必然的に

「高祖(日蓮)大聖は我れ等が為に三徳有縁の主師親・唯我一人の御尊位と云へり」(大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』2p159)

高祖大聖は我等為に三徳有縁主師親・唯我一人御尊位
 

「本門の教主釈尊とは日蓮聖人の御事なり」

(大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』2p182/左京阿闍梨日教著書「百五十箇条」)

本門教主釈尊とは日蓮聖人御事
 

「当家には本門の教主釈尊とは名字の位・日蓮聖人にて御座すなり」

(大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』2p320/左京阿闍梨日教著書「類聚翰集私」)

当家本門教主釈尊名字位日蓮聖人
 

等という、日蓮本仏義の鼓舞に発展するのは必然である。 大石寺9世日有の「戒壇の大本尊」偽作と「日蓮本仏義」偽作は表裏一体の同体なのである。

戒壇大本尊1大正4年由井本1
 

(大石寺「戒壇の大本尊」)

9世日有3(諸記録)
 

(能勢順道氏の著書『諸記録』に載っている大石寺9世日有の肖像画)