■特異な“お荷物寺院”大歓寺と法華講大歓寺支部の非常識極まりない体質・素顔を暴く6

 

□法華講員同士の抗争に火を付けた大歓寺住職・須賀法重氏の不用意・時代錯誤的差別発言

 


日蓮正宗vs創価学会の第1次紛争から数えて、十年以上が経った1989(平成1)12月、ようやく大歓寺「檀徒」を組織化した「法華講大歓寺支部」が結成されたのだが、この十年越しの法華講支部結成に至った理由の第1は、1980年代後半に入ってから、大石寺内事部から、「法華講支部が未結成の大歓寺「檀徒」に対して、霊宝虫払い大法会や御大会の入場券は出せない」と拒否されるようになったこと。かくして44世帯で結成された法華講大歓寺支部の講頭には、古参信徒のNM氏が大歓寺初代住職・須賀法重氏から指名された。

 

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(大歓寺住職・須賀法重氏の命令で法華講講頭になったことを明かす・大歓寺情報紙『大歓寺だより』より)

副講頭には、これまた古参信徒のSY子氏、幹事にはIH(女性)IM子氏、KM氏、IK氏らが就任した。ところが法華講支部結成から半年も経たない1990(平成2)年春、NM氏が講頭を突然辞任してしまう。NM氏自身が、須賀法重氏の葬儀の弔辞で、須賀法重氏の命令で法華講講頭に就任したことを明かしているが、この突然の辞任の理由は全くあきらかにしていない。

この緊急事態に、法華講大歓寺支部では、大歓寺で緊急の支部座談会を開催。新しい講頭には、副講頭のSY子氏が、新しい副講頭にはIH(女性)が法華講員から推挙された。ところがこの支部座談会に座っていた住職・須賀法重氏は、居並ぶ法華講員を前にして、「(新しい講頭は)女じゃダメだ」などと発言。この須賀法重氏の、不用意な、かつ時代錯誤的差別発言に、法華講員が仰天せんばかりに驚く。しかし、だからといってSY子氏以外の人物が見あたらず、結局、新しい講頭にはSY子氏が、新しい副講頭にはIH(女性)が、大石寺67世阿部日顕法主(日蓮正宗管長)から認証された。ところが、この緊急支部座談会での大歓寺初代住職・須賀法重氏の「(新しい講頭は)女じゃダメだ」との不用意な、かつ時代錯誤的差別発言が、大歓寺・法華講員同士の『内紛』に火をつける結果になった。どういうことかというと、緊急支部座談会で、須賀法重氏が法華講員を前にして「(新しい講頭は)女じゃダメだ」と発言したにもかかわらず、SY子氏が講頭に就任したことから、法華講員が、あたかもSY子氏が、大歓寺初代住職・須賀法重氏に無断で講頭に就任したかのような印象を持ってしまったのである。この座談会に出席した法華講員は、何か事ある毎に、「住職(須賀法重氏が) 女じゃダメだ、と言った」などと、須賀法重氏の不用意な差別発言を取り上げるようになる。実際は、SY子氏の講頭就任は、法華講大歓寺支部指導教師・大歓寺住職・須賀法重氏が承認し、大石寺67世阿部日顕法主(日蓮正宗管長)から認証されている。しかし須賀法重氏の「(新しい講頭は)女じゃダメだ」との不用意かつ時代錯誤的差別発言により、講頭・SY子氏の法華講大歓寺支部講頭としての“権威”が完全に失墜してしまい、法華講員をはじめ法華講支部役員すら、SY子氏に対して敬意をはらわなくなり、講頭・SY子氏VS副講頭・IH(女性)の“抗争”をはじめ、大歓寺・法華講員同士の『内紛』が勃発したのである。

 

須賀法重5
 

(大歓寺初代住職・須賀法重氏)

 

 

 

 

□大歓寺在勤所化僧に講頭VS副講頭の抗争を仲裁させて失敗した大歓寺住職・須賀法重氏

 

新しい講頭に、SY子氏が就任したものの、支部役員会等の席では、講頭・SY子氏と副講頭・IH(女性)が事ある毎に対立するようになる。というより、講頭・SY子氏の発言や方針について、副講頭・IH(女性)が何かにつけて「文句」をつけたり、「批判」したのである。「アンチ日蓮正宗」管理人は、当時の講頭・SY子氏も、当時の副講頭・IH(女性)も知っている。SY子氏は、夫、娘夫婦、孫3人と7人暮らしで、専業主婦。どこにでもいる典型的なカルト信仰型法華講員。当時の副講頭・IH(女性)は、横浜市内で美容院を営んでいた人だが、夫、息子に先立たれ、横浜市瀬谷区で一人暮らしをしていた。美容院を経営しているだけあって、なかなか恰幅がある「女親分」という感じの人。大歓寺・法華講員の中にも、当時の副講頭・IH(女性)を「女親分」と呼んでいた人がいた。

