■特異な“お荷物寺院”大歓寺と法華講大歓寺支部の非常識極まりない体質・素顔を暴く5

 

□創価学会から接待漬けにされ創価学会の腰巾着僧と化していた大歓寺初代住職・須賀法重氏

 

日蓮正宗vs創価学会の第1次紛争、いわゆる「創価学会の昭和五十二年路線」を発端とする紛争で、最初に創価学会を脱会して大歓寺の「檀徒」になった人が誕生してから数えて、十年以上が経った1989(平成1)12月、ようやく大歓寺「檀徒」を組織化した「法華講大歓寺支部」が結成されて、日蓮正宗宗務院の認可が下りた。日蓮正宗からすると「とにもかくにも、法華講支部が結成されたんだから、いいじゃないか」ということになるが、そんな悠長な話しではない。

なぜなら、まず第1に、当時の大歓寺初代住職・須賀法重氏は、創価学会幹部の完全な「腰巾着」僧と化していた。須賀法重氏は、大歓寺住職に就任した1968(昭和43)年以来、創価学会との「友好関係」「蜜月関係」を最も重要視しており、大歓寺総代は、大歓寺創建以来、1991(平成3)年の「宗創戦争」(日蓮正宗vs創価学会の第2次紛争)がはじまるまで、3人とも創価学会幹部。大歓寺に「檀徒」が誕生した後も、3人の総代は、全員が創価学会幹部であった。

そして須賀法重氏は、創価学会幹部である大歓寺総代との「友好関係」に特に重点を置き、創価学会幹部は、須賀法重氏を完全に「接待漬け」状態にしていた。つまり創価学会幹部に「接待漬け」にされていた須賀法重氏は、とどのつまりは、須賀法重氏は創価学会幹部に籠絡(ろうらく)され、完全な創価学会の腰巾着僧と化していた。ところが、当の須賀法重氏は、全くそんな意識はなかったようで、毎月の御講の説法の席で、公然と「創価学会の幹部と呑みに行った」と説法していた。否、それだけではない。199012月までの「宗創和合時代」のころの大歓寺の毎月の御講、新年勤行会、彼岸会、盂蘭盆会、日蓮誕生会、立宗会、御難会、御会式は、創価学会員で埋め尽くされ、須賀法重氏は、参詣の創価学会員の前で、池田大作や創価学会のことを話題に出して褒めちぎる。あるいは聖教新聞の記事を話題に出して、創価学会員の歓心を誘おうとする。

「こういう説法をしていると、御供養がうんと増えるんだ」と、須賀法重氏がポロリと親しい信徒や大歓寺の寺務員の前で本音を漏らしていた。つまり、須賀法重氏は、大歓寺の説法で、創価学会員を前に、池田大作や創価学会、聖教新聞のことを褒めちぎっていれば、莫大な供養金が須賀法重氏の懐に入ってくるのだから、布教など面倒、法華講や檀徒など数も少なくて面倒だから必要はない、という考えだったようである。そして夕勤行を済ませた後は、毎晩、須賀法重夫人と晩酌。というより、須賀法重氏夫妻には子供がおらず、須賀法重夫妻の楽しみは「酒」。毎日、晩酌しては酒、創価学会幹部に接待されては酒。さらに朝食、昼食から須賀法重氏は、酒を呑み、須賀法重氏は毎日、酒浸りの生活になっていた。須賀法重夫人は、体が弱くて家事ができなかったため、須賀法重氏は、大歓寺庫裡の掃除、洗濯、食事の支度等の家事をやってもらうために、数人の女性を「寺務員」として雇い入れていた。この寺務員が須賀法重氏の酒浸りの生活を目撃しており、この寺務員が、須賀法重氏の酒浸り生活の実態をペラペラ喋りまくり、「大歓寺住職は、酒ばっかり呑んで酒浸り」「酒ばかり呑んでいる生臭坊主」との須賀法重氏の悪しき評判が、近所の一般人から横浜市旭区、瀬谷区、泉区、保土ケ谷区、大和市近辺の創価学会員まで広まっていた。

 

 

 

 

□創価学会婦人部員に「創価学会を脱会して大歓寺に入りたい」と相談に来た信徒の相手をさせていた須賀法重氏

 

こんな調子だから、1979(昭和54)53日の「53」で、日蓮正宗と創価学会が第1次紛争の「手打ち」をしてからというものは、須賀法重氏は、親しい人の前で「ウチ(大歓寺)にも、まだ檀徒がいるんだよ」とぼやいていたくらいで、須賀法重氏と創価学会の「友好関係」の妨げになる大歓寺「檀徒」を完全に「厄介者」扱いしていた。1981(昭和56)年の「オマエたちは、大歓寺から出て行けー事件」の根底には、こういったことがある。須賀法重氏は、厄介者の檀徒を、組織化して法華講支部にするなどとは全く考えておらず、むしろ他の寺院に行ってもらったほうがいいと考えていたようである。それが「檀徒を組織化して法華講にする」という話しが出てきたのは、1980年代後半に入ってから、大石寺内事部から、「法華講支部が未結成の大歓寺「檀徒」に対して、霊宝虫払い大法会や御大会の入場券は出せない」と拒否されるようになった。それまでは、大石寺の霊宝虫払い大法会や御大会、大石寺67世日顕法主代替わり法要といった、大石寺の大法会には、須賀法重氏が大石寺67世阿部日顕法主とは、大石寺60世阿部日開法主の門下の兄弟弟子ということで、大法会の入場券を横流しさせ、大歓寺「檀徒」を大石寺の霊宝虫払い大法会や御大会といった大法会に参詣させていた。「法華講支部を結成しないと、大石寺の霊宝虫払い大法会や御大会に参詣できない」とわかった大歓寺檀徒が、ようやく組織化されて「法華講大歓寺支部」になり、須賀法重氏もようやく重い腰を上げた。

