■特異な“お荷物寺院”大歓寺と法華講大歓寺支部の非常識極まりない体質・素顔を暴く4

 

□大歓寺檀徒の面前で「オマエたちは大歓寺から出て行け」と怒鳴った大歓寺住職・須賀法重氏

 

「アンチ日蓮正宗」管理人は、日蓮正宗寺院の住職、教師僧侶、所化僧侶(修行僧)のみならず、他の伝統仏教各宗派の管長、本山貫首、寺院住職、教師僧侶、修行僧を知っているが、日蓮正宗大歓寺初代住職・須賀法重氏ほど、布教や信徒教導に関して、無気力でやる気の無い僧侶は他に類例を見ないと思う。日蓮正宗や創価学会、顕正会は、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗、曹洞宗といった伝統仏教各派を「邪宗」「邪教」「堕地獄の宗派」などと悪口誹謗するが、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗、曹洞宗といった伝統仏教各宗派の寺院住職は、須賀法重氏よりも、それこそ数倍も信徒教導、衆生教化、布教に熱心に取り組んでいる。

1968(昭和43)65日、大歓寺の創建以来、須賀法重氏は大歓寺初代住職であったが、創建以来、十数年、大歓寺所属信徒といえば、地元の横浜市旭区、保土ケ谷区、瀬谷区、戸塚区、大和市の創価学会員だけ。大歓寺の創建も、創価学会の供養・寄進によるものである。須賀法重氏が大歓寺住職になった1968(昭和43)年も、まさに「折伏大進撃」による創価学会全盛時代。創価学会が建立寄進した大歓寺の開創当初は、法華講員はゼロ。所属信徒は創価学会員のみ。大歓寺に創価学会員以外の信徒ができるのは、いわゆる創価学会「昭和52年路線」による日蓮正宗と創価学会の第1次紛争で、創価学会を脱会して寺院直属の信徒になった、いわゆる「檀徒」ができてからのこと。「檀徒」とは、創価学会の「広布第二章」「昭和五十二年路線」が発端になった日蓮正宗と創価学会の第1次宗創紛争で、創価学会を脱会して日蓮正宗寺院直属の信徒になった人たちのこと。日蓮正宗と創価学会の第1次宗創紛争が、表に出てきた1978(昭和53)年ころから、創価学会を脱会して大歓寺の檀徒になりたいと門をたたく人が一人、また一人と現れてきた。ところが須賀法重氏は、こういった人たちを大歓寺の「檀徒」として受け入れはしたが、その後の「教導」は、ほとんど放置したまま。日蓮正宗寺院住職でも、信徒教導に熱心な住職は、この当時から檀徒を集めて「檀徒会」を結成し、「檀徒大会」やら檀徒会の「大石寺登山会」を行っていたが、須賀法重氏は、檀徒を集めて「檀徒会」も結成せず、登山会も檀徒大会も何もしていない。そのため、当時の大歓寺檀徒は、「正信覚醒運動」をリードしてきた日蓮正宗正信会僧俗が発行した日蓮正宗全国檀徒新聞「継命」を定期購読し、日蓮正宗正信会が主宰する「全国檀徒大会」に出席していた。第1次宗創紛争そのものは、1978(昭和53)年の「6.30」「11.7」、翌1979(昭和54)の「5.3

、そして1979(昭和54)7月の大石寺66世細井日達法主の死去、大石寺67世阿部日顕法主の登座で収束に向かう。その後、1980(昭和55)年に入って、正信会は日蓮正宗管長・大石寺67世阿部日顕法主に反旗を翻し、日蓮正宗管長・法主、宗務院の制止を振り切って日本武道館で「第5回全国檀徒大会」を強行。「正信覚醒運動」(正信会)のリーダー格の、千葉県佐原市(現・香取市)涌化寺住職・丸岡文乗氏、静岡県藤枝市応身寺住職・荻原昭謙氏、大分県別府市寿福寺住職(後に神奈川県小田原教会主管に転任)佐々木秀明氏、兵庫県西宮市堅持院主管・渡辺広済氏、東京・目黒区妙真寺住職・山口法興氏の五氏、さらに大阪府大阪市・蓮華寺住職・久保川法章氏が日蓮正宗から擯斥(破門)になる。そして正信会は、全国檀徒大会をその後も1981(昭和56)年に東京・晴海の国際貿易センター西館で開催。1982(昭和57)年以降も毎年開催している。

 

 

 

□「大石寺の二大法会に参詣できないから」との不審な動機で結成に至った法華講大歓寺支部

 