講頭・SY子氏VS副講頭・IH(女性)の“抗争”は、日蓮正宗VS創価学会の第2次抗争(宗創戦争)が勃発した1991(平成3)年に入ると、さらにエスカレートした。地区座談会、支部役員会等の行事の度に講頭・SY子氏VS副講頭・IH(女性)の“抗争”が勃発。“抗争”のリードに関しては、美容院を経営して海千山千の『女親分』副講頭・IH(女性)のほうが、一枚上手。時には副講頭・IH(女性)と意見対立を顕著にしたり、時には、行事を欠席したりして、ノラリクラリと“抗争”をリードしていく。この二人の抗争は、法華講員の中に仲介したり、収拾できる人がおらず、抗争はエスカレートする一方。そうすると「じゃあ、住職は何をやっているんだ」ということになるが、この法華講員同士の抗争に火を付ける不用意な、かつ時代錯誤的差別発言をした大歓寺住職・須賀法重氏は、庫裡の中に引っ込んだまま、何もしようとしない。自分は庫裡の一室で酒を呑むだけで、法華講員が抗争をしようがどうなろうが、ほったらかしのまま。又、1991(平成3)年夏のころ、須賀法重氏は、法華講員同士の抗争が炎上する法華講大歓寺支部をほったらかしにしたまま、かなり長期間、大石寺に登山したまま、大歓寺を留守にしていたのである。しかし時は、日蓮正宗VS創価学会の第2次抗争(宗創戦争)が勃発し、数は少なかったが、創価学会脱会信徒が大歓寺の門をくぐってきていた。「こんな大事な時局に、講頭と副講頭がケンカしていていいのか」と疑問を持った法華講員が、大歓寺住職・須賀法重氏に、「講頭VS副講頭の抗争を住職が仲裁すべきなのではないか」と、突き上げたのである。

しかし法華講員から、突き上げられても、大歓寺住職・須賀法重氏は、自分では何もせず、大歓寺に在勤していた所化僧に、講頭VS副講頭の抗争を仲裁させようとした。しかし大歓寺に在勤する所化僧は、東京・渋谷の法教院(富士学林大学科)に通学する20代前半の若手僧。片や講頭・SY子氏も副講頭・IH(女性)も、年齢は60代。信仰歴も40年になんなんとするベテラン信徒。しかも副講頭・IH(女性)は、海千山千の『女親分』である。20代前半の若手僧と60代のベテラン信徒・海千山千の『女親分』では格が全く違う。若手僧に講頭VS副講頭の抗争の仲裁ができるわけがない。大歓寺僧侶による仲裁が暗礁に乗り上げてしまう。

さらに、法華講大歓寺支部を震撼させる事件が起こる。1991(平成3)12月、大歓寺本堂で行われた大歓寺支部座談会で、演壇に立った副講頭・IH(女性)が、居並ぶ法華講員の面前で公然と講頭・SY子氏を批判。というより、支部座談会の副講頭の発言の場で、今までの講頭に対する不満やら、恨み辛みやらを、ぶちまけたのである。しかもこの支部座談会には、指導教師である大歓寺住職・須賀法重氏は出席しておらず、大歓寺在勤所化僧1人が住職代理として出席していただけ。この「副講頭の不満・恨み辛みぶちまけ事件」で、大歓寺法華講員は、一同、びっくり仰天。

法華講大歓寺支部内が収拾不能の大混乱になった。講頭VS副講頭の抗争が法華講員の前に表面化したことで、個々の法華講員が言いたいことを言うようになり、法華講大歓寺支部の統制は完全にマヒ状態になり、支部内はクチャクチャ状態になっていったのである。

法華講大歓寺支部は、結成1年目から「心生大歓喜」どころではなく、「極楽寺焼けて地獄寺となりぬ」(御書全集p975)にちなむ「大歓寺転じて大地獄寺」と化してしまっていたのである。

 

 



 

大歓寺1
 

(横浜市旭区の大歓寺)

 

1大歓寺支部細則1
 

(1989(平成1)121日に施行された法華講大歓寺支部細則)