皮肉なことに、法華講大歓寺支部が結成して1年後の1990(平成2)12月、池田大作が法華講総講頭を罷免され、日蓮正宗vs創価学会の第2次紛争(宗創戦争)が勃発した。日蓮正宗は基本方針として、「創価学会を脱会した信徒を日蓮正宗寺院が積極的に受け容れる」と表明。年が明けて1991年に入ってから、東京、横浜、名古屋、大阪、福岡等の大都市のみならず、日本全国各地で創価学会から脱会した信徒が、日蓮正宗寺院の門を叩き、日蓮正宗寺院の直属信徒や法華講員が急増した。大歓寺は、横浜市旭区の住宅街のど真ん中にあり、横浜市旭区、瀬谷区、泉区、保土ケ谷区といった住宅街の創価学会員が所属していたことから、当然、大歓寺にも創価学会を脱会した信徒が、押し寄せてくると思われた。ところが、東京23区や他の川崎市、横浜市の日蓮正宗寺院の直属信徒・法華講員の数が200世帯、300世帯、400世帯となっていく中、大歓寺は、199111月、創価学会が日蓮正宗から破門になった時点で、やっと100世帯を超えただけ。

1990年代半ば、他の大都市圏の日蓮正宗寺院が1000世帯を超えていた中、大歓寺はやっと400世帯に届いたのみ。なぜ大歓寺は、信徒増加のペースがこれだけ遅かったのか。

1990(平成2)12月、日蓮正宗vs創価学会の第2次紛争(宗創戦争)が勃発後、須賀法重氏は御講の説法等で、消極的ながら創価学会批判をはじめたが、創価学会員や創価学会幹部は、せせら笑っていた。「あんな酒浸りの住職・生臭坊主の寺に誰が行くか」「大歓寺の住職のほうが創価学会に来るんじゃないのか」…。こんな感じである。

さらに創価学会に在籍していた当時は役職を持った活動家で、創価学会を脱会して大歓寺の法華講員になったA氏やS(元副講頭)は、「大歓寺(法華講)に来た創価学会脱会信徒は、創価学会に居られなくなって法華講に来た人ばっかりだ」などと言う。つまり、創価学会を脱会して大歓寺法華講に来た信徒の中に、創価学会で活動していた信徒は皆無で、創価学会で居られなくなって法華講に入った人ばかりだと言うのである。さらに別の大歓寺法華講員は、「大歓寺(法華講)に来た創価学会脱会信徒は、創価学会のカスばっかりだ」などと、口を極めて罵る有様。これは、創価学会員ではなく、大歓寺の法華講員が言うのだから、こちらが驚いてしまうくらいである。

さらに日蓮正宗vs創価学会の第2次紛争(宗創戦争)勃発直後の199012月から19923月まで、須賀法重氏は大歓寺の受付に、現役の創価学会婦人部員O氏を座らせていた。この当時、大歓寺には、三人の所化僧(横山雄玉氏、北正修氏、百々正寿氏)が在勤していたが、三人は東京・渋谷区の日蓮正宗法教院(富士学林大学科)に通学しており、昼間は大歓寺に不在の時が多い。住職・須賀法重氏は、絶対に受付には座らず、庫裡の奥に引っ込み、酒を呑んでいた。

それで、受付に創価学会婦人部員を座らせていたのだが、「創価学会を脱会して大歓寺に入りたい」と相談に来た信徒の相手をしていたのが、何と創価学会婦人部員だったのであるから、これも驚きである。これに驚いて「人をバカにするな」と帰った人もいる。須賀法重氏が、布教や信徒教導に、いかにやる気がない、無気力な人物だったかが、わかろうというものである。

しかし199111月、創価学会が日蓮正宗から破門されるまで、「横浜市旭区、瀬谷区、泉区、保土ケ谷区の創価学会員の移籍先は大歓寺」と決められていた。創価学会破門以降、この制約はなくなったが、「創価学会を脱会して大歓寺に入りたい」と大歓寺に相談に来た信徒の相手をしていたのが、創価学会婦人部員だったという事実に反発した人は、他の日蓮正宗寺院に行った人もいるし、「日蓮正宗系」カルト宗教以外の他宗派に行った人もいる。

ここで一言、断っておかねばならないが、「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略名「アンチ日蓮正宗」では、創価学会から脱会して日蓮正宗へ入っただけでは、これはカルトサーフィンしただけであり、「日蓮正宗系」カルト宗教からの脱会・離脱とは認めていない。

ではあるが、「創価学会を脱会して大歓寺に入りたい」と、大歓寺に救いを求めて相談に来た信徒のに、創価学会婦人部員を相談相手させるというのは、まさに言語道断の所行であると断じざるを得ない。「創価学会を脱会して大歓寺に入りたい」と、大歓寺に救いを求めて相談に来る信徒が来る大歓寺受付窓口に、公然と創価学会婦人部員を座らせていた大歓寺住職・須賀法重氏は、この一件だけで仏教者失格、宗教者失格、僧侶失格であると断ずるが、読者諸賢はどのように思われるだろうか。

 

 

須賀法重4
 

(大歓寺初代住職・須賀法重氏)

 

1法華講大歓寺支部規約1
 

(日蓮正宗宗務院より法華講支部結成許可書が公布された1989(平成1)121日に施行された法華講大歓寺支部規約)