■検証17・日興が身延山久遠寺第二祖貫首に登座した史実は存在しない10

 

□日蓮は滅後の導師・戒壇・授戒・ビジョンを弟子たちに何一つ明示しないまま入滅した

 

日蓮正宗や創価学会、顕正会等「日蓮正宗系」カルト教団の「唯授一人血脈相承」「二箇相承」の議論は、「日蓮は絶対に誰かを第二祖として血脈相承をした」という前提になっているが、そもそもこの前提が間違っている。日蓮は最後の最後まで自分の滅後のビジョンを弟子たちの前ではっきり明示しなかった。日蓮は「南無妙法蓮華経を唱える」という唱題行で一切衆生皆成仏道を説いたが、しかし佐渡流罪・身延山入山以降は、唱題、本尊、戒壇の三大秘法を説いた。しかし日蓮は、三大秘法の詳細や滅後の大導師について、ついに最後の最後まではっきりと明示しなかったのである。日蓮は、観心本尊抄、報恩抄で本門の本尊とは、釈迦如来仏像、ないしは十界の立体本尊であると説いた。そして観心本尊抄では、自界叛逆難・他国侵逼難の二難が到来した後、「一閻浮提第一の本尊」が立つとした。この時の日蓮の頭の中には、自分の在世中に蒙古が襲来して日本が滅亡し、然る後に日蓮が説き明かした仏法が弘まる、との基本認識があった。

そもそも日蓮は、立正安国論の諫言を聞き入れない鎌倉幕府・日本国は蒙古襲来で滅亡し、その後に日本国中に南無妙法蓮華経が弘まると考えていた。つまり日蓮は自分の在世中に南無妙法蓮華経の仏法が日本一国に広宣流布すると考えていた。しかし1281(弘安4)の、いわゆる「弘安の役」で、日蓮の日本滅亡の予言、日本滅亡の後に日蓮の題目が一気に広宣流布するという予言は完全に外れた。しかし二度の蒙古襲来でも日本は滅亡せず、南無妙法蓮華経も弘まらなかった。予言が外れた日蓮は、身延山の草庵で重い病に伏せる。気落ちした日蓮は、病が次第に重くなっていく。しかしこれでは日蓮に入門した弟子・信者が納得しない。

「祖師の滅後はどうしたらいいのか」「朝廷公認の僧になるにはどこで授戒したらいいのか」

日蓮は重い病の中、自分の滅後のビジョンを弟子の前に示す必要性に迫られた。

しかし自分の在世中に南無妙法蓮華経の仏法が日本一国に広宣流布すると考えていた日蓮が、重い病の中、自分の滅後のビジョンを弟子の前に示せるはずがない。

日蓮は弘安五年(1282)4月になって、ようやく「三大秘法抄」を執筆して釈迦如来本尊・王仏冥合の時の戒壇建立は示した。しかし、授戒の戒壇についてはついに示さなかった。日蓮は戒壇について、「三大秘法抄」で王仏冥合の暁の戒壇建立は説いたものの、僧侶授戒の戒壇院はどうするのか、最後の最後まで説き明かさなかった。このことが日蓮入滅後、日蓮門下が分裂していく大きな原因になる。六老僧でも日昭は比叡山延暦寺戒壇説を採り、他の門流は日蓮門下の独自戒壇建立説を唱えたりもするが、日像の京都開教とそれに伴う日蓮門下と比叡山延暦寺の対立が起こり、比叡山延暦寺の戒壇での授戒は消え去り、「天文法華の乱」で、日蓮門下の独自戒壇建立も消えてしまう。

妙顕寺36
 

(京都妙顕寺)

 

 

□弘教が中途半端な形で終わり授戒の戒壇等を示せない欠陥仏法として残った日蓮の仏法

 

日蓮は入滅の一週間前になって、ようやく六老僧を選定し、経一丸・日像に京都開教を遺命した。

日昭・日朗・日向らが日蓮滅後に「天台沙門」を名乗ったという資料があることからして、日蓮は比叡山延暦寺で授戒せよと言っていた可能性もある。しかし日像の京都開教により、京都妙顕寺が勅願寺になったことで、日蓮宗は比叡山延暦寺と対立関係になる。

このように日蓮の弘教は、晩年、実に中途半端な形で終わっている。中途半端で終わったので、日蓮滅後、授戒の戒壇等をはっきり示さなかった欠陥のある仏法として残った。

文字曼荼羅を図顕した矛盾、滅後のビジョン、三大秘法の詳細、戒壇での授戒をはっきり明示しなかった矛盾等々、数々の欠陥がある。欠陥があるが故に、題目絶対とか、本尊絶対とか、戒壇の大本尊絶対とかの「絶対論」に陥ると、一気に矛盾が噴出する。

さらにこの他に、六老僧の門下では本門寺思想の是非、釈迦仏像正意なのか、曼荼羅正意なのか等についても鋭い対立が起きる。いわゆる日昭、日朗、日向門流、中山門流と日興門流の対立である。この対立が日蓮滅後、十年も経たないうちに起こり、今日に至るまでつづいている。

日蓮が根本教義である「三大秘法」について、あいまいな教示しか残さなかったことにより、日蓮の仏法は唱題行中心の仏法として後世に残った。

これを法然、親鸞の浄土宗、浄土真宗と比較するとわかりやすいのではないか。

例えば浄土真宗では、宗祖・親鸞、本尊・阿弥陀如来、修行は南無阿弥陀仏を唱える。浄土三部経、正信偈を読むと決まっている。浄土真宗も十派に別れているが、宗祖、本尊、修行についての相違はほとんどないに等しい。浄土真宗の本尊は阿弥陀如来だが、本物もニセモノもない。

阿弥陀如来仏像も阿弥陀如来絵像も、誰が造立しても、誰が描いても、ひとたび開眼すればそれは本尊である。この図式は、基本的に他の仏教宗派でも同じである。

仏像を本尊とする宗派に、本尊の本物・ニセモノ論争は基本的に存在しない。日蓮を宗祖とする日蓮宗の本尊は一塔両尊四士の仏像だが、日蓮が造立したとかしないとかを問題にしていない。よって仏像本尊について、本物・ニセモノ論争は存在しない。しかし日蓮の曼荼羅正意だとか、あるいは日蓮本仏義等を言い出すと、「本当に日蓮が造立したのか」「日蓮の真蹟なのか」等々の本物・ニセモノ論争がわき起こる。本物・ニセモノ論争は、日蓮正宗特有の教義的矛盾から沸き起こるものという言い方もできよう。

要山13日震書写の二箇相承(諸記録)
 

(能勢順道氏編纂『諸記録』第4部に載っている京都要法寺13祖日辰書写「二箇相承」)

大石寺14日主書写二箇相承(諸記録)
 

(能勢順道氏編纂『諸記録』第4部に載っている大石寺14世日主書写「二箇相承」)

二箇相承3
 

(1970年刊『仏教哲学大辞典』に載っている『二箇相承』