■検証15・日興が身延山久遠寺第二祖貫首に登座した史実は存在しない8

 

□日蓮遷化記録の「定」と二箇相承の矛盾をごまかす大石寺65世日淳の妄説を斬る

 

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(日蓮正宗大石寺65世法主堀米日淳の妄説)

(日蓮は)六弟子を定めて法臘(ほうろう=僧になってからの年数)の順に記録なされたが、それは自ら順位を示すものである。然るに大聖人の思召しは平等にあらせられた故に、わざわざ「不次第」と御書入れがあつたと拝するが妥当であらう。しかし、もう1歩進んで考へると、「不次第」と仰せられしは上を抑えて下を上げてをると解釈できる。さすれば、次第不順で相違を法臘(ほうろう)以外に御認めなされたからといふべきである」

(大石寺65世堀米日淳『日淳上人全集』p1268より)

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日蓮が日興一人を唯一の後継法主として血脈を相承し、身延山久遠寺の別当に任命したとする「二箇相承」は、日蓮が六老僧を定めた「定」と矛盾するという指摘に対して、「矛盾しない」とする日蓮正宗側の代表的な弁明が、上記の大石寺65世堀米日淳法主の弁解である。

「定」が書かれている「御遷化記録」という文書は、国の重要文化財に指定されているほどの古文書であり、日興の真筆が西山本門寺に格蔵されているので、日蓮正宗としてもこれを否定のしようがない。したがって、堀米日淳のような弁解になってしまうようだが、まことにもって苦しい弁解といわざるを得ないだろう。 と言うか、日蓮正宗側の弁解は、まるで弁解になっていないものである。

ここの最大の論点は、日興が日蓮から血脈付法の弟子であると指名されたならば、その付法は日蓮一期弘法付嘱書によれば、すでに1282(弘安5)9月に行われているのであることからして、「定」の序列を「不次第」とする必要は全くなく、日興は序列の最上位に置かねばならないはずである。 又、敢えて「定」の序列を「不次第」とするのであれば、日興を最上位にして、五老僧の序列を「不次第」とするものでなければ、おかしいのに、それがなされていないということである。

ただ日蓮正宗側の弁解を読むに当たって注意しなければならないのは、「不次第」という言葉について、日蓮正宗側の弁解の中で述べられている様々な「不次第」の解釈は、日蓮や日興の解釈などではなく、堀米日淳をはじめ、個人的に勝手な解釈をしているに過ぎないということ。

つまり日蓮正宗は、「不次第」の意味を、自分たちに都合のいいように、ねじ曲げて解釈しているだけなのである。 「不次第」という言葉は、「次第」を否定した言葉であるが、「古語辞典」によると「次第」の言葉の意味は、次のように書いてある。

(1)順序。正しい順序 (2)一部始終、由来。事情。(3)能楽用語。登場の囃子のひとつ。」

つまり「定」の序列が「不次第」と書かれているのは、六老僧の序列が正しい順序で書かれていないということである。 その正しい順序とは、堀米日淳も認めているとおり法臘、つまり僧になってからの年数ということに他ならない。 だからこそ、日蓮の葬儀の大導師は、法臘最上位の日昭が勤め、副導師は法臘第二位の日朗が勤めたのではないか。日興は、日蓮の葬儀では、大導師でもなければ副導師でもなかった。 日興が日蓮から「本門弘通の大導師」「身延山久遠寺の別当」に任命されていたならば、「定」の最上位にランクされ、日蓮の葬儀の大導師を勤めたはずである。 つまりこれらの事実からして、この「定」の存在そのものが、「二箇相承」が存在しなかった証拠に他ならない。 堀米日淳の弁解は、二箇相承の矛盾を隠蔽しようとする、ごまかしの詭弁である。

 

 

□本当に血脈相承があったら日興自身が日蓮から血脈相承を受けた後継者だと宣言したはずだ

 

(日蓮正宗の妄説)

「うちこしうちこし直(ぢき)の御弟子と申す輩(やから)が、聖人の御ときも候しあひだ、本弟子六人を定めをかれて候。その弟子の教化の弟子は、それをその弟子なりと言はせんずるためにて候」(日興筆『佐渡国法華講衆等御返事』)

吾人(堀米日淳のこと)は、六老を定められた理由は『報佐渡国講衆書』(※『佐渡国法華講衆等御返事』)に仰せられた通りと拝する。勿論此の御手紙は弟子関係の乱れを防ぐためのものであるから特にかく仰せられたので、此の他に教団の中心たれとの思召しがあらせられたと拝することができる。(日蓮正宗大石寺65世法主堀米日淳『日淳上人全集』1268頁)

 本弟子6人が定められた真の理由は、各地の僧俗が本弟子を通じて大師匠である大聖人を拝していく、その師弟の筋目を明確にすることにあったのです。ですから、本弟子6人が定められたことと日興上人の付嘱とは、別問題であり、まして、入門の順番によって日興上人への付嘱が否定されることなど、絶対にありえないのであります。

(日蓮正宗謀略機関紙「慧妙」平成1761日号より)

 

堀米日淳も「慧妙」も、日興が信者に書いた消息文である「佐渡国法華講衆等御返事」を根拠に、日蓮が六老僧を定めた理由は、弟子関係の乱れを防ぐためのものであり、「だから『定』は、『二箇相承』とは矛盾しない」という反論をしてくるが、これは論理が全く逆である。もし「二箇相承」「唯授一人血脈相承」が本当に存在していて、日蓮が弟子関係の乱れを防ぐために六老僧を定めたとすれば、日興は「佐渡国法華講衆等御返事」という名前の消息文の中で、こんな言い方をしなかったはずである。まず日興自身が日蓮から血脈相承を受けた後継者であることを宣言して、それから本弟子六人が定められたと言ったはずである。「二箇相承」「唯授一人血脈相承」が本当に実在していたのであれば、当然、そう言わなければ、おかしいではないか。それが、日興が「唯授一人血脈相承」については一言も言わずに、日蓮が「本弟子六人を定め」たことだけを述べているのは、この「佐渡国法華講衆等御返事」という名前の消息文は、むしろ「二箇相承」「唯授一人血脈相承」なるものが存在していなかった証拠である。日蓮正宗は、ありとあらゆる古文書の文を、「二箇相承」「唯授一人血脈相承」が存在したことにしようと、なんとしても「二箇相承」「唯授一人血脈相承」に結びつけようとして、論理を組み立てようとしているようだが、これも同じである。「佐渡国法華講衆等御返事」の文を、無理矢理にでもねじ曲げて解釈し、「二箇相承」「唯授一人血脈相承」があったことにしようとしているから、論理がひっくりかえっている。日蓮正宗の、こんな「へそ曲がりな」解釈を信じて疑わないのは、日蓮正宗の信者だけだろう。

佐渡国法華講衆御返事1


佐渡国法華講衆御返事2


歴代法主全書1巻1
 

(佐渡国法華講衆御返事「日蓮正宗歴代法主全書」1p182184)

要山13日震書写の二箇相承(諸記録)
 

(能勢順道氏編纂『諸記録』第4部に載っている京都要法寺13祖日辰書写「二箇相承」)

大石寺14日主書写二箇相承(諸記録)
 

(能勢順道氏編纂『諸記録』第4部に載っている大石寺14世日主書写「二箇相承」)