■検証56・「日蓮本仏義」日尊門流・京都要法寺偽作説は誤りである1
□京都要法寺に「日蓮本仏義」が派生した「事の戒壇」義・「富士山本門寺本堂」は存在しない
「日蓮本仏義」については、古来からさまざまな偽作説が唱えられてきており、「誰が、どこが日蓮本仏義を偽作したのか」については、20世紀に入ってからは、日尊を派祖とする日尊門流・京都要法寺偽作説が有力な偽作説として唱えられてきている。しかしながら「日蓮本仏義」京都要法寺偽作説は誤りであり、「日蓮本仏義」を偽作したのは京都要法寺ではなく、大石寺9世日有である。では「日蓮本仏義」を偽作したのは京都要法寺ではないという論拠・証拠は何か。
第1に京都要法寺は少なくとも要法寺13代広蔵院日辰の代から江戸時代寛政年間まで「造仏読誦」義だったのであり、大曼荼羅本尊に転換したのは江戸時代・寛政の法難以降のことである。「造仏読誦」の門流による「日蓮本仏義」偽作は有り得ない。
第2に、「日蓮本仏義」を派生させた「事の戒壇」義が京都要法寺には存在しないこと。曼荼羅本尊を祀る「事の戒壇」義が存在しない門流による「日蓮本仏義」偽作は有り得ない。
第3に、京都要法寺13代広蔵院日辰が、「日蓮本仏義」が説かれている「百六箇抄」「本因妙抄」について疑義を唱えていること。「日蓮本仏義」を偽作したのが京都要法寺門流なら、京都要法寺13代広蔵院日辰が「百六箇抄」「本因妙抄」に疑義を唱えるはずがない。
第4に、「事の戒壇」義の根本本尊となるはずの京都要法寺は「称徳符法の大本尊」が、古来の京都要法寺の文書・記録には全く載っておらず、京都要法寺が仏像本尊から大曼荼羅本尊に転換した江戸時代・寛政の法難以降に偽作された可能性が高いこと。以上の四点が「日蓮本仏義」を偽作したのは京都要法寺ではないという論拠・証拠である。
「日蓮本仏義」偽作解明の重大なポイントの第一が、偽書「百六箇抄」の本文中にある「富士山本門寺戒壇」「事の戒法」である。日蓮は広宣流布の日に建立する戒壇をどこに建てるかについては「霊山浄土に似たらん最勝の地」としか言っておらず、寺号も具体的には書き残さなかった。
ところが「百六箇抄」の偽作者は戒壇を建立すべき場所を「富士山」、戒壇を建立する寺院の寺号を「本門寺」としている。これは一体、どういう戒壇なのか。それは「百六箇抄」にある。
「四十二、下種の弘通戒壇実勝の本迹、 三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり」
(日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨編纂「富士宗学要集」1巻p18)
「又五人並に已外の諸僧等、日本乃至一閻浮提の外万国に之を流布せしむと雖も、日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべきなり」
(日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨編纂「富士宗学要集」1巻p21)
□造仏読誦の京都要法寺は日興嫡嫡相承の曼荼羅を祀る「事の戒壇」の偽作者ではない
「百六箇抄」にある「日興嫡嫡相承の曼荼羅」というのは、大石寺の「戒壇の大本尊」であり、「百六箇抄」の文意は、「戒壇の大本尊を富士山本門寺本堂の正本尊とすべし。この富士山本門寺本堂が三大秘法建立の勝地である」という意味である。すなわち「二箇相承」の「富士山本門寺戒壇」と「百六箇抄」の「富士山本門寺本堂」は同一のものであり、それは「日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為す」戒壇ということである。「本門事の戒壇」になるべき本尊堂(本堂または御堂とも言う)に安置するという「戒壇の大本尊」なる偽作板本尊を根本に据えて、本門の本尊・戒壇・題目という「三大秘法」という根幹の教義を完成させたのは、大石寺9世日有である。
この本門の本尊・戒壇・題目の中では、「戒壇の大本尊」なる偽作板本尊を祀る「戒壇」を中心にした「三大秘法」は、日蓮が説き明かした三大秘法ではなく、まさに大石寺9世日有が発明した、日有独自の三大秘法である。こんな三大秘法は、日蓮が全く説いていないばかりか、日蓮宗門史上、日本の仏教史上、誰一人説いた僧はいなかった。大石寺9世日有が、歴史上はじめて説いた「戒壇」中心の三大秘法。すなわち大石寺9世日有独自の三大秘法である。
こう言うと、「百六箇抄」京都要法寺偽作説者たちは、「その独自の戒壇を説いたのが京都要法寺なのだ」と、こう言う。つまり大石寺9世日有が偽作した「戒壇の大本尊」なる偽作板本尊を祀る「事の戒壇」を、京都要法寺の「称徳符法の大本尊」「附法の曼荼羅」を祀る「事の戒壇」にすり替えようとするのである。ところが残念ながら、この「百六箇抄」京都要法寺偽作説者たちによる大石寺9世日有独自の「事の戒壇」のすり替え作戦は全く成立しない。それはなぜか。
「百六箇抄」京都要法寺偽作説者たちによる大石寺9世日有独自の「事の戒壇」のすり替え作戦を論破するには、京都要法寺の歴史や教義との関連・研究が不可欠になります。それはどういうことなのか。大石寺9世日有が偽作した「戒壇の大本尊」なる偽作板本尊を祀る「事の戒壇」を、京都要法寺の「称徳符法の大本尊」「附法の曼荼羅」を祀る「事の戒壇」だとするのならば、少なくとも「百六箇抄」が成立した15世紀(1400年代)のころ、京都要法寺に「称徳符法の大本尊」「附法の曼荼羅」が存在していたこと。京都要法寺が「大曼荼羅本尊」だったこと。この二つが成立していなくてはならない。ところが京都要法寺に「称徳符法の大本尊」「附法の曼荼羅」の存在が確認できるのは江戸時代後半になってからのことであること。
□「百六箇抄」の「日興嫡嫡相承の曼荼羅の解釈」を論拠とした京都要法寺偽作説は誤りである
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/46252501.html
□京都要法寺偽作・称徳符法の大本尊を論拠とした「百六箇抄京都要法寺偽作説」は成立しない
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/46252836.html
□京都要法寺偽作・附法の曼荼羅を論拠とした「百六箇抄京都要法寺偽作説」は成立しない
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/46253279.html
(京都要法寺)
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