■検証71・「日蓮本仏義」偽作の動機3・信者からの金銭収奪システムを確立するため1

 

□大石寺が信者から未来永劫にわたり安定的に金銭を収奪するシステムを確立させるため

 

日蓮正宗大石寺9世法主日有(14021482・法主在職1419146714721482)が「日蓮本仏義

」を偽作した3番めの動機は、大石寺が信者から供養金などの名目で、未来永劫にわたって金銭を収奪していくという安定したシステムを確立させるためである。

大石寺9世日有以前の大石寺には法主や所化僧が居住する十軒四面の大坊・六壺、蓮蔵坊をはじめとする塔中の宿坊ぐらいしか伽藍がなかった。 根本本尊も定まっていなければ、大石寺に参詣する信者もほとんどおらず、大勢の信者が集って法要を行う建物もなかった。 たまに大石寺門流の信者が参詣して、微々たる供養を置いていくだけのものでしかなかった。大石寺は1330年代から70年つづいた保田妙本寺・小泉久遠寺の日郷門流との戦争によって、大きく人的にも経済的にも疲弊していた。しかし京都天奏で上洛した折りに、京都の仏教大寺院の威容をはじめて目の当たりにした大石寺9世日有にとって、これはたいそう衝撃的なものに映ったであろう。

京都や鎌倉の大寺院は、天皇、公家、将軍、幕臣、守護大名といった有力者の帰依による供養で、莫大な経済力を保持していたが、その一方で一般庶民の参詣による供養もあった。 京都では、このころすでに貨幣経済や商工業の発達で、有徳人・町衆と呼ばれる裕福な人たちが多くいた。京都の寺院は、こういった裕福な商工業者の参詣供養によっても懐が潤っていた。京都や鎌倉の大寺院は、天皇、公家、将軍、幕臣、守護大名といった有力者の帰依による供養で、莫大な経済力を保持していたが、その一方で一般庶民の参詣による供養もあった。 京都では、このころすでに貨幣経済や商工業の発達で、有徳人・町衆と呼ばれる裕福な人たちが多くいた。京都の大寺院は、裕福な商工業者の参詣供養によって、懐が潤っていたのである。 天台宗総本山・比叡山延暦寺、園城寺、浄土宗総本山・知恩院、東寺真言宗総本山・東寺、真言宗醍醐派総本山・醍醐寺、律宗総本山・唐招提寺、華厳宗大本山・東大寺等々といった大寺院には、まず「仏」としての根本本尊が定まっていた。その根本本尊である「仏」に、天皇、公家、将軍、幕臣、守護大名・裕福な商工業者・一般庶民が供養金を持っていくるという「金銭収奪システム」が確立されていた。

仏教寺院が自宗派自門流の信者から供養金を集めるには「仏」が寺院にいなくてはならない。「僧」は「仏」に供養金を取り次ぐ者であって、「僧」が信者から供養金を受けるわけではない。大石寺9世日有以前の大石寺は、宗祖を日蓮とする宗旨であっても、日蓮、日興、日目の正墓があるわけでもなく、釈迦牟尼本仏義で単に大漫荼羅を本尊とする宗旨では、信者からの供養金は入って来ないことに、大石寺9世日有は気づくのである。大石寺が信者から安定的に供養金を集めていくには、大石寺に「本仏」が必要なのであり、「本仏」を「究極の本尊」の秘仏として大石寺の堂宇に祀る必要があった。

しかし日興門流の大石寺は、京都や奈良の大寺院のように、釈迦牟尼の仏像を本尊にするわけにはいかない。そこで大石寺9世日有は「前代未聞」「未聞未見」の「戒壇大本尊」なる板本尊を偽作し、「百六箇抄」を偽作して「日蓮本仏義」なる教義を発明し、「戒壇の大本尊」=日蓮=本仏と定義づけた。これによって、大石寺門流の信者が大石寺に登山参詣して、「戒壇の大本尊」なる板本尊=本仏に供養金を差し出し、未来永劫にわたって安定して大石寺が信者から金銭を収奪していくシステムを確立したのである

 

 

