■検証10・日興が身延山久遠寺第二祖貫首に登座した史実は存在しない3

 

「本門弘通の大導師」でも「身延山久遠寺の別当」でもなかった大石寺二祖日興2

 

1282(弘安5)1014日の日蓮葬送の儀式がどのようなものであったか。日興が筆録した「御遷化記録」をもとにしてみると、当日の日蓮葬送の儀を執り行ったのは、日興ではなく大導師・日昭と副導師・日朗である。

先の「御遷化記録」の文をもう少し平たく書くとこうなる。

日蓮遷化記録4
 

日興は、後陣左にいることに注目してほしい。日興は日蓮の葬送の儀の棺桶のそばで行列に参列したということになる。もし日蓮が1282(弘安5)9月にあらかじめ日興を「本門弘通の大導師」に任命していたのなら、こういうことは、決して有り得ない。日興が日蓮葬送の儀の大導師をつとめたことだろう。このように日蓮正宗や創価学会の教学の説明は、まるで矛盾と欠陥だらけなのである。日興筆の御遷化記録には、身延山久遠寺の日蓮の墓番についても述べている。

それを受けて日蓮の入滅後、弘安六年正月、弟子たちは「輪番制度」を定めて、日蓮の墓守をすることを定めている。

「定め、次第不同

墓所守る可き番帳の事。

正月 弁阿闍梨(日昭) 二月 大国阿闍梨(日朗) 三月 越前公 淡路公

四月 伊与公 五月 蓮華阿闍梨(日持) 六月 越後公 下野公 

七月 伊賀公 筑前公 八月 和泉公 治部公 九月 白蓮阿闍梨(日興) 

十月 但馬公 卿公 十一月 佐土公 十二月 丹波公 寂日房

右番帳の次第を守り懈怠無く勤仕せしむべきの状件の如し。

弘安六年正月 日」

(大石寺59世堀日亨の著書「富士日興上人詳伝」p209)

身延山久遠寺番帳事(日蓮宗学全書)
 

(「日蓮宗宗学全書」2巻に収録されている日興筆「身延山久遠寺番帳事」)

 

日蓮宗宗学全書2巻
 

 

□日興が身延山久遠寺第二祖に登座していたら日蓮葬送の儀の脇に参列しているはずがない

 

これを見てもわかるように、日興は本門弘通の大導師でもなければ、身延山久遠寺の別当でもなかった。日興はあくまでも多数の弟子たちの中の一人にすぎなかったのだ。

第一、身延山久遠寺の別当だったら、墓守の輪番の一人に名を連ねるわけがない。別当というのは、現在の総本山寺院の住職・一宗の法主という意味である。

以上のことからも、「二箇相承」は後世の偽作であるニセ文書と断定されるが、これに対して日蓮正宗や創価学会は「二箇相承書は秘密文書の中の秘密文書だったのだから、ほかの弟子たちが知らなかったのは当然だ」という論法で、これに反論する。

しかし「本門弘通の大導師」や「身延山久遠寺の別当」に任命されたということを一門の僧侶や信者に秘密のままにしておくというのはおかしい。こういうことはむしろ積極的に公表していかなければ、教団の統制がとれないのではないのか。現在でも日蓮正宗では、前法主の隠退や死去などによる法主の交代を秘密にせず、公表してはているではないか。

それに「二箇の相承」が秘密文書だと言うのならば、なぜ日蓮正宗や創価学会は、この二箇相承書を堂々と『御書全集』に載せているのか。日蓮が仮に秘密文書だと言ったならば、現在でも公開せず秘密文書のままにしておくべきなのではないのか。それが日蓮の教えを守るということではないのか。

「戒壇の大本尊」なる板本尊にしろ「二箇相承」にしろ何にしろ、深く追求すればするほど、日蓮正宗や創価学会の教学の矛盾と欠陥が次々と露呈してくるのである。

日蓮遷化記録(日蓮宗学全書)1


日蓮遷化記録(日蓮宗学全書)2


日蓮遷化記録(日蓮宗学全書)3
 

(「日蓮宗宗学全書」2巻に収録されている日興筆「日蓮遷化記録」)

御遷化記録(御書全集)1


御遷化記録(御書全集)2


御遷化記録(御書全集)3
 

(日蓮正宗が編纂した『平成新編・日蓮大聖人御書』p1863に載っている「御遷化記録」)

要山13日震書写の二箇相承(諸記録)
 

(能勢順道氏編纂『諸記録』第4部に載っている京都要法寺13祖日辰書写「二箇相承」)

大石寺14日主書写二箇相承(諸記録)
 

(能勢順道氏編纂『諸記録』第4部に載っている大石寺14世日主書写「二箇相承」)

北山9日出書写二箇相承(諸記録)
 

(能勢順道氏編纂『諸記録』第4部に載っている北山本門寺9代日出書写「二箇相承」)

北山11日健書写二箇相承(諸記録)
 

(能勢順道氏編纂『諸記録』第4部に載っている北山本門寺11代日健書写「二箇相承」)


二箇相承3
 

(1970年刊『仏教哲学大辞典』に載っている『二箇相承』