□教義論争・問答・布教活動において決せられる教義解釈の問題については裁判所は介入しない

 

日蓮正宗、創価学会、顕正会、正信会の関係がどうなっているのかを検証する上で、1977(昭和52)420日の日蓮正宗と妙信講(現・顕正会)の「和解」はまことに重要である。

この「和解」について、日蓮正宗宗務院は「通達」の中で

「裁判上の和解といっても、決して仲直りするとか許すとかの妥協的な意味を持つものではなく、要はかかる事件は、その本質が宗教教義の解釈に関することがらであって、本来、裁判所が立ち入るにふさわしくないこと、従って双方の主張の当否は、今後の双方の宗教活動を通して、おのずから明らかにされるべき性質のことがらであることを前提として、法廷の場における争いを止め、訴を取り下げるということが骨子となっている」

 

裁判上の和解
 

(1977(昭和52)516日付け「大白法」)

などと言っているが、これは本質をはぐらかした、ごまかしの説明である。

この裁判上の「和解」であるが、民事訴訟法267条には

「和解又は請求の放棄若しくは認諾を調書に記載したときは、その記載は、確定判決と同一の効力を有する」

 

267民事訴訟法・和解
 

(「六法全書p1721/民事訴訟法267条」

とあるように、裁判上の「和解」は、確定判決と実質的に同一である。

この「和解」の中で、重要なポイントがいくつかある。その第1は、

「一、 紛争の核心が宗教上の教義解釈の相違にもとづくものであって、裁判所の判断により最終的に解決されるべき問題ではなく、むしろ今後それぞれの宗教活動の成果によって当否を決せらるべき事柄であることを相互に確認する」

とあるように、裁判所は、宗教上の教義解釈の問題については、不介入であるということ。これは、日蓮正宗vs妙信講(顕正会)の紛争のみならず、日蓮正宗vs正信会の紛争でも、重要なポイントとして登場する。つまり宗教上の教義解釈の問題は、「今後それぞれの宗教活動の成果によって当否を決せらるべき事柄」、つまり日蓮正宗と妙信講(現・顕正会)の教義論争・問答・折伏活動において決せられる、ということ。もっというと、教義論争・問答・布教活動において決せられる教義解釈の問題については、裁判所は介入しないのである。さらにつづけて和解条項の中に

「五、当事者全員は、本件和解が、それぞれの宗教上の立場および活動の正統性についての承認、もしくは制約を意味するものでないことを、それぞれ確認する」

とあるが、これは、日蓮正宗と妙信講(現・顕正会)でくりかえされている「オレが正しい」「オマエは間違っている」「オレの方が絶対唯一正しい」…の独善的教学論争を何ら妨げるものではないということ。この中に、日蓮正宗ないしは日蓮正宗系宗教団体が、「唯一絶対正しい宗教」の代名詞・固有名詞に使っている「日蓮正宗」「富士大石寺」の名称使用問題が含まれる。つまり顕正会が自分たちの正統性を主張する中で、「日蓮正宗妙信講」「日蓮正宗顕正会」「富士大石寺顕正会」と名乗っても、日蓮正宗はこれを制約できない、ということになったわけである。

顕正会がさまざまな社会的事件を起こす度に、日蓮正宗と顕正会の歴史的経過がマスコミ等で報道され、そのたびに日蓮正宗は「顕正会とは無関係」とのコメントを出している。

 

4無関係通達1


4無関係通達2
 

(200674日に日蓮正宗宗務院が発した「顕正会は宗門(日蓮正宗)とは無関係」とする通達)

日蓮正宗は、「顕正会は宗門とは無関係」との通達は何度も発しているが、宗教法人・顕正会を相手取って「日蓮正宗、ないしは富士大石寺の名称を使うな」との訴訟を一度も提起したことがない。それは1977(昭和52)420日の日蓮正宗・妙信講(現・顕正会)の和解条項の中に

「五、当事者全員は、本件和解が、それぞれの宗教上の立場および活動の正統性についての承認、もしくは制約を意味するものでないことを、それぞれ確認する」

「今後再び、同種もしくは反訴の性質を有する訴訟の提起その他何らの法律上の手続きをとらないことを相互に確認する」

との条項があるからである。

 

