□正信会とは日蓮正宗内で創価学会批判の共同歩調をとった日蓮正宗寺院住職のグループ

 

「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」でどんどん日蓮正宗批判、「日蓮正宗系」批判を進行させていく中で、何人かの人から「アンチ日蓮正宗」管理人に対して、「正信会って、今、どうなっているんですか」「正信会って、今、何をしているんですか」「正信会は、どうなんですか」等々、正信会に関する質問がいくつも寄せられている。この質問は、創価学会、法華講、顕正会等「日蓮正宗系」から離檀・離宗・脱会した人のみならず、最初から「日蓮正宗系」以外の他宗派だった人、創価学会を脱会して法華講に入った信徒、「日蓮正宗系」を転々とカルトサーフィンしている人、創価学会や日蓮正宗から数多くの宗教被害を受けて来られた方々からも、寄せられている。さらに富士門流執着軍団などには、今さら正信会系全国檀徒新聞「継命」を紐解きながら、正信会や宗創関係について、コメントしている者までいる。それはあたかも、自分が世界ではじめて正信会について研究していると錯覚しているしているのではないかと思われるものすらあるくらいだ。

1990年代の第二次宗創紛争・宗創全面戦争が最も火花を散らしていたころは、法華講は創価学会との対立・紛争を有利に進めようと、「日蓮正宗大石寺と正信会は連合しないのか」「正信会は早く大石寺に帰伏しないのか」等々、そんなことを期待していたようなのだが、現在の所、正信会は日蓮正宗と連合していないし、大石寺に帰伏していない。ただし、正信会寺院住職・僧侶が日蓮正宗から破門されて以降、又1990年代の第二次宗創紛争・宗創全面戦争が勃発して以降、数人の正信会寺院住職が、日蓮正宗に帰伏している。

まず正信会とは一体何であるのか、ということだが、正本堂落慶以降、1970年代半ばにはじまる大石寺66世細井日達法主と創価学会会長・法華講総講頭・池田大作の対立に端を発した第一次宗創紛争において、堪忍袋の緒が切れた大石寺66世細井日達法主の池田大作批判・創価学会批判説法にいち早く呼応し、大石寺66世細井日達法主の創価学会批判の説法・指南を金科玉条にして創価学会批判説法等の共同歩調をとった日蓮正宗寺院住職のグループである。

第一次宗創紛争は、当初は大石寺66世細井日達と創価学会会長・法華講総講頭・池田大作、創価学会幹部との対立だったが、1974(昭和49)年、大石寺66世細井日達法主が大石寺の僧侶の会合で、創価学会批判の説法を行い、僧侶の啓発を行った。一旦は細井日達法主と池田大作は和解したのだったが、池田大作が1975(昭和50)11日に創価学会本部師弟会館で、1951(昭和26)年に大石寺64世水谷日昇が創価学会に下付した「大法弘通慈折広宣流布大願成就」「創価学会常住」の脇書が入った常住本尊を模刻した板本尊の入仏式を、池田大作の導師で強行。さらに1977(昭和52)11日の創価学会本部での新年勤行で火蓋を切った「昭和52年路線」とよばれる教義問題が発生して、再び日蓮正宗と創価学会の関係が険悪になった。

池田大作は、1977(昭和52)年夏、日蓮正宗ナンバー2の早瀬日慈総監を創価学会本部に招いて板本尊開眼法要を行ったが、日蓮正宗と創価学会の険悪な関係は収まらず、池田大作は1977(昭和52)11月、創価学会本部に大石寺66世細井日達を招き、創価学会本部師弟会館で法主の大導師で板本尊の開眼法要を行った。さらに池田大作は1977(昭和52)12月、九州宮崎県日向市の定善寺法要に出向き、公衆の面前で過去の経緯について大石寺66世細井日達に陳謝して、頭を下げた。これで日蓮正宗と創価学会の不協和音は収まるかに見えた。

第1回全国檀徒大会1
 

(大石寺大講堂での第1回全国檀徒大会に臨席して説法した大石寺66世細井日達)

