■検証131・日蓮正宗や創価学会が唱える日蓮出世の本懐論の欺瞞25

 

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(日蓮正宗の妄説)

(「観心本尊抄」の「一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」の文を引いて)

これは大聖人様が、唯一の本懐の御本尊として本門戒壇の大御本尊を未来にお顕しになるための予言なのです。故に未来の一言として「立つべし」と仰せられている。大聖人様は決してこの約束を反故にされていません。そこのところをよく拝さなければならないわけです。

(日蓮正宗大石寺67世法主阿部日顕・夏期講習会2000H127.27講義)

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□日蓮の「日本は滅亡する」との予言は外れたが故に「一閻浮提第一の本尊」の建立はなかった

 

日蓮正宗は、日蓮の遺文(御書)「観心本尊抄」の

「此の釈に『闘諍の時』云々。今の自界叛逆・西海浸逼の二難を指すなり。此の時地涌千界出現して、本門の釈尊の脇士と為る一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし。月支・震旦に未だ此の本尊有さず」(観心本尊抄・御書全集p661)

一閻浮提第一の本尊此国に立つべし
 

の文にこじつけて、この「一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」と日蓮が予言した本尊が「戒壇の大本尊」なる板本尊だと言うのだが、ここに日蓮正宗独特の欺瞞的なカラクリがある。つまりこの大石寺67世阿部日顕の説法の中にもあるように、日蓮正宗側の妄説を見ていると、日蓮が「一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」と言ったことは、絶対に実現されているのだ、という決めつけを以て「観心本尊抄」の文を読み、その「一閻浮提第一の本尊とは『戒壇の大本尊』なのだ」という結論をもってくる。しかも日蓮正宗は、「一閻浮提第一の本尊とは『戒壇の大本尊』なのかどうか」について、歴史的な検証もしなければ、科学的な検証も一切何もしない。つまり日蓮正宗の論法は、「日蓮の予言は絶対に外れていない」という、勝手な決めつけだけの上に成り立っていると言える。日蓮は、その「文永の役」以降の遺文(御書)の中で次のように述べている。

「いまにしもみよ。大蒙古国数万艘の兵船をうかべて日本国をせめば、上一人より下万民にいたるまで、一切の仏寺・一切の神寺をばなげすてて、各々声をつるべて南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱え、掌を合はせてたすけ給へ日蓮の御房、日蓮の御房とさけび候はんずるにや。・・・・今日本国の高僧等も南無日蓮聖人と唱えんとすとも、南無計りにてやあらんずらん。ふびんふびん」(建治元年『撰時抄』日蓮54才・御書全集p866867)

いまにしもみよ日蓮御房日蓮御房
 

 

 

□「日本滅亡」予言がハズレた日蓮は「一閻浮提第一の本尊」を建立することなく入滅した

 

「又、今度寄せば、先には、にるべくもあるべからず。京と鎌倉とは但壱岐・対馬の如くなるべし。前に支度していずくへもにげさせ給へ。其の時は昔日蓮を見じ聞かじと申せし人々も、掌をあはせ法華経を信ずべし。念仏者・禅宗までも南無妙法蓮華経と申すべし」(建治元年『乙御前御消息』日蓮54才・御書全集p897)

京鎌倉は但壱岐対馬の如くなるべし
 

「日蓮一生が間の祈請並びに所願忽ちに成就せしむるか。将又五五百歳の仏記宛も符契の如し。所詮真言・禅宗等の謗法の諸人等を召し合はせ是非を決せしめば、日本国一同に日蓮が弟子檀那となり、我が弟子等、出家は主上・上皇の師となり、在家は左右の臣下に列ならん。将又一閻浮提皆此の法門を仰がん」(弘安元年『諸人御返事』・日蓮57才・御書全集p12111212)

日本国一同日蓮弟子檀那我弟子等出家は主上上皇の師
 

日蓮は、蒙古は再び日本に襲来してくるであろう。ゆえにその時こそ日本国は亡国となるが、梵天・帝釈等のはからいで、題目は一挙に日本国に広宣流布するであろうと。否、日本国亡国の前に、真言・禅宗の諸人らと公場対決して是非を決せば、日本国一同に日蓮が弟子檀那となるであろうと・・・言っている。その日蓮の予言は、「外国が攻めてくる」ところまでは当たったが、「日本は滅亡する」という予言はハズレた。即ち、日蓮は、蒙古が日本に襲来して日本が敗北した時に上行菩薩(日蓮)が出現して「一閻浮提第一の本尊」を日本の国に建立するであろう、と予言しているが、結局、日蓮は「一閻浮提第一の本尊」を建立することなく入滅したのである。「外国が攻めてくる」ことは攻めてきたが「日本は滅亡する」ことはなかった。したがって日蓮は、「一閻浮提第一の本尊」を建立することはなかったのである。

この大石寺67世阿部日顕の妄説を真に受けてか、日蓮正宗洗脳法華講員の者が、「観心本尊抄」の「一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」の文を「『戒壇の大本尊』日蓮造立を証明する文証」に、無理矢理でも「こじつけ」ようとしているが、笑止千万の妄説であり、ただの見苦しい「こじつけ」であると断ずるものである。

戒壇大本尊1大正4年由井本1
 

(大石寺「戒壇の大本尊」)