■検証70・「日蓮本仏義」偽作の動機2・大石寺を日蓮一門の総本山にするため3

 

□「戒壇の大本尊=日蓮=本仏」の教義で大石寺の総本山化を計った大石寺9世日有

 

大石寺9世日有は、「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作し、「戒壇の大本尊=日蓮=本仏」という教義理論を以て、大石寺の総本山化を計った。「総本山たる寺院に『本仏』が住む」という大石寺教学は、大石寺9世日有が発明した教学理論であるが、大石寺9世日有の後継の大石寺法主は、この大石寺9世日有が偽作した「戒壇の大本尊=日蓮=本仏」という教義を以て、大石寺の総本山化を計る路線を忠実に走って行った。そのことは、そのまま日蓮正宗大石寺9世法主日有が「日蓮本仏義」を偽作した動機が「大石寺の総本山化のため」であるということを証明している。

大石寺9世法主日有の代は、「戒壇の大本尊=日蓮=本仏」という教義理論にとどまっていたが、次の大石寺12世日鎮は、1522(大永2)年に大石寺境内に、御影堂を造立し、ここに大石寺6世日時が造立した日蓮の御影像(木像)を造立した。御影堂という堂宇は、大石寺が「常に此処に日蓮大聖人が住まわれて説法(常住此説法)される堂宇」と意義づけている堂宇であり、大石寺の御講や霊宝虫払大法会・御大会の二大法要、50年に一度の日蓮、日興、日目の遠忌法要の法主の説法も、ここ御影堂で行われる。富士門流の本山寺院・北山本門寺には「生御影」と称する日蓮御影が祀られた御影堂が古くから存在しており、北山本門寺では御影堂を中心堂宇と位置づけている。大石寺の御影堂造立は、北山本門寺の御影堂に対抗して大石寺に御影堂を造立して「総本山」の看板を明確にするという大石寺の意図がミエミエである。

そしてさらに1632(寛永9)年、大石寺17世日精が、阿波国(徳島県)徳島の城主・蜂須賀至鎮の夫人・敬台院の寄進を元にして、御影堂を再建・造営し、御影堂の表玄関に「本門戒壇堂」と書いた棟札を出している。御影堂には、建物全面ではないものの、多くの箇所に金箔が張られているといった豪華絢爛な堂宇であった。その後も大石寺法主はこの御影堂を、総本山大石寺境内の中心堂宇として、度々、修理・改修している。大石寺側の記録によれば、1699(元禄12)年・大石寺24世日永の時、1902(明治35)年・大石寺56世大石日応の時、1972(昭和47)年・大石寺66世細井日達の時に、御影堂の改修工事が行われており、さらに2009年の日蓮・立正安国論750年事業としても、御影堂改修工事が数年かけて行われている。つまり大石寺においては、日蓮の御影を祀っている御影堂という堂宇は、日蓮が「常住此説法」している堂宇であり、その日蓮=本仏と意義づける「日蓮本仏義」という教義理論は、そのまま、大石寺が日蓮宗総本山・身延山久遠寺や富士門流総本山・北山本門寺といった他門流の本山寺院に優越する寺院であることを誇示する教学理論ということになる。これが「御影堂造立」というふうに具体化したのは大石寺12世日鎮以降のことであるが、根源を辿れば、日鎮の先代法主である大石寺9世日有が偽作した「日蓮本仏義」にほかならないのである。

 

 

□大石寺9世日有の「戒壇大本尊」偽作で「戒壇大本尊」=日蓮本仏義が必要になった

 

大石寺9世日有が「日蓮本仏義」「唯授一人の血脈相承」を偽作する必要性が発生したのは、大石寺9世日有自身が「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作して、これを日蓮仏法の「終窮究竟の本尊」「事の戒壇に祀る本尊」としたからである。大石寺9世日有が、「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作して日蓮真筆だなどと詐称し、日蓮正宗大石寺門流の中心・根本の本尊(法の本尊と日蓮正宗が呼んでいる)に据えた以上、日蓮を根本の仏(末法の本仏・人の本尊と日蓮正宗が呼んでいる)に据えないと、日蓮正宗大石寺門流の教義の骨格の辻褄が合わなくなる。仏教の本仏思想においては、基本的に本仏=本尊ということになる。日蓮正宗系の教団以外の日蓮宗・法華宗等では釈迦牟尼如来を本師・本仏として、釈迦牟尼如来の仏像を造立する宗派もあれば、大漫荼羅を本尊としつつも、戒壇建立の暁には、仏像造立すべきとする宗派もある。

大石寺9世日有は、「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作して、「当宗の本尊の事、日蓮聖人に限り奉るべし」(日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨が編纂『富士宗学要集』1p65)

当宗本尊事、日蓮聖人限奉るべし
 

と、「日蓮を本尊とすべき」とはっきりと明示し、これを「戒壇の大本尊」=日蓮としたのだが、そうすると、必然的に釈迦牟尼本仏義では、「戒壇の大本尊」を終窮究竟の本尊とする大石寺9世日有教学では、根本教義が矛盾してしまう事になる。つまり本師・本仏=本尊で、大石寺9世日有は「戒壇の大本尊」=日蓮として、「日蓮を本尊とすべき」としたわけだから、釈迦牟尼本仏義では矛盾してしまう。釈迦牟尼から相承を受けた上行菩薩が末法の世に再誕した僧侶・日蓮という位置づけでは、『本仏』よりも格下の『僧』が根本の『本尊』を説いたことになり、教義が自己矛盾に陥ってしまう。大石寺9世日有は、諸所の説法に於いて

「当宗の本尊の事、日蓮聖人に限り奉るべし」(日蓮正宗大石寺59世法主・堀日亨編纂『富士宗学要集』1p65)

当宗本尊事、日蓮聖人限奉るべし
 

「高祖(日蓮)大聖は我れ等が為に三徳有縁の主師親・唯我一人の御尊位と云へり」(日蓮正宗大石寺59世法主・堀日亨が編纂した『富士宗学要集』2p159)

 

と説き、又、大石寺9世日有の弟子である左京阿闍梨日教も

「本門の教主釈尊とは日蓮聖人の御事なり」 (『富士宗学要集』2p182収録の左京阿闍梨日教の著書「百五十箇条」より)

高祖大聖は我等為に三徳有縁主師親・唯我一人御尊位
 

「当家には本門の教主釈尊とは名字の位・日蓮聖人にて御座すなり」

(『富士宗学要集』2p320収録の左京阿闍梨日教の著書「類聚翰集私」より)

当家本門教主釈尊名字位日蓮聖人
 

等と説いているが、大石寺9世日有が「戒壇の大本尊」なる板本尊を日蓮仏法における終窮究竟・最極の本尊と位置付けるには、はっきりと「日蓮=本尊=本仏」とする教学が必要になるということである。日蓮正宗が、教義の中でも最重要教義としている「本門事の戒壇」に祀る「戒壇の大本尊」なる豪華絢爛な板本尊の“造立主”は、『本仏』でなければならないのである。

戒壇大本尊1大正4年由井本1


戒壇大本尊2大正4年由井本2


戒壇大本尊3
 

(大石寺「戒壇の大本尊」)

9世日有3(諸記録)
 

(能勢順道氏の著書『諸記録』に載っている大石寺9世日有の肖像画)