今後裁判をしない・宗教活動無制約
 

(1977(昭和52)516日付け「大白法」に載っている日蓮正宗と妙信講の和解書)

 

 

□日蓮正宗と妙信講(顕正会)の教義以外の和解は、日蓮正宗と顕正会の関係が、日蓮正宗と他宗派、顕正会と他宗派の関係と同じになったことを意味する

 

日蓮正宗は、日蓮正宗宗規164(当時)の規定である

「管長(大石寺法主)は、法華講支部(及びこれに準ずる講組織を含む。以下同じ)に左に掲げる事由があると認められるときは、この法人(日蓮正宗)の責任役員会(管長・法主、総監、重役の三人)の議決に基づいて解散、活動停止、登山停止、譴責の処分をすることができる。

一、 宗綱に違反し、異説を主張して、他の信仰を妨害したとき

二、 宗制宗規、宗門または法華講本部の公式決定に違反し、宗内を乱したとき」

をタテに取り、「国立戒壇の名称を不使用とする」公式決定に従わず、1972(昭和47)428日の正本堂の意義についての「訓諭」に、「日蓮遺命の戒壇とは国立戒壇だ」と言って異議を唱え、信伏随従することを拒否した妙信講を解散処分にした。そして浅井甚兵衛講頭・浅井昭衛父子ら幹部を信徒除名処分とし、その後、大石寺66世細井日達法主(日蓮正宗管長)が発した妙縁寺から他の日蓮正宗寺院への移籍命令に従わなかった妙信講信徒は、全員が日蓮正宗信徒の資格を喪失した。

日蓮正宗は「妙信講は解散処分にした」などと息巻いているが、現実問題として、日蓮正宗が妙信講に解散処分を下したからと言って、妙信講は解散などしておらず、その後も浅井甚兵衛講頭・浅井昭衛父子を先頭に活動をつづけ、宗教法人「顕正寺」、つづいて宗教法人「顕正会」を設立し、現在に至るまで宗教法人「顕正会」の活動を行っている。

つまり日蓮正宗が言うところの妙信講(現・顕正会)の「解散処分」というものは、現実の活動実態として、妙信講の組織そのものが「解散」になって、バラバラになったわけではなく、とどのつまるところは、妙信講(現・顕正会)が、日蓮正宗の公認の講中でなくなっただけのことである。

つまり浅井甚兵衛講頭・浅井昭衛父子ら妙信講(顕正会)会員は、大石寺の「戒壇の大本尊」や大法要に参拝はできないが、日蓮正宗に無断で「日蓮正宗」「富士大石寺」を名乗ることができる、「日蓮正宗」の儀式・法要も独自に執行できる、自分たちで正統性を自由に主張できる、というわけで、大石寺の「戒壇の大本尊」や大法要に参拝できなくなったことを除けば、妙信講(現・顕正会)の活動に、何ら不都合も制約も生じていない。

和解条項の三の2に中に

「今後再び、同種もしくは反訴の性質を有する訴訟の提起その他何らの法律上の手続きをとらないことを相互に確認する」

とあり、今後、日蓮正宗と妙信講(顕正会)は、裁判を提起しないことを確認するということは、裁判沙汰になりうる紛争を起こさない、ということである。つまり1977(昭和52)420日の日蓮正宗と妙信講の和解は、教義論争はつづけていくが、それ以外の紛争は今後一切起こさないことを確認した和解であり、日蓮正宗と顕正会(妙信講)は、教義問題以外は「和解」したということである。

日蓮正宗と顕正会(妙信講)は、教義問題以外は「和解」したということは、日蓮正宗と顕正会(妙信講)の関係は、日蓮正宗と他宗派、他の伝統仏教、新興宗教団体との関係と同じ、顕正会(妙信講)と他宗派、他の伝統仏教、新興宗教団体との関係と同じになったということに他ならない。

 

16)
 

 

(1977(昭和52)516日付け「大白法」に載っている日蓮正宗と妙信講の和解書)