このように1979(昭和54)年から1981(昭和56)年にかけて、日蓮正宗宗内の情勢が大きく激変しているにもかかわらず、須賀法重氏は、大歓寺「檀徒」に対して、何の「教導」も「指導」も行わなかった。そのため、大歓寺「檀徒」は、正信会の僧侶たちが日蓮正宗から破門になっていった後も、日蓮正宗正信会僧俗が発行した日蓮正宗全国檀徒新聞「継命」を定期購読し、日蓮正宗正信会が主宰する「全国檀徒大会」に出席していたのである。ところがこの事実を、当時の大歓寺総代を務めていた創価学会幹部から知らされた須賀法重氏は激怒。「緊急事態だ」とて、大歓寺「檀徒」を大歓寺本堂に集合させ、「檀徒」たちの面前で、何と須賀法重氏は「オマエたちは、大歓寺から出て行けー」と怒鳴りつけたのである。つまり須賀法重氏は、大歓寺の「檀徒」が、大歓寺住職・須賀法重氏の知らないままに、日蓮正宗正信会が主宰する「全国檀徒大会」に出席していたことがよほど腹に据えかねたようなのだが、しかしながら須賀法重氏は、1979(昭和54)年から1981(昭和56)年にかけて、日蓮正宗宗内の情勢が大きく激変しているにもかかわらず、大歓寺「檀徒」に対して、何の「教導」も「指導」も行っていなかったわけで、大歓寺「檀徒」からすれば、「なぜ突然、大歓寺に呼び出されて、『大歓寺から出て行け』と言われなくてはならないのか」…となる。この須賀法重氏の『大歓寺から出て行け』事件によって、大歓寺「檀徒」は大混乱になり、多くの大歓寺「檀徒」が大歓寺から他の寺院に移って行った。その行き先は、大半が正信会寺院。大歓寺に残ってた「檀徒」は三分の一以下。大歓寺住職・須賀法重氏自ら、大歓寺「檀徒」を破壊した結果に終わった。ところがその後も、須賀法重氏は大歓寺「檀徒」を再び放置したまま。1980年代に入って以降、日蓮正宗では日蓮正宗寺院の「檀徒」を組織化して法華講支部を結成し、法華講連合会に加入していく方針をとり、全国の日蓮正宗寺院では、「檀徒」を組織化した法華講支部が結成されていった。ところが須賀法重氏は、大歓寺「檀徒」を組織化して法華講支部にすることをせず、放置したまま。大石寺の霊宝虫払い大法会や御大会、大石寺67世日顕法主代替わり法要といった、大石寺の大法会には、須賀法重氏が大石寺67世阿部日顕法主とは、大石寺60世阿部日開法主の門下の兄弟弟子ということで、大法会の入場券を横流しさせ、大歓寺「檀徒」を大石寺の霊宝虫払い大法会や御大会といった大法会に参詣させていた。ところが1980年代後半に入って、大石寺内事部から、「法華講支部が未結成の大歓寺「檀徒」に対して、霊宝虫払い大法会や御大会の入場券は出せない」と拒否されるようになった。「これでは、大歓寺檀徒が他の日蓮正宗寺院に行ってしまう」と思ったのか、ここに来てようやく須賀法重氏が、法華講支部結成に重い腰を上げた。

ほとんどバラバラの状態だった大歓寺「檀徒」を組織化して、法華講大歓寺支部が結成されたのは、1989(平成1)12月のことである。大歓寺に創価学会を脱会した寺院直属の「檀徒」が生まれてから、何と十年以上が経過していたのである。法華講大歓寺支部結成当初の世帯数は44世帯。日蓮正宗宗務院が、法華講支部結成許可の最低世帯数は40世帯だから、最低ラインギリギリ。大歓寺「檀徒」が最も多かった時代に比べると、何と四分の一以下に減っていた。しかも法華講支部結成に至った動機は、何と「法華講支部を結成しないと、大石寺の霊宝虫払い大法会や御大会に参詣できないから」というもの。私のような無信心な部外者から見ても、なんとも腑に落ちない、宗教的にも純粋とは言えないような、利害ムキだしの動機のように見えるのだが、いかがだろうか。

 

須賀法重4
 

(大歓寺初代住職・須賀法重氏)

 

1法華講大歓寺支部規約1
1大歓寺支部細則1


 

(日蓮正宗宗務院より法華講支部結成許可書が公布された1989(平成1)121日に施行された法華講大歓寺支部規約)