■検証77・「日蓮本仏義」偽作の動機4・大石寺を「事の戒壇」にするため4

 

□大石寺を比叡山延暦寺に超越する「事の戒壇」にしようとした大石寺9世日有の野望

 

比叡山延暦寺の「大乗戒壇」は、天台宗が広宣流布するしないに関わらず、比叡山延暦寺の総本堂である根本中堂の中央に秘仏の本尊を祀り、秘仏の本尊の前に「前立本尊」を祀り、比叡山延暦寺の戒壇堂では、いつでも僧侶に授戒している。日本古来からの戒壇である奈良・東大寺、唐招提寺、筑紫・観世音寺、下野・薬師寺の戒壇も、南都六宗の戒壇も自宗の広宣流布とは関係なく戒壇が勅許・建立されたことは同じ。そこで大石寺9世日有は、日蓮が定めた「戒壇」とは、別個の「事の戒壇」を造り上げ、大石寺を日蓮一門の本門「事の戒壇」にしてしまおうとしたのである。

その大石寺9世日有が造り上げた「事の戒壇」とは、自らが偽作した「戒壇の大本尊」なる板本尊を祀る場所。すなわち大石寺ということになる。つまり「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作して大石寺に祀ることによって大石寺は、いつでもどこでも「事の戒壇」ということになったのである。大石寺9世日有が「新池抄聞書」をという文書に残した説法の中で

「日有云く、また云く、大石は父の寺、重須は母の寺、父の大石は本尊堂、重須は御影堂、大石は本果妙、重須は本因妙、彼は勅願寺、此は祈願寺、彼は所開、此は能開、彼は所生、此は能生、即本因、本果、本国土妙の三妙合論の事の戒壇なり」(「富士日興上人詳伝・下」p84)

新池抄聞書1
 

というふうに、「此は能生、即本因、本果、本国土妙の三妙合論の事の戒壇」という教義を述べているが、これは、「戒壇の大本尊」なる板本尊が格蔵されている大石寺こそ「事の戒壇」であることを明示したものである。「戒壇」でも「事の戒壇」というのは、日蓮正宗が定義づけている教義で、いわば「衆生が事実の上で成仏する戒壇」というような意味で、総ての仏教寺院の総本山、根本の堂宇という意味になる。この「事の戒壇」に対する言葉が「理の戒壇」で、これは「理屈の上では戒壇であるが、衆生が成仏できない戒壇」という意味で、これは比叡山延暦寺の戒壇がそれに当たると、日蓮正宗は言っている。 つまり大石寺の「事の戒壇」は、比叡山延暦寺の「理の戒壇」「大乗戒壇」よりも優越すると、日蓮正宗は言っているわけである。

それにしても、大石寺の法主、僧侶は、比叡山延暦寺や東大寺などの日本古来からの戒壇の寺院に対して、これほどまでの劣等感を持っているのだろうか。実は、その劣等感は21世紀の現代にまで尾を引いている。その証拠の一つが、日蓮正宗大石寺が東大寺大仏殿そっくりで、「大仏殿がすっぽりと入る」などと宣伝した奉安堂を2002年に建立したことだ。この奉安堂が、現在の東大寺大仏殿がすっぽりと納まってしまう大きさであり、奈良、鎌倉時代の大仏殿と比較しても2倍以上の大きさとなることは、奉安殿の設計を担当した建築研究所アーキヴィジョン・広谷純弘氏が明かしている。又、奉安堂の外観は、まさに東大寺大仏殿を模して造られたかのように、そっくりにできている。これなどは、「日蓮正宗は、東大寺、延暦寺などの期成仏教の戒壇よりも優越なのである」という、奇妙な劣等感の裏返しに他ならない。

 

 

□大石寺を「事の戒壇」にするため「戒壇大本尊」「百六箇抄」を偽作した大石寺9世日有2

 

