■検証31・大石寺「唯授一人血脈相承」が偽作である証拠・「二箇相承」の大ウソ4

 

 □日蓮正宗発刊の御書全集に収録されている要法寺13祖貫首・日辰の二箇相承写本

 

本是院日叶(左京阿闍梨日教)が、「百五十箇条」で引用・書写した「二箇相承」と、「類聚翰集私」「六人立義破立抄私記」で引用・書写した「二箇相承」の内容が、まるっきり正反対になっている。

本是院日叶(左京阿闍梨日教)が、「百五十箇条」で引用・書写した「二箇相承」と、1556(弘治2)77日 京都要法寺13祖貫首・日辰が北山本門寺に行き霊宝を拝し、北山本門寺8世貫首・日耀をして臨写させたとされる「二箇相承」の写本の内容がほとんど同じ。

違っているのは、身延相承の日付が「百五十箇条」引用本が「弘安五年九月十三日」なのに対して、日辰写本は「弘安五年九月日」。「百五十箇条」引用本にある「甲斐国波木井山中に於て之を写す」が日辰写本では省かれている。

それから日辰写本にある「日蓮在御判」が「百五十箇条」引用本にはない。

日蓮が常陸国(茨城県)で湯治治療を受けるために身延山を出発したのが98日。913日は、まさに湯治に向かう旅の途中にあり、日蓮は身延山の波木井郷にはいなかった。

間違った記述がある文書は、説得性に全く欠ける。よって1556(弘治2)77日 京都要法寺13祖貫首・日辰が北山本門寺に行き霊宝を拝し、北山本門寺8世貫首・日耀をして臨写させたとされる「二箇相承」の写本には、「弘安五年九月十三日」が「弘安五年九月日」なり、「甲斐国波木井山中に於て之を写す」が全く削除されている。

よって北山本門寺が格蔵していたとされる「二箇相承」は、1480(文明12)に本是院日叶(左京阿闍梨日教)が著書「百五十箇条」で引用している「二箇相承」を加筆・修正した「二箇相承」であることが明らかである。

これは二つの文献を並べて比較してみれば、一目瞭然でわかることである。

1480(文明12)  本是院日叶(左京阿闍梨日教)「百五十箇条」

「身延相承書 日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付属す、本門弘通の大導師為るべきなり、国主此の法を立てられば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ・事の戒法と謂ふは是なり、中ん就く我門弟等此状を守るべきなり

弘安五年壬午九月十三日、血脈の次第・日蓮・日興、甲斐国波木井山中に於て之を写す」

「池上相承 釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す、身延山久遠寺の別当為るべし、背く在家出家共の輩は非法の衆為るべきなり

弘安五年壬午十月十三日、日蓮御判、武州池上」

(日蓮正宗大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』2p183184)

183二箇相承初出1百六箇抄文本因妙教主某
 

(1970年刊『仏教哲学大辞典』に載っている『二箇相承』

 

 

 

北山本門寺格蔵「二箇相承」は本是院日叶「百五十箇条」の「二箇相承」を加筆・修正した「二箇相承」であることが明らか

 

1556(弘治2)77日 京都要法寺13祖貫首・日辰の写本

要法寺13祖貫首・日辰が北山本門寺に行き霊宝を拝し、北山本門寺8世貫首・日耀をして臨写させたとされる写本が西山本門寺に現存している。

「身延相承(日蓮一期弘法付嘱書) 日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。就中我が門弟等此の状を守るべきなり。

  弘安五年壬午九月 日              日 蓮 在 御 判

                  血脈の次第 日蓮日興」

「池上相承(身延山相承書) 釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。

  弘安五年壬午十月十三日           武州池上

                          日 蓮 在 御 判」

(日蓮正宗大石寺発刊『平成新編』御書全集p1675)

 

要山13日辰書写の二箇相承(諸記録)
 

(京都要法寺13祖貫首・広蔵院日辰書写「二箇相承」/能勢順道編纂「諸記録」より)

左京阿闍梨日教の「二箇相承」写本と要法寺13祖貫首・日辰の「二箇相承」写本の内容を比較してみると、日辰が書写した「二箇相承」は、日教が書写した「二箇相承」を巧みに加筆、訂正、省略しているのがわかる。もし当時、北山本門寺に、本当に日蓮真筆の「二箇相承」が格蔵されていて、それを見ながら書写したとすれば、こうしたことが起こり得るはずがない。

しかもこれは、ふつうの文書・巻物ではない。日興門下の僧俗にとっては、信仰の根本中の根本、命脈中の命脈である「二箇相承」であり、こんな大事な文書を書写するにしても細心の注意が払われたであろう。もし書写をまちがえたとしたならば、要法寺13祖貫首の広蔵院日辰のほうのはずで、大石寺僧侶の左京阿闍梨日教のはずではない。

しかも京都要法寺13祖貫首・広蔵院日辰は、本是院日叶(左京阿闍梨日教)より後の人物であるが、日辰は大石寺の僧侶ではない。京都要法寺の貫首であり、しかも釈迦仏像造立・法華経一部読誦という、大石寺からすれば「大謗法」を行った人物である。

ところが、日蓮正宗は、要法寺貫首の広蔵院日辰の写本を「点画少しも違わず」書写したものであるとして、現在、日蓮正宗の僧俗の必携品となっている「日蓮大聖人御書全集」に堂々と掲載している。そして大石寺僧侶の左京阿闍梨日教の写本を、ひた隠しにしてお蔵入りにしている。日蓮正宗は、大石寺の僧侶だった本是院日叶(左京阿闍梨日教)の写本ではなく、釈迦仏像造立・法華経一部読誦の所謂「大謗法」を行った京都要法寺13祖貫首・広蔵院日辰の写本を「正」として、こちらを御書全集に載せている。他門流本山の貫首が書写した「二箇相承」を日蓮正宗や創価学会が「正」としていること自体、大きな矛盾である。

 

二箇相承2
 

(1970年刊『仏教哲学大辞典』に載っている『二箇相承』