□日蓮正宗大石寺9世法主日有以前の大石寺には参詣信者が皆無に等しかった

 

身延山久遠寺の日蓮の廟所は、日蓮一門の宗祖・日蓮の真骨が納められた正墓であり、又、北山本門寺の日興の廟所は、富士門流の開祖・日興の真骨が納められた正墓である。又、京都・鳥辺山の要法寺開山廟所(今の實報寺)は、日興本六僧の筆頭・日目、日興の高弟で京都布教の開祖・日尊の真骨が納められた日目、日尊の正墓である。西山本門寺の廟所には、ひとたびは北山本門寺の開祖・日興の後継に指名された日代の正墓があり、讃岐本門寺の廟所には本六僧・日仙の正墓があり、富士妙蓮寺の廟所には、本六僧・日華の正墓がある。

総本山とか本山とか呼ばれる大寺院には、その宗派の宗祖、開祖、派祖の正墓があり、そこには墓参の僧侶や信者が参詣に訪れ、供養金を置いていく。中でも身延山久遠寺の日蓮廟参詣の信者が歩く道が、「身延道」として地域の街道に発展したことは有名である。だから、身延山久遠寺、北山本門寺、京都要法寺、西山本門寺、讃岐本門寺、富士妙蓮寺、小泉久遠寺といった本山には、信者からの供養金収奪・金銭収奪システムの確立のために、わざわざ「日蓮本仏義」や日蓮真筆を詐称する「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作しなければならない動機が全くない。しかし大石寺には、宗祖・日蓮の正墓もなく、開祖・日興の正墓もなく、三祖・日目の正墓も全く存在しない。大石寺墓苑に正墓があるのは、大石寺4世日道以降の墓である。大石寺4世日道は、開祖・日興の本六僧や他の新六僧の日郷と比較すると、さしたる功績もなく知名度も低い。

したがって、大石寺に日蓮、日興、日目の墓参に訪れる僧侶や信者は全くいないばかりか、墓参の僧侶・信者がいないということは、身延山久遠寺、北山本門寺等々の日蓮宗本山寺院のように、墓参信者からの供養金が入ってくるということは、全くないということである。大石寺6世日時~8世日影の代に大石寺の経済状態が極貧寺の状態に転落したのは、大石寺門流と日郷一門との間の「蓮蔵坊七十年紛争」の他に、こういったことも、大きな要因のひとつだったと言えよう。

したがって、大石寺9世日有にとって、大石寺門流における信者からの安定した「供養金収奪システム」「金銭収奪システム」をいかに確立するかという問題は、まさに切実な問題であった。そこで大石寺9世日有は、1432(永享4)年の京都天奏の旅で、実際に京都・奈良の仏教大寺院で見た「本仏・本師」を根本本尊に祀って、信者から供養金を集めるシステムを考案した。つまり京都・奈良の仏教大寺院のシステムを、そっくりそのまま大石寺門流に輸入したのだ。しかし大石寺9世日有が大石寺の根本本尊として祀った「本仏・本師」は、京都・奈良の仏教大寺院のような釈迦如来像、阿弥陀如来像、薬師如来像といったものではない。宗祖・日蓮を本仏とする「日蓮本仏」であり、日蓮本仏=「戒壇の大本尊」なる板本尊として、大石寺宝蔵に格蔵し祀った。そして近隣の信者、全国遠近から大石寺に登山し、大石寺9世日有が偽作した「戒壇の大本尊」なる板本尊の「御開扉」を受け、御開扉供養として、金銭を大石寺に置いていった。まさに、現代の日蓮正宗にまで引き継がれている、信者からの供養金収奪システムは、大石寺9世日有の「戒壇の大本尊」「日蓮本仏義」「法主の血脈相承」の偽作によって成立したのである。

戒壇大本尊1大正4年由井本1
 

(大石寺「戒壇の大本尊」)

9世日有3(諸記録)
 

(能勢順道氏の著書『諸記録』に載っている大石寺9世日有の肖像画)

日蓮草庵跡2
 

(日蓮宗総本山・身延山久遠寺の日蓮廟所)