■検証83「日蓮本仏義」偽作の動機5・大石寺法主の権威確立のため3
□大石寺9世日有の代に左京阿闍梨日教(本是院日叶)の文献に登場する「日蓮本仏義」
日蓮を人本尊(本仏としての本尊)とする教義を大石寺門流の中で、明確に確立したのは、大石寺9世日有である。大石寺9世日有は、弟子の南条日住が筆録した「化儀抄」において、
「当宗の本尊の事、日蓮聖人に限り奉るべし」(日蓮正宗大石寺59世法主・堀日亨が編纂した『富士宗学要集』1巻相伝信条部p65)
大石寺9世日有の説法の聞書を筆録した「有師談諸聞書」には
「高祖(日蓮)大聖は我れ等が為に三徳有縁の主師親・唯我一人の御尊位と云へり」(「有師談諸聞書」大石寺59世堀日亨が編纂した『富士宗学要集』2巻p159)
という大石寺9世日有の説法が残されていて、日蓮の位は、法華経で「唯我一人能為救護」と説いた釈迦牟尼と同じ仏の位であると大石寺9世日有が言っている。 大石寺9世日有の時代に、京都の日尊門流から大石寺9世日有に帰伏し、大石寺9世日有の教義展開の旗振り役を演じた大石寺の僧侶・左京阿闍梨日教は、大石寺9世日有の日蓮本仏義に付随する形で
「本門の教主釈尊とは日蓮聖人の御事なり」(日蓮正宗大石寺59世法主・堀日亨が編纂した『富士宗学要集』2巻p182収録・左京阿闍梨日教「百五十箇条」より)
「当家には本門の教主釈尊とは名字の位・日蓮聖人にて御座すなり」(日蓮正宗大石寺59世法主・堀日亨が編纂した『富士宗学要集』2巻p320収録の日教の著書「類聚翰集私」より)
等と述べて、日蓮本仏義を鼓舞している。さらに同じく左京阿闍梨日教(本是院日叶)の著書「百五十箇条」「類聚翰集私」には「百六箇抄」の「日蓮本仏義」を引用して
「下種の法華経教主の本迹、 自受用身は本、上行日蓮は迹なり、我等が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり。其の教主は某なり。
「不渡余行法華経の本迹、 義理上に同じ。直達の法華は本門、唱ふる釈迦は迹なり。今日蓮が修行は久遠名字の振舞に芥爾計も違はざるなり」
(「百五十箇条」大石寺59世堀日亨編纂「富士宗学要集」2巻p182)
「不渡余行法華経の本迹、 義理上に同じ。直達の法華は本門、唱ふる釈迦は迹なり。今日蓮が修行は久遠名字の振舞に芥爾計も違はざるなり」
「下種の法華経教主の本迹、 自受用身は本、上行日蓮は迹なり、我等が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり。其の教主は某なり。」
(「類聚翰集私」大石寺59世堀日亨編纂「富士宗学要集」2巻p314)
かくして左京阿闍梨日教(本是院日叶)が、大石寺9世日有の代に「日蓮本仏義」を鼓舞している。
□平僧の左京阿闍梨日教が日有教学を宣揚することによって高まった大石寺法主の絶対的権威
大石寺門流の中において、大石寺9世日有独自の「三大秘法」「戒壇の大本尊」「唯授一人血脈相承」「二箇相承」が定着することについて、左京阿闍梨日教は大きな役割を果たしたと考えられる。つまりこういうことである。
大石寺9世法主の日有が、いくら一人で「三大秘法」「戒壇の大本尊」「日蓮本仏」「血脈相承」を、いくら声高く叫んだところで、法主の下に付き従っている平僧が呼応して宣揚しなかったら、これらの教義が大石寺門流に定着していくはずがない。むしろ法主の下にいる平僧の中で上位にいる僧侶が、宣揚し導いていかないと、大石寺門下の僧侶や信徒に教義や本尊が定着してはいかない。法主一人では、大石寺門流に「三大秘法」「戒壇の大本尊」「日蓮本仏」「血脈相承」を定着させることはできないのである。そういう意味で、左京阿闍梨日教が「三大秘法」「戒壇の大本尊」「日蓮本仏」「唯授一人の血脈相承」を宣揚し、果たした役割はまことに大きかったと言える。
これらのことは、例えを以て言ったほうが、よりわかりやすいと思う。
例えば、戦前の日本に定着した「天皇絶対思想」を主体的に唱えたのは、天皇自身ではなく、明治政府の首相、閣僚、元老、重臣、日本軍の将校といった人たちである。こうした人たちが天皇絶対思想を唱えていったことによって、天皇絶対思想が日本国内に定着したと言える。
天下の副将軍・水戸黄門の印籠を見せて「頭が高い。控えよ」と叫ぶのは、水戸光圀本人ではなく、側近の家来の助さん・格さんである。助さん・格さんが徳川家・葵の紋が刻まれた「水戸黄門の印籠」を見せながら、「頭が高い。控えよ」と言うことによって、水戸光圀の権威が高まる。
左京阿闍梨日教が自らの著書で「三大秘法」「日蓮本仏」「血脈相承」「法主絶対思想」 を説いたことによって、大石寺9世法主・日有の権威が高まった。
つまり「三大秘法」「日蓮本仏」「血脈相承」「法主絶対思想」を偽作したのは、法主の日有であるが、これを宣揚し門下に定着させていったのは、まさに左京阿闍梨日教であると言えよう。
さてずいぶん前にGREE「アンチ日蓮正宗」で私が左京阿闍梨日教のことを「平僧」と言ったところ、富士門流執着軍団の某人Bが「左京阿闍梨日教は法主の側近僧だったのだから、平僧ではない」という問難をふっかけてきたことがあったが、これは誤った見解である。なぜなら大石寺門流では、上古の昔から法主以外の僧を全て「平僧」というのである。富士門流執着軍団の某人Bは大石寺門流での「平僧」の意味を知らないようである。
(能勢順道氏の著書『諸記録』に載っている大石寺9世日有の肖像画)
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