■検証79・「日蓮本仏義」偽作の動機4・大石寺を「事の戒壇」にするため6

 

□大石寺9世日有の野望を始動させた1435(永享7)年の比叡山延暦寺根本中堂炎上事件2

 

さてその比叡山延暦寺だが、元天台座主で還俗して将軍になった室町幕府6代将軍・足利義教と対立。永享7(1435)、足利義教の武力制圧に反発した延暦寺の僧侶が根本中堂に火を放って、比叡山延暦寺・根本中堂が灰燼に帰すという事件が起こるが、その後、直ちに根本中堂は再建される。さらに世が戦国時代に入った明応8(1499)、今度は比叡山延暦寺は、室町幕府管領・細川政元から攻撃を受けて、根本中堂を焼失する。これは管領・細川政元と対立して将軍職を廃された足利義材が幽閉先を脱出して越中へ逃れ、諸大名の軍事力を動員して京都回復・将軍復職をめざして各地で亡命生活を送る。亡命中の明応7年(1498年)に義尹と改名し、その義尹派の中に比叡山延暦寺がいたからである。この細川政元の攻撃で、比叡山延暦寺・根本中堂は史上二度目の焼失になる。さらに元亀2(1571)、織田信長による比叡山延暦寺・全山焼き討ちによって、延暦寺の伽藍・堂塔はことごとく焼失し、多くの僧侶が戦死して壊滅的な打撃を受ける。

織田信長の死後、豊臣秀吉や徳川家康が比叡山延暦寺を庇護し、根本中堂は徳川幕府3代将軍・家光によって再建されている。明治時代以降も、延暦寺の堂宇再建は続けられて、現在に至っている。一方、日蓮正宗大石寺のほうだが、大石寺9世日有による「戒壇の大本尊」なる板本尊偽作以降、京都の天皇・幕府の将軍に申状を呈する天奏そのものを、やめてしまった。大石寺9世日有以降、現在にいたるまでの歴代大石寺法主の中で、天奏を行った法主は一人もいない。これは何を意味するものなのか。つまり大石寺9世日有をはじめとする大石寺法主が、日蓮が志した天皇・将軍に申状を上程して広宣流布を目指すという路線を完全に放棄し、大石寺9世日有が偽作した「戒壇の大本尊」なる板本尊を教義の根本に据えて、この本尊の御開扉によって信者から供養金を収奪する路線に、方向転換したと言うことだ。

なぜ大石寺の法主は、こんな路線転換をしたのか。

まず第一に、天奏を行っても、大石寺の信者が増えるわけでもなく、大石寺が潤うわけでもない、ということに気づいたと言うこと。

日蓮・日興以降、大石寺9世日有に至る歴代法主の中で、実際に京都伝奏を行ったのは、大石寺9世日有が最初である。それまで大石寺門流では、誰も京都に行ったことがないことから、天奏を観念論的な理想と考えていたようだが、実際に大石寺9世日有が京都天奏に旅立って、はじめて朝廷公認宗派でも何でもない大石寺は、京都で全く通用せず、天奏というものが無意味なものであることに気づいた。

日有申状1


日有申状2
 

(大石寺9世日有申状/大石寺59世堀日亨編纂「富士宗学要集」8p341343)

 

 

 

□教義的理想を捨て去って現実路線に転換した大石寺9世日有以降の歴代大石寺法主

 

第二に、大石寺歴代法主の中で、大石寺9世日有が史上はじめて天奏を行ったことで、はじめて京都仏教界の現実、皇室・天皇家、将軍家と南都六宗・八宗の繋がり、京都・奈良の現実の姿をまざまざと見せつけられ、天奏とは、莫大な費用と労力を消費するだけのもので、何のメリットもないということに、ようやく気づいたと言うこと。京都・奈良の仏教界・大寺院は、朝廷や将軍家との繋がりもさることながら、公家、武家、大名から京都町衆・豪商が帰依していて、それらの莫大な経済力によって寺院経営がなされていたということ。つまり大石寺9世日有からすれば、莫大な費用と労力を消費して京都天奏をする意味が全くないということになる。それだったら、経済力を持っている在家の帰依を得た方が大石寺が潤うわけである。

第三に、そういう無意味な天奏をするよりも、大石寺9世日有が偽作した「戒壇の大本尊」なる板本尊を根本本尊に据えて、大石寺が「事の戒壇なのだ」という自己中心的、独善的教義を流布させて信者を増やした方が、大石寺の懐の中が潤うということに気づいたこと。大石寺を潤わせるためには、まずは京都・奈良の大寺院のように根本本尊を中心堂宇に祀って、大石寺の教義も整えなくてはならない。そうしてはじめて「大石寺には仏様がいらっしゃる」ということで、経済力を持っている在家から供養をもらうことができる。そのために大石寺に据えられた根本本尊が、大石寺9世日有が偽作した「戒壇の大本尊」なる板本尊であり、大石寺9世日有が整備した教学とは、「日興跡条条事」「百六箇抄」「御本尊七箇相承」「日蓮本仏義」「血脈相承」などの偽作教学である。

つまり日蓮・日興・日目の教義的理想を捨て去って、現実路線に転換したと言うことだ。大石寺9世日有は、この現実を思い知るために、比叡山延暦寺から私度僧扱い同然に門前払いされるという屈辱まで味わうという、重い代償まで払った。この大石寺9世日有の路線転換により、この大石寺の路線が今日までつづいているというわけである。

9世日有3(諸記録)
 

(能勢順道氏の著書『諸記録』に載っている大石寺9世日有の肖像画)

根本中堂4
 

(比叡山延暦寺・根本中堂)

根本中堂・本師薬師如来1
 

(比叡山延暦寺発行「比叡山根本中堂」に載っている根本中堂の本尊・薬師如来像)

延暦寺1戒壇1
 

(比叡山延暦寺・戒壇)

不滅法灯1
 

(比叡山延暦寺発行「比叡山根本中堂」に載っている「不滅の法灯」)