■検証33・大石寺「唯授一人血脈相承」が偽作である証拠・「二箇相承」の大ウソ6

 

 □「つねに正本を拝し得ざる仁ではやむをえぬ」と苦しい弁解をしている大石寺59世堀日亨

 

本是院日叶(左京阿闍梨日教)が、「百五十箇条」で引用・書写した「二箇相承」と、「類聚翰集私」「六人立義破立抄私記」で引用・書写した「二箇相承」の内容が、まるっきり正反対になっている。

ちなみに、本是院日叶(左京阿闍梨日教)が、「百五十箇条」で引用・書写した「二箇相承」と、1556(弘治2)77日 京都要法寺13祖貫首・日辰が北山本門寺に行き霊宝を拝し、北山本門寺8世貫首・日耀をして臨写させたとされる「二箇相承」の写本の内容がほとんど同じ。

違っているのは、身延相承の日付が「百五十箇条」引用本が「弘安五年九月十三日」なのに対して、日辰写本は「弘安五年九月日」。「百五十箇条」引用本にある「甲斐国波木井山中に於て之を写す」が日辰写本では省かれている。それから日辰写本にある「日蓮在御判」が「百五十箇条」引用本にはない。日蓮正宗や創価学会では、「二箇相承」が「宗祖日蓮大聖人が二祖・日興上人へ唯授一人の血脈を相承した証明」であり、これと大石寺の「戒壇の大本尊」と並んで、自らが唯一絶対に正しい宗教である証明だと主張する。

ところが室町・戦国時代に書写された「二箇相承」の写本では、左京阿闍梨日教の写本「百五十箇条」で引用・書写した「二箇相承」と、「類聚翰集私」「六人立義破立抄私記」で引用・書写した「二箇相承」の内容が、まるっきり正反対になっており、さらに左京阿闍梨日教の「類聚翰集私」「六人立義破立抄私記」で引用する写本と広蔵院日辰の写本では、内容がまるっきり正反対になっているなど、著しい相違が明らか。ここに「二箇相承」「唯授一人血脈相承」が、日蓮の真筆などではなく、後世の偽作である馬脚が現れている。

しかし「二箇相承」「唯授一人血脈相承」が後世の偽作であることを認めてしまうと、日蓮正宗の正当性も信仰も完全崩壊してしまう。そこで日蓮正宗の法主・僧侶・信徒らがこれについて、苦しい弁解をしている。日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨が『富士日興上人詳伝(上巻)』)で、こんな弁解をしている。

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「(左京阿闍梨日教師の『類聚翰集私』に載っている「二箇相承」の写本は)長享2年前の作であれば、大聖御滅二百年ばかり、紛失前およそ九十余年である。……本書には大差なけれども、年紀の指し違えや付記の誤りがあるのは、つねに正本を拝し得ざる仁ではやむをえぬことであろう」

(日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨の著書『富士日興上人詳伝(上巻)』p201202)

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156-157常に正本を拝せざる仁ではやむを得ぬこと
 

(堀日亨の著書『富士日興上人詳伝』p156157)

 

200-201長享二年以前の作であれば祖滅二百年


202-203常に正本を拝し得ざる仁ではやむを得ぬ
 

(堀日亨の著書『富士日興上人詳伝(上巻)・文庫本版』p201202)

 

 

 

□本是院日叶本・左京阿日教本・日辰本の内容の矛盾への大石寺59世堀日亨の言い訳を斬る

 

 日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨は「二箇相承」の広蔵院日辰写本を正として、左京阿闍梨日教の「類聚翰集私」「六人立義破立抄私記」で引用する「二箇相承」写本は、書写の間違いだとしている。堀日亨は、つねに「二箇相承」の真筆を拝する立場にない左京阿闍梨日教が書写したものであるから、年紀の指し違えや付記の誤りがあるのは、やむを得ないことだと言っている。

しかし、これの堀日亨の言い訳は、おかしい。

堀日亨の説明では、書写の誤字・脱字の説明にはなるだろうが、左京阿闍梨日教の写本と要法寺日辰の写本の内容がまるっきり正反対になっていることの説明には、まるでなっていない。

さらに言うと、本是院日叶(左京阿闍梨日教)が、「百五十箇条」で引用・書写した「二箇相承」と、「類聚翰集私」「六人立義破立抄私記」で引用・書写した「二箇相承」の内容が、まるっきり正反対になっていることに対する会通としては、全く成立していない。

そもそも要法寺日辰の「二箇相承」写本の原本は、本是院日叶(左京阿闍梨日教)が、「百五十箇条」で引用・書写した「二箇相承」であることは、明らかである。

そうすると、本来ならば、本是院日叶(左京阿闍梨日教)が、「百五十箇条」で引用・書写した「二箇相承」と、「類聚翰集私」「六人立義破立抄私記」で引用・書写した「二箇相承」の内容が、まるっきり正反対になっていることに対して会通すべきなのである。

そもそも同一人物が、複数の著書の中で、内容が、まるっきり正反対になっている文書の全文を引用することなど、あり得ないことである。これは、書写の間違いとか、そういうものではない。又、もし本当に日蓮が書いた「二箇相承」の真筆が存在していて、左京阿闍梨日教も広蔵院日辰もそれを見ながら書写したとすれば、両者の内容がまるで食い違うということが起こるはずがない。

それにしても、この言い訳は、長年にわたって古文書を研究し尽くしてきた堀日亨らしからぬ言い訳である。どうしてこんな中途半端な言い訳になっているのか。

実は、堀日亨ということは、日蓮正宗大石寺59世法主に登座した人物であったが、一方で本心では大石寺の「戒壇の大本尊」「二箇相承」「日興跡条条事」「百六箇抄」「本因妙抄」「日蓮遺骨」「日蓮墓」「御肉牙」の偽作説を支持していた。

しかし堀日亨は日蓮正宗大石寺の法主を経験した「御法主さま」「御前さま」「猊下」である。

こういった立場にあることからして、「戒壇の大本尊」なる板本尊や「相伝書」と言われている文書が「後世の偽作である」などとは口がさけても言えないことである。そんなことをすれば、日蓮正宗大石寺法主自ら、日蓮正宗の公式見解を否定することになる。

これは言わば、ローマ法皇が「旧約聖書・新約聖書は偽書」「キリストは救世主ではない」と言うことに等しい。日蓮正宗はそれこそ大激震に見舞われることになる。

そこで堀日亨は、膨大な自らの著書や編纂した文献の頭注などにまぜて、自らの「考え」をところどころに織りまぜるという形で表明した。堀日亨の著書や編纂した文献の、ところどころに、そういう堀日亨の「隠れた本心」が垣間見得るのである。詳しくは、下記のカテゴリーをご参照願いたい。

□堀日亨は本心では偽作説を支持していた

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_189069.html

 

59世日亨2
 

(大石寺59世堀日亨)