■検証24・日興が身延山久遠寺第二祖貫首に登座した史実は存在しない17

 

□自らの研鑽・行脚・調査で戒壇大本尊・二箇相承・血脈相承が後世の偽作だと気づいた堀日亨

 

それにしても、なぜ日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨が、自らの著書の中で、「戒壇の大本尊」なる板本尊や「二箇相承」をはじめとする、さまざまな「相伝書」と言われる文書を否定するかのような記述をあえて残したのか、という疑問が湧いてくる。堀日亨は、身延離山の日興の荷物の中に「戒壇の大本尊」があったかどうかについては「研究の余地が存ずる」と言っているだけではなく、

「延山(身延山久遠寺のこと)の常住物は何一つ持ち出していない」「とうぜんのことである」(日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨の著書「富士日興上人詳伝」p212より)とまで言っているのである。


原殿抄の末文にある如く延山の常住物は何一つ持ち出していない
 

「百六箇抄」「本因妙抄」などの「相伝書」と言われている文書の「部分後加説」も、日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨の「隠れた本心」が現れているところのひとつである。

「百六箇抄」「本因妙抄」などの「相伝書」も、さまざまな矛盾や史実と相違する内容を包含しており、日蓮宗をはじめ、さまざまな方面から「後世の偽書ではないか」と指摘されていた。 これらに対して堀日亨が、「全文が日蓮の書いた文というわけではなく、部分的に後世の者が書き加えた箇所がある」などという、前代未聞の「部分後加論」なるものを唱えて言い訳をした。堀日亨としては他門・日蓮宗などの「偽書論」をほぼ認める形で、「富士宗学要集」に「一校を加へ後加と見ゆる分には一線を引く」として「部分後加説」を唱えた。平たくいうと、堀日亨としても偽書と認めざるを得ないんだけども、日蓮正宗大石寺法主を歴任している立場的には「偽書論」を全面的に認めるわけにいかないので、苦し紛れに「部分後加説」を唱えたということである。

堀日亨は自らの著書の中でこう言っている。

「後世の五老門下の多分は・・・百六・本因の両相伝書をまた偽書といっておる。ただし、ぜんぜん偽書というに理由のないことでもない。それは、本因・百六の御相伝の現文が、反対者を圧伏するにたらざるところを補うた後人の註釈が、かえって他門より攻撃の基となっておる。それは高妙な道理より、むしろ平凡な史実がしかりである辺もある」(大石寺59世堀日亨の著書「富士日興上人詳伝」p434435)


後世の五老門下の多分は百六・本因の両相伝書をまた偽書
 

つまり堀日亨に言わせると「たらざるところを補うた後人の註釈」が、他宗・他門より偽書だと批判されているのだ、などと苦しい言い訳をして、全文を載せた「富士宗学要集」で堀日亨は、その「後人の註釈」の箇所に一線・二線を引いて、次のような解説を加えている。

「又後加と見ゆる分の中に義に於いて支吾なき所には一線を引き、疑義ある所には二線を引いて、読者の注意を促がす便とせり」(堀日亨編纂「富士宗学要集第1巻」p25)


百六箇抄1


百六箇抄2


百六箇抄3


百六箇抄4


百六箇抄5


百六箇抄6(富士山本門寺本堂)


百六箇抄7(日興嫡嫡相承本堂正本尊)


百六箇抄8(十万貫・日目大導師)


百六箇抄9(末文)

 

(大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』1巻に載っている「百六箇抄」)

 

 

 

□大石寺法主経験者として偽作説を認められないので部分後加説を唱えた大石寺59世堀日亨

 

堀日亨は「後加」「後人の註釈」だけども、日蓮正宗にとって都合が悪くない部分には一線、日蓮正宗にとって都合が悪い部分には二線を引くというふうに振り分けをした。そして線を引かなかった箇所と、一線を引いた箇所を、あたかも日蓮真筆であるかのように「御書全集」に掲載しているのである。日蓮正宗大石寺67世法主阿部日顕が編纂した「大石寺版・平成新編日蓮大聖人御書全集」も、大石寺59世堀日亨の編纂をそのまま踏襲したものになっている。

「百六箇抄」全文を偽書だと認めてしまっては、「戒壇の大本尊」なる板本尊や「日蓮本仏義」の重要な文書が消えてなくなってしまう。だからそういうわけにはいかないから、「部分的に後人の註釈」があるなどという苦しい言い訳をしている堀日亨。つまりこういったことは、日蓮正宗の内部向けの堀日亨の「言い訳」なのであり、本心では偽作説を支持しているということである。

これは、私は、次のように会通(えつう)して、解釈する。堀日亨という人は、日蓮正宗大石寺の59世法主を経験していたが、法主に登座する以前、自らさまざまな古文書などの文献を調べ、日本各地を行脚し、さまざまな調査をしていくうちに、大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊や「二箇相承書」「日興跡条条事」「産湯相承事」「御本尊七箇相承」「百六箇抄」「本因妙抄」といった「相伝書」と言われている文書が、ことごとく後世の偽作であることに気づいてしまった。ないしは、日蓮真造の本物であるはずがないという確信を得てしまったということである。

当然のことであろう。この私がいろいろ文献調査・実地調査しただけでも、これだけ「戒壇の大本尊」なる板本尊や「二箇相承」「日興跡条条事」「百六箇抄」「本尊七箇相承」をはじめとする「相伝書」と言われている文書が、後世の偽作である証拠が、あっちからもこっちからも次々と噴出してくるのである。ましてや堀日亨という人は、明治・大正の時代に、身延山久遠寺、北山本門寺、京都要法寺をはじめとする冨士門流各本山、全国各地の日蓮宗系の各寺院のみならず、東京大学や立正大学などの教育機関に留まって膨大な古文書などの文献を精査し、日蓮正宗、日蓮宗、富士門流などの宗史を徹底的に研究した人である。そしてそれらの古文書研究の集大成として「富士宗学全集134巻」「富士宗学要集11巻」を編纂したばかりか、「日寛上人全伝」、「南条時光全伝」「身延離山史」「熱原法難史」「富士日興上人詳伝」をはじめ、おびただしい数の著書がある人である。堀日亨は、この私よりも、それこそ何十倍もの史料を見たであろうし、何倍もの確証を得たことであろう。ところが、何といっても堀日亨は、日蓮正宗大石寺の法主を経験した「御法主さま」「御前さま」「猊下」である。こういった立場にあることからして、「戒壇の大本尊」なる板本尊や「二箇相承」をはじめとする「相伝書」と言われている文書が「後世の偽作である」などとは口がさけても言えないことである。そんなことをすれば、日蓮正宗大石寺法主自ら、日蓮正宗の公式見解を否定することになる。


59世日亨2
 

(大石寺59世堀日亨)