 

 

□正信会・檀徒とは元創価学会員で中身は創価学会員と何ら変わらず実質的な創価学会の分派

 

これで一旦は宗創問題が収束するかに見えた矢先、1978(昭和53)1月、新年の挨拶で大石寺で大石寺66世細井日達に面会した東京・信濃町の仏壇店・赤沢朝陽社長が、創価学会からの注文(命令)で、数体の板本尊を模刻したことを独白。これに驚いた大石寺66世細井日達法主は、娘婿の大宣寺住職・菅野慈雲(日龍)氏にこれを調査するように命令。菅野慈雲(日龍)氏は東京・信濃町の創価学会本部に行って調査し、「大法弘通慈折広宣流布大願成就」「創価学会常住」の脇書が入った常住本尊を模刻した板本尊の他に7体の板本尊があることが発覚した。

これで再び日蓮正宗内部に“反創価学会感情”が高まり、1978(昭和53)年初頭からまた日蓮正宗と創価学会の対立が再燃した。大石寺では大石寺66世細井日達と日蓮正宗若手僧侶らによる時局懇談会が開かれ、この中で僧侶らの口から「創価学会破門」を含む対創価学会強硬論が取りだたされる。大石寺66世細井日達は「創価学会と手を切るのか、協調してやっていくのか、皆からアンケートを募りたい」とて、再び日蓮正宗末寺住職・僧侶を反創価学会に啓発した。これに驚いた池田大作ら創価学会首脳は、1978(昭和53)2月、2度にわたって大石寺に登山。大石寺66世細井日達に面会(目通り)をして、座敷の畳に頭をこすりつけんばかりに「何とか破門だけはしないでいただきたい」と言上。これにより日蓮正宗内部では「創価学会と手を切る」議論は打ち切りとはなったが、「対創価学会関係をどうするのか」とのアンケートは実施された。その結果、日蓮正宗末寺住職・僧侶からは、かなりの創価学会強硬論が噴出した。日蓮正宗末寺寺院では、毎月13日に宗祖・日蓮の「報恩講」(御講)を奉修し、住職が説法しているが、1978(昭和53)213日の御講から、日蓮正宗末寺寺院の中で反創価学会系僧侶が住職を勤める寺院で、創価学会批判の説法を行う共同歩調的創価学会批判がはじまった。この当時の日蓮正宗内部の反創価学会系僧侶が、池田大作教に染まった創価学会員を日蓮正宗の本来の信仰に目覚めさせるという「正信覚醒運動」の「活動家」と言われる僧侶。のちの「正信会」僧侶である。この「活動家」と呼ばれる僧侶が、御講で取り上げたのは、板本尊模刻問題をはじめとする創価学会の教義問題。それまで大石寺66世細井日達や日蓮正宗末寺住職の口から、池田大作や創価学会を励賛、褒め称える言葉しか聞いたことがなかった創価学会員たちは驚き、雪崩の如く創価学会を脱会して、日蓮正宗寺院に直属する信徒となった。これが日蓮正宗信徒でありながら、創価学会にも法華講にも所属していない「檀徒」(だんと)と呼ばれた人たちである。檀徒が数多く増えた日蓮正宗寺院では、独自の「檀徒会」という組織ができていった。この「檀徒」とよばれる人たちは、室町時代からの大石寺の最古参の檀家である「根檀家」(ねだんか)、室町時代、江戸時代、明治時代から大石寺や日蓮正宗末寺寺院の信徒だった「檀家」(だんか)とは全く別であり、「根檀家」「檀家」は俗に「旧信徒」と呼ばれる先祖代々からの法華講であり、「檀徒」とは元創価学会員の日蓮正宗信徒。元創価学会員とは言っても、中身は創価学会員と何ら変わって織らず、実質的な創価学会の分派である。

檀徒(正信覚醒運動歩み)1
檀徒(歩み)2
 

(1970年代に大石寺に登山した「檀徒会」・「正信覚醒運動の歩み」より)