□末寺総代、法華講支部講頭・副講頭・幹事・会計を承認・認証する日蓮正宗管長(大石寺法主)

 

「日蓮正宗の僧侶・信徒の関係、信徒団体の構図がよくわからない」「実にわかりにくい」等々の質問がよく「アンチ日蓮正宗」に来ている。日蓮正宗は、最高指導者である日蓮正宗管長、日蓮正宗代表役員を兼任する大石寺法主(ほっす)に権力が一極集中しているのだが、法主一極集中は僧侶・寺院だけではなく、一般の信徒、法華講、信徒団体にまで及んでいる。

日蓮正宗は、総本山大石寺を頂点に末寺・寺院が20171月現在で、日本全国・海外も含めて612ヶ寺ある。大石寺を「総本山」と称するのは、末寺の中に、富士妙蓮寺、讃岐本門寺、日向定善寺の3ヶ寺、塔中坊・末寺を有する本山があるからで、---(かつて塔中坊、末寺を有する本山として保田妙本寺、西山本門寺が日蓮正宗に属していた時代があったが、今は日蓮正宗から離脱している)---大石寺はそれら本山のさらに上に立つ総本山というわけである。日蓮正宗管長、日蓮正宗代表役員を兼任する総本山大石寺法主(ほっす)が、大石寺貫首(住職)をも兼任する。

現在の日蓮正宗では、日蓮正宗の信徒は、必ずどこかの末寺寺院ないしは総本山大石寺の塔中坊、本山寺院の塔中坊に所属しており、末寺寺院、塔中坊には、所属信徒が加入している「法華講支部」が組織されている。したがって日蓮正宗の信徒は、必ずどこかしらの「法華講支部」に加入しているため、日蓮正宗の信徒=法華講員である。

末寺住職・塔中坊住職は、所属する「法華講支部」の指導教師であり、「法華講支部」は、講頭、副講頭、幹事、会計の役員の他に、壮年部長、婦人部長、青年部長、少年部長、総務部長、庶務部長、企画部長、地域組織の方面部長、地区部長、地区長といった支部役員がいる。「法華講支部」のトップは講頭で、これら支部役員は、指導教師、講頭、幹事会が指名、任命するが、講頭、副講頭、幹事、会計は、日蓮正宗管長(大石寺法主)が認証し、日蓮正宗管長名で「認証状」が発せられ、日蓮正宗宗務院機関誌「大日蓮」にも正式発表される。「法華講支部」結成も日蓮正宗管長(大石寺法主)の許可が必要で、法主の許可無く、末寺住職が勝手に「法華講支部」を名乗らせることはできない。さらに「法華講支部」の規約も、日蓮正宗管長(大石寺法主)の承認が必要。

又、末寺が包括宗教法人・日蓮正宗に包括される被包括宗教法人「○○寺」になっていると、代表役員・住職の他に所属信徒から責任役員である「総代」が選出されるが、総代を任命・解任するのは住職だが、しかし総代の任命・解任には、日蓮正宗管長(大石寺法主)の承認が必要で、これも日蓮正宗管長名の承認状が発せられ、これも「大日蓮」に正式発表される。したがって末寺住職が、大石寺法主(日蓮正宗管長)の承認なく、勝手に総代を任命したり解任することはできない。

末寺に所属する「法華講支部」の連合体が、日蓮正宗法華講連合会・地方部であり、地方部の連合体が日蓮正宗法華講連合会である。「法華講支部」講頭は地方部理事を兼任し、地方部長は法華講連合会理事を兼任する。つまり法華講連合会とは、末寺の「法華講支部」が集まった、いわば「寺院横断」型の信徒団体である。「法華講支部」も信徒団体であることに変わりないが、1962年に結成された法華講連合会に対して、「法華講支部」それ自体は、中世の時代の古から存在しているので、こちらは「講中」(こうちゅう※講を作って神仏にもうでたり、祭りに参加したりする信仰者の集まり)と呼ぶ。

 

日蓮正宗・寺院・法華講・構図
 

(日蓮正宗・寺院・法華講・信徒団体構図)

 

法主認証状2
 

(日蓮正宗管長名で発せられる認証状)

 

 

 

□法華講連合会委員長・副委員長等の全ての人事を任命・承認する日蓮正宗管長(大石寺法主)

 

