■検証52・大石寺に「大石寺開山・二祖日興の正墓」は存在しない4

 

□大石寺参拝の日蓮正宗信徒がほとんど参詣していない毎年27日の大石寺「興師会」

 

27日は、大石寺開山(開祖)・二祖日興の祥月命日に当たり、毎年26日午後4時から大石寺客殿で「興師会」(こうしえ)御逮夜法要が、27日午前230分から大石寺法主の大導師のもと、大石寺塔中坊全住職が出仕して客殿で丑虎勤行、午前7時からは大石寺客殿で御正当法要が、大石寺法主(日蓮正宗管長)の大導師で営まれる。

日興というのは、日蓮の六老僧の第三位の高僧で、日蓮正宗では、日蓮から血脈相承を受けた「第二祖」であるなどと称している。(日蓮の血脈相承なるものは、大石寺9世日有の偽作)。日蓮から歴代大石寺法主に相承されてきたとする「血脈相承」なるものは偽作であるが、日興が大石寺を創建した「開山」「開祖」であることは史実である。そういう大石寺の「開祖」「開山上人」の祥月命日の法要だから、さぞや全国各地の法華講員が大石寺に参詣して盛大な法要が営まれるのだろうな、と思いきや、それが全くの逆。大石寺の「興師会」に参詣したのは、大石寺塔中坊の住職、在勤教師、在勤所化僧、3人の大石寺総代、大石寺近隣の日蓮正宗信徒。あとは、わずかに当日、「添書登山」で大石寺に参詣した法華講員。法華講連合会の大規模な団体登山会は行われていない。大石寺客殿で営まれる「興師会」を報道する日蓮正宗宗務院機関誌「大日蓮」の写真を見れば明らかであるが、あの広い1,100畳敷の大石寺客殿に、参詣信徒はわずかしかいないことがわかる。2016年も2017年も「添書登山」が行われているのに、登山信徒もほとんど参詣していない様子。26日は、大石寺塔中坊に宿泊する「一泊登山」の信徒がいるはずなのに、参詣は皆無。午後4時だと、まだ大石寺に着山していないのだろうか。否、26日の「戒壇の大本尊」の「御開扉」を受けて、その日に大石寺塔中坊に宿泊する信徒もいるのだから、参詣信徒が皆無というのは、どう見ても摩訶不思議である。27日午前7時の「興師会」御正当法要に、「一泊登山」信徒が参詣していないのは、摩訶不思議と言う以外にない。宿泊している大石寺塔中坊で、まだ寝ているのだろうか。それとも塔中坊で勤行をしているのか(???)。しかし勤行といっても、塔中坊の住職は、全員、客殿の「興師会」に出仕しているので、塔中坊に住職は不在である。住職不在の塔中坊本堂で勤行しているのか(???)。部外者から見ても、実に摩訶不思議である。

同じく日興が開創し、日興を「開山上人」「開祖」と崇めている富士門流八本山のひとつ、北山本門寺は、毎年27日は「日興上人会」を営んでいるし、同じく富士門流八本山のひとつ、京都要法寺は、京都要法寺の礎になった上行院を開創した「開山上人」日尊祥月命日法要の御逮夜法要を57日に、御正当法要を58日に、墓参を59日に営む。団体参拝も行われている。

こういったことを考え合わせても、27日の大石寺「興師会」に法華講の団体登山会が行われていないのも、「興師会」の御逮夜・御正当法要に、登山信徒の参詣が皆無というのも、摩訶不思議と言う以外にない。日蓮正宗の信徒(法華講員)は、大石寺を創建した「開山」「開祖」である日興の祥月命日の「興師会」は、「どうでもいい」と考えているとしか思えない。

 

3大日蓮)
 

(平成293月号「大日蓮」に載っている大石寺「興師会」の報道記事)

 

2017御開扉日程
 

(毎年、「大日蓮」誌で発表される「戒壇の大本尊」の「御開扉」日程)

 

 

 

□興師会で日興墓参がないのは大石寺に日興正墓がないことを日蓮正宗が認めている証拠

 

日蓮正宗宗務院機関誌「大日蓮」に載っている大石寺「興師会」の記事には、もうひとつ、注目すべきところがある。それは、「興師会」御正当法要が大石寺客殿で行われた後、「墓参」を行ったという記事が全く見あたらないことである。「アンチ日蓮正宗」管理人は、三十年以上、「大日蓮」の記事を読んでいるが、毎年2月の大石寺「興師会」で、日興の墓参を行ったという記事を一度も見たことがない。唯一、日興の「墓参」を行ったという記事は、宗創和合時代の1982(昭和57)3月に大石寺で行われた「日興六百五十回遠忌」法要で行われた日興「廟参」である。これは大石寺三師塔の参拝を日興「廟参」と称しているのだが、これもまた摩訶不思議な話しである。

大石寺では、歴代の大石寺法主の年回忌法要(二百回遠忌、三百回遠忌、四百五十回遠忌といった五十年に一度の法要)を行っているが、客殿での御正当法要ののち、必ず墓参を行っている。

又、毎年815日の大石寺「盂蘭盆会」でも、大石寺三師塔、大石寺66世日達の墓所、十二角堂、南条時光墓所、大名墓地等の「墓参」を行う。

北山本門寺が営む毎年27日の「日興上人会」では、北山本門寺境内にある日興墓参を行っているし、京都要法寺は、「開山上人」日尊祥月命日法要ののち、墓参を59日に営む。仏教界で、開祖、歴代法主等の年回忌法要のあとに、墓参を行うのは当たり前のことだ。

ではなぜ大石寺では、日興の祥月命日法要である「興師会」で、日興の墓参を行わないのか。それは答えは簡単。大石寺墓苑にある「三師塔」の日興の「墓」と称しているものは、日興の「正墓」ではないからである。大石寺には、日興の遺骨も正墓も存在していない。日興は133327日、北山本門寺にて遷化し、北山本門寺に葬られて、北山本門寺に日興の墓所が建立された。

したがって、大石寺「興師会」で、大石寺境内で日興「墓参」が行えないのは、実質的に日蓮正宗が、大石寺に日興正墓が存在しないことを認めているものと言えよう。

大石寺境内に日興正墓は存在しないのだから、大石寺境内で日興「墓参」と称する行事は行うべきではないし、日蓮正宗信徒に、「大石寺に日興上人の御墓がある」などと教えるべきではない。。「日興上人の御墓は北山本門寺にある」と教えるべきで、日興「墓参」を行うのなら、北山本門寺で行うべきである。

 

三師塔2
 

(大石寺墓苑にある、日蓮正宗が“日興上人の御墓”と称している大石寺「三師塔」)