「大石寺を『事の戒壇』と定義づける」という大石寺9世日有の野心的な動機は、大石寺の歴代法主が、「戒壇の大本尊」なる板本尊を祀る大石寺の堂宇が「事の戒壇」であると定義づける説法を残していることによって証明されている。大石寺26世日寛の「寿量品談義」では

「未だ時至らざる故に、直ちに事の戒壇これ無しといえども、すでに本門戒壇の御本尊まします上は、其の住処は即戒壇なり」。同じく大石寺26世日寛の「法華取要抄文段」には

「広宣流布の時至れば一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。其の処は皆是れ義理の戒壇なり。然りと雖も仍是れ枝流にして、是れ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ち是れ根源なり」

大石寺43世日相の「大弐阿闍梨御講聞書」では「本門戒壇 在々処々本尊安置之処は理の戒也。富士山戒壇之御本尊御在所は事の戒也」

大石寺56世大石日応法主の「宝蔵説法」では「御遺状の如く、事の広宣流布の時、勅宣・御教書を賜り、本門戒壇建立の勝地は当国富士山なる事疑いなし。又其の戒壇堂に安置し奉る大御本尊、今眼前に当山に在す事なれば、此の所即ち是れ本門事の戒壇、真の霊山、事の寂光土にして、若し此の霊場に一度も詣でん輩は…」

大石寺60世阿部日開法主の「宝蔵説法」では「其の戒壇堂に安置し奉る大御本尊、今眼前に当山に在す事なれば、此の所即ち是れ本門事の戒壇、真の霊山、事の寂光土なり」

大石寺66世・細井日達法主の説法では「大御本尊のおわします堂がそのまま戒壇堂であります。…戒壇の御本尊は、特別な戒壇堂ではなく、本堂にご安置申し上げるべきであります」(1回正本堂建設委員会)

第1回正本堂建設委員会1


第1回正本堂建設委員会2
 

「大御本尊は…大聖人の一身の当体でありますから、本門戒壇の大御本尊安置のところは、すなわち、事の戒壇であります」(197053日の創価学会本部総会法主特別講演)

昭和45(1970)、大石寺66世・細井日達法主は、早瀬日慈総監と阿部信雄教学部長(後の大石寺67世日顕)の前で、「これは相伝である」として以下のような「戒壇説法」を示したという。

「本門戒壇建立の勝地は当地富士山なること疑いなし。またその本堂に安置し奉る大御本尊は今、眼前にましますことなれば、この所すなわちこれ本門事の戒壇、真の霊山、事の寂光土にして、若し此の霊場に詣でん輩は無始の罪障、速やかに消滅し…」

(平成16826日・大石寺大講堂・法主講義)

「宝蔵説法」とは、奉安殿落慶以前において、大石寺法主が「戒壇の大本尊」の「御開扉」の度に説法したもので、これは今は大石寺の大きな法要(霊宝虫払い大法会・御大会・法主代替法要・日蓮遠忌大法会)での「御開扉」のときに法主が行っている「戒壇説法」のことである。このように大石寺の歴代法主が、大石寺9世日有の言う「事の戒壇」の意味が、「戒壇の大本尊」なる板本尊を祀る場所であるという意味のことを、明確に示している。そして大石寺の「事の戒壇」は、今や「去年の暦の如し」と言われる「理の戒壇」になってしまった比叡山延暦寺の天皇勅許の「大乗戒壇」より優れているということになる。この「事の戒壇」の教義は、大石寺9世日有が京都天奏のときに比叡山延暦寺で味わった屈辱の裏返しといったところだろう。

根本中堂・本師薬師如来1
 

(比叡山延暦寺発行「比叡山根本中堂」に載っている根本中堂の本尊・薬師如来像)

延暦寺1戒壇1
 

(比叡山延暦寺・戒壇)

9世日有3(諸記録)
 

(能勢順道氏の著書『諸記録』に載っている大石寺9世日有の肖像画)