日蓮正宗(大石寺門流)では、中世の時代から単一の末寺に所属する「○○講」とか、あるいは「▲▲会」とかいう名の「法華講」の講中が結成されていた。これらは全て末寺寺院単位の講中である。これに対して、日蓮正宗において、複数の寺院に所属する信徒が加入する信徒団体、最初に結成された「寺院横断」型の信徒団体は、昭和5(1930)に結成された創価学会(※当時は創価教育学会とよんでいた)である。この創価学会(当時は創価教育学会)には、初期の頃は「学校教員の団体」という名目で、複数の日蓮正宗寺院に所属する信徒が加入していた。なぜ「学校教員の団体」という名目で、「創価教育学会」を名乗ったのかといえば、この当時は、日蓮正宗において、「寺院横断型」の信徒団体など、公認されていなかったからである。これが1930年代に過激折伏によって急膨張し、わずか10年足らずの間に、信徒数が3000人を超え、日蓮正宗最大の信徒団体に膨張した。日蓮正宗は、1941(昭和16)の宗制改正により、日蓮正宗の檀信徒を総括・網羅する名として「法華講」とし、法華講本部を大石寺に置き、従来から末寺に存在していた「○○講」といった講中や「▲▲会」は、「法華講支部」として末寺に事務所を置く、ということになった。そして大正時代から存在した総講頭、大講頭は、大石寺の「法華講本部」の役職ということになった。1941(昭和16)年の宗制改正とは、日蓮正宗が時の軍部政府から勝ち取った単独宗制認可時の改正である。創価学会(当時は創価教育学会)は、末寺に所属する「法華講」ではなく、「寺院横断」型の信徒団体であるので、この時の日蓮正宗宗制の「法華講支部」ではない。日蓮正宗が、なぜこの時期に「法華講本部」を置く宗制改正に踏み切ったのか、というと、1941(昭和16)年の時点で、創価教育学会は日蓮正宗最大の信徒団体となっていたこと、その創価教育学会と日蓮正宗管長・宗務院の関係が、神札問題等々でぎくしゃくしていたこと。つまり日蓮正宗は、創価教育学会を「法華講本部」の傘下に置くことで、創価教育学会を押さえ込もうとしたと考えられる。

太平洋戦争の戦災と軍部政府の弾圧で、創価教育学会は滅亡寸前の状態になったが、1945(昭和20)年の終戦後、戸田城聖がいち早く創価学会の再建に取りかかり、わずか数年のうちに、再び会員信徒数3000人を超える日蓮正宗最大の信徒団体に復活させた。当時、創価学会に対抗できる「法華講支部」は皆無であり、日蓮正宗としても創価学会の勢力を無視できず、昭和24(1949)329日、大石寺64世水谷日昇法主は、創価学会理事長(当時)・戸田城聖を、法華講の有力信徒11名とともに日蓮正宗法華講全国大講頭に任命している。この戸田城聖・大講頭任命が、実質的に日蓮正宗が創価学会を信徒団体と承認したと言える。戸田城聖はそれから2年後の1951(昭和26)53日、日蓮正宗常泉寺で創価学会二代会長就任式を執行。創価学会が日本最大の宗教団体にまで膨張する「折伏大進撃」がはじまる。戸田城聖は死去の直前の1958(昭和33)330日、大石寺65世堀米日淳法主から法華講総講頭に任命された。池田大作は、1964(昭和39)42日に、大石寺66世細井日達法主から、1984(昭和59)12日に大石寺67世阿部日顕法主から、二度、法華講総講頭に任命されている。その後、1990(平成2)1227日、法華講総講頭を罷免されている。

1962(昭和37)年に結成された、全国末寺の「法華講支部」の連合体組織として発足した、「寺院横断」型の信徒団体・日蓮正宗法華講連合会も、創価学会の急激な信徒数拡大・膨張に触発されてできたものである。ただし創価学会は、戸田城聖が二代会長に就任して後、日蓮正宗宗務院の承認を得て、日蓮正宗とは別個の、単独で宗教法人になったのに対し、法華講連合会は宗教法人ではない。又、創価学会は会長、理事長、副会長、総務等の最高幹部の人事に、日蓮正宗は全く口を挟むことはなく、創価学会の人事は全て創価学会の一存で決めていたが、法華講連合会の場合は、委員長、副委員長は日蓮正宗管長(大石寺法主)が任命する人事であり、法華講連合会理事、幹事、監事、地方部長、副地方部長、地方部理事、幹事、監事は、日蓮正宗管長(大石寺法主)が承認する人事である。そしてそれぞれが日蓮正宗管長名の任命状、承認状が発せられ、これも「大日蓮」に正式発表される。

つまり法華講本部、法華講支部、法華講連合会と言っても、日蓮正宗管長(大石寺法主)が任命、承認、認証しなければ、何も出来ず、何も動かないような仕組みになっているのである。

 

5大日蓮)
 

(日蓮正宗宗務院機関誌「大日蓮」に発表される法華講連合会委員長、副委員長の任命、法華講連合会理事、幹事、監事、地方部長、副地方部長、地方部理事、幹事、監事の承認人事)