■検証30・大石寺「唯授一人血脈相承」が偽作である証拠・「二箇相承」の大ウソ3

 

 □歴史的史実に反した記述がある本是院日叶(左京阿闍梨日教)の「二箇相承」写本

 

「二箇相承」の全文を載せた最古の文献は、1480(文明12)に本是院日叶(左京阿闍梨日教)が著書「百五十箇条」で引用している「二箇相承」である。それが以下に掲げるものである。

1480(文明12)  本是院日叶(左京阿闍梨日教)「百五十箇条」

「身延相承書 日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付属す、本門弘通の大導師為るべきなり、国主此の法を立てられば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ・事の戒法と謂ふは是なり、中ん就く我門弟等此状を守るべきなり

弘安五年壬午九月十三日、血脈の次第・日蓮・日興、甲斐国波木井山中に於て之を写す」

「池上相承 釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す、身延山久遠寺の別当為るべし、背く在家出家共の輩は非法の衆為るべきなり

弘安五年壬午十月十三日、日蓮御判、武州池上」

(日蓮正宗大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』2p182183)

183二箇相承初出1百六箇抄文本因妙教主某
 

ところがその左京阿闍梨日教は、長享2年(1488年)6月に書いた『類聚翰集私』、延徳元年(1489年)11月に書いた『六人立義破立抄私記』では、全く内容が異なる「二箇相承」を書写している。

1488(長享2)610日 左京阿闍梨日教「類聚翰集私」

「身延相承 釈尊五十年の説教、白蓮日興に之を付属す身延山久遠寺の別当たるべし、背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり

弘安五年九月十三日、日蓮在御判、血脈次第日蓮日興、甲斐国波木井山中に於いて之を図す」

「池上相承 日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付属す本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立すべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法とは是なり、中んづく我門弟等此状を守るべきなり、

    弘安五年壬午十月十三日、日蓮御判」

(日蓮正宗大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』2p314315)

315二箇相承・産湯相承事初出
 

1489(延徳元年)114日 左京阿闍梨日教「六人立義破立抄私記」

「身延相承 釈尊五十余年之説教、白蓮日興に之れを付属す、身延山久遠寺の別当為る可し、背く在家出家共の輩は非法の衆為る可き者也

弘安五年九月十三日、日蓮在御判 血脈の次第日蓮日興 甲斐国波木井郷の山中に於て之れを図す」

「池上相承 日蓮一期の弘法白蓮阿闍梨日興に之れを付属す、本門弘通之大導師為る可き也、国主此の法を立て被れば富士山に本門寺の戒壇を建立為す可き也、時を待つ可き於耳、事の戒法と謂ふは是れ也、中ん付く我か門弟等此の状を守る可き也

    弘安五年十月十三日 日蓮在御判」

(日蓮正宗大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』4p44)

45二箇相承文
 

 

 

□「百五十箇条」と「類聚翰集私」「六人立義破立抄私記」で全く内容が正反対の「二箇相承」を書写している本是院日叶(左京阿闍梨日教)

 

本是院日叶(左京阿闍梨日教)が、「百五十箇条」で引用・書写した「二箇相承」と、「類聚翰集私」「六人立義破立抄私記」で引用・書写した「二箇相承」の内容が、まるっきり正反対になっている。

ちなみに、本是院日叶(左京阿闍梨日教)が、「百五十箇条」で引用・書写した「二箇相承」と、1556(弘治2)77日 京都要法寺13祖貫首・日辰が北山本門寺に行き霊宝を拝し、北山本門寺8世貫首・日耀をして臨写させたとされる「二箇相承」の写本の内容がほとんど同じ。

 

要山13日辰書写の二箇相承(諸記録)
 

(京都要法寺13祖貫首・広蔵院日辰書写「二箇相承」/能勢順道編纂「諸記録」より)

違っているのは、身延相承の日付が「百五十箇条」引用本が「弘安五年九月十三日」なのに対して、日辰写本は「弘安五年九月日」。「百五十箇条」引用本にある「甲斐国波木井山中に於て之を写す」が日辰写本では省かれている。

それから日辰写本にある「日蓮在御判」が「百五十箇条」引用本にはない。

この本是院日叶(左京阿闍梨日教)が書写した「二箇相承」には、明らかな間違いがある。

文中に「弘安五年九月十三日」「甲斐の国波木井郷、山中に於いて之を図す」とあるが、日蓮が常陸国(茨城県)で湯治治療を受けるために身延山を出発したのが98日。913日は、まさに湯治に向かう旅の途中にあり、日蓮は身延山の波木井郷にはいなかった。

913日に身延山の波木井郷にいて書いたとされる本是院日叶(左京阿闍梨日教)書写の「身延相承書」は後世の偽作文書である。

間違った記述がある文書は、説得性に全く欠ける。よって1556(弘治2)77日 京都要法寺13祖貫首・日辰が北山本門寺に行き霊宝を拝し、北山本門寺8世貫首・日耀をして臨写させたとされる「二箇相承」の写本には、「弘安五年九月十三日」が「弘安五年九月日」なり、「甲斐国波木井山中に於て之を写す」が全く削除されている。

よって北山本門寺が格蔵していたとされる「二箇相承」は、1480(文明12)に本是院日叶(左京阿闍梨日教)が著書「百五十箇条」で引用している「二箇相承」を加筆・修正した「二箇相承」であることが明らかである。

二箇相承2
 

(1970年刊『仏教哲学大辞典』に載っている『二箇相承』