■検証61・「日蓮本仏義」日尊門流・京都要法寺偽作説は誤りである6

 

□上行院の三文字を論拠とした「日蓮本仏義」「百六箇抄」京都要法寺偽作説は誤りである

 

「日蓮本仏義」「百六箇抄」が、日尊門流・京都要法寺の偽作ではないかとする「京都要法寺偽作説」は、古くから指摘されてきたことである。「京都要法寺偽作説」の根拠は、「百六箇抄」の

「何れの在処為りとも多宝富士山本門寺上行院と号す可き者なり、時を待つ可きのみ云々」

(大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』1p22)

百六箇抄8(十万貫・日目大導師)
 

である。つまり、現在の日蓮本宗本山・京都要法寺の山号は、この「百六箇抄」に書いて有るとおり、日蓮正宗大石寺と同じ「多宝富士山」であり、「上行院」というのは、京都要法寺13祖貫首・広蔵院日辰が上行院・住本寺を合併して京都要法寺を建立する以前の寺号である。よってこの文によれば、京都要法寺が根本の本山であり、「事の戒壇」ということになり、この文が、「日蓮本仏義」「百六箇抄」京都要法寺偽作説の論拠とするものだが、しかしこの説は誤りである。

大石寺59世堀日亨は、創価学会「折伏大進撃」の宗創和合時代の創価学会教学理論誌「大白蓮華」に掲載された「堀上人に富士宗門史を聞く」の中で

「百六箇抄は本山(大石寺)には残っていない」(『富士宗門史』p90)

と述べている。ところが、堀日亨より約200年前に、大石寺法主だった大石寺26世日寛が、自らの著書「文底秘沈抄」の中で、「百六箇抄」の当該箇所を引用している。大石寺26世日寛は、次のように「百六箇抄」の当該箇所を引用して書いている。

「痴山日饒が記に云く『富士山に於いて戒壇を建立すべしとは…富士山本門寺の戒壇なり。故に百六箇抄に云わく、何れの在処為りとも多宝富士山本門寺と号す可き者なり云々…』

…百六箇抄に云わく、『日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべきなり…何れの在処為りとも多宝富士山本門寺と号す可し』」(『文底秘沈抄第二』p6668大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』3p9596)

日饒戒壇義1


日饒戒壇義2


 

大石寺26世日寛が引用している痴山日饒とは、京都要法寺24祖貫首・信行院日饒のことで、大石寺26世日寛は、要法寺貫首だった日饒の著書を引用する形で、「百六箇抄」の当該箇所を引用して書いている。それを見ると、当該箇所は「多宝富士山本門寺と号す可き」となっていて、「多宝富士山本門寺上行院と号す可き」とはなっておらず、「上行院」の三文字が抜けている。

京都要法寺24祖貫首・日饒は、自らの著書で「百六箇抄」の当該箇所を引用して、要法寺戒壇説を唱えた者なのだが、もし京都要法寺24祖貫首・日饒が所持していた「百六箇抄」に「多宝富士山本門寺上行院と号す可き」と書いてあったならば、上行院の三文字をわざわざ削除したりせずに、そのまま引用して書いたはずである。そのほうが、京都要法寺24祖貫首・日饒が要法寺戒壇説を展開していく上で有利になるからである。

 

 

□「上行院は祖師堂・弘通所は院号」を論拠とした「百六箇抄」京都要法寺偽作説は誤りである

 

しかし、京都要法寺24祖貫首・日饒が「多宝富士山本門寺と号す可き」と引用しているということは、京都要法寺24祖貫首・日饒が所持していた「百六箇抄」の該当箇所は、「多宝富士山本門寺と号す可き」となっていて、上行院の三文字はなかったということである。ということは、「百六箇抄」の該当箇所の「多宝富士山本門寺上行院と号す可き」の中の上行院の三文字は、京都要法寺24祖貫首・信行院日饒より後の時代に於いて、要法寺貫首によって加筆されたということである。したがって、「百六箇抄」には、元々「多宝富士山本門寺と号す可き」と書いてあったということになり、「多宝富士山本門寺上行院と号す可き」の中の上行院の三文字を根拠にした京都要法寺偽作説は、根拠を失ってしまうということになるのである。

「百六箇抄」要法寺偽作説の第二の根拠になっているものに、「百六箇抄」の文中

「四十三、下種の弘通戒壇実勝の本迹、 三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり」

の付文である「上行院は祖師堂云云弘通所は総じて院号なるべし云云」

(大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』1p18)

百六箇抄6(富士山本門寺本堂)
 

を挙げているものがある。上行院とは、京都要法寺が建立される前身の寺号である。「弘通所は総じて院号なるべし」とは、要法寺の塔中坊が全て、大石寺や北山本門寺、西山本門寺のように「○○坊」という坊号ではなく、「○○院」という院号になっていることから、これを「百六箇抄」京都要法寺偽作説の根拠にしているというものである。しかし、この文は「百六箇抄」京都要法寺偽作説の根拠にはなり得ない。「三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり」の文は、「百六箇抄」の末文の「日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべきなり」

(大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』1p21)

「何れの在処為りとも多宝富士山本門寺上行院と号す可き者なり、時を待つ可きのみ云々」

(大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』1p22)

百六箇抄8(十万貫・日目大導師)
 

に連動している文である。「三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり」「日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべきなり」の二つの文は、大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作した大石寺9世日有が発明した大石寺9世日有独自の「事の戒壇」義である。日蓮の教学・思想にもなければ、もちろん要法寺の教学・思想のものでもない。

□大石寺9世日有偽作の証拠・事の戒壇・本門寺本堂・本門寺戒壇

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_1150643.html

□大石寺9世日有「百六箇抄」偽作の証拠・「本門寺本堂」

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_701479.html

したがって大石寺9世日有独自の戒壇論の文である「三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり」の附文に「上行院は祖師堂云云弘通所は総じて院号なるべし云云」と書いてあること自体、まことに不審なのである。しかしながら前段で述べたように、「何れの在処為りとも多宝富士山本門寺上行院と号す可き者なり、時を待つ可きのみ云々」の上行院の三文字が、京都要法寺24祖貫首・日饒より以降の時代に於いて加筆されたものであるならば、同様に、「上行院は祖師堂云云弘通所は総じて院号なるべし云云」の文も、加筆された可能性が非常に高く、「百六箇抄」の元々の文に書いてあったというふうに認めることはできないのである。したがって、「上行院は祖師堂云云弘通所は総じて院号なるべし云云」の文を根拠にした、「日蓮本仏義」「百六箇抄」京都要法寺偽作説も根拠を失うことになるのである。

要法寺17表門


要法寺1本堂1
 

(現在の日蓮本宗本山・京都要法寺)

百六箇抄6(富士山本門寺本堂)


百六箇抄7(日興嫡嫡相承本堂正本尊)


百六箇抄8(十万貫・日目大導師)
 

(百六箇抄)