■検証34・大石寺「唯授一人血脈相承」が偽作である証拠・「二箇相承」の大ウソ7

 

 □「二箇相承が秘書だから左京日教はひどい悪本しか知らなかった」と言い訳する松本佐一郎氏

 

本是院日叶(左京阿闍梨日教)が著書で全文を引用している「二箇相承」と京都要法寺13祖貫首・広蔵院日辰が書写した「二箇相承」の内容が矛盾していることについて、日蓮正宗信徒(法華講員)・松本佐一郎氏が、著書「富士門徒の沿革と教義」の中で、まことに苦しい弁解を試みている。松本佐一郎氏の著書の中には、次のようにある。

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「(二箇相承書は)おそらく秘書(*秘密の文書という意味で氏が使っている)として、めったに外へは出さなかったであろう。そのために実物を見た人が少なく、左京日教ほどの人でもひどい悪本しか知らなかった」

(日蓮正宗信徒(法華講員)・松本佐一郎氏の著書『富士門徒の沿革と教義』)

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松本佐一郎氏の説は日蓮正宗大石寺59世法主・堀日亨の説と同じく、「二箇相承」の京都要法寺日辰写本を正とするもので、左京阿闍梨日教の「類聚翰集私」「六人立義破立抄私記」で引用する「二箇相承」写本は、すでに書写の誤りを犯していた誰かの写本を書写したものだと推測し、弁解している。

しかしこの弁解も、本是院日叶(左京阿闍梨日教)が、「百五十箇条」で引用・書写した「二箇相承」と、「類聚翰集私」「六人立義破立抄私記」で引用・書写した「二箇相承」の内容が、まるっきり正反対になっていることに対する会通としては、全く成立していない。

そもそも同一人物が、複数の著書の中で、内容が、まるっきり正反対になっている文書の全文を引用することなど、あり得ないことである。これは、書写の間違いとか、そういうものではない。

又、もし本当に日蓮が書いた「二箇相承」の真筆が存在していて、左京阿闍梨日教も広蔵院日辰もそれを見ながら書写したとすれば、両者の内容がまるで食い違うなどということが起こるはずがない。松本佐一郎氏の言い訳も、全くの詭弁であり、誤った見解である。

さらに松本佐一郎氏は、「二箇相承」の正筆といわれるものは秘密文書であっただろうから、左京日教は「二箇相承」の正筆は知らなかったという。松本佐一郎氏も何の証拠も示さず、推測だけでくどくどと書いているから驚きだ。何を根拠に秘密文書などと言っているのか。

現に1480(文明12) に本是院日叶(左京阿闍梨日教)が「百五十箇条」で「二箇相承」全文を引用。さらに1488(長享2)610日に左京阿闍梨日教が「類聚翰集私」にて、1489(延徳元年)114日に「六人立義破立抄私記」にて、「二箇相承」全文を引用している。「『二箇相承』の正筆といわれるものは秘密文書であった」と言うなら、なぜ大石寺法主ではない本是院日叶(左京阿闍梨日教)が著書の中で「二箇相承」の全文を引用しているのか。「二箇相承」が大石寺法主のみしか披見できない秘密文書だったならば、本是院日叶(左京阿闍梨日教)が著書の中で「二箇相承」の全文を引用できるはずがない。

 

183二箇相承初出1百六箇抄文本因妙教主某
 

(日蓮正宗大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』2p182183)

 

315二箇相承・産湯相承事初出
 

(日蓮正宗大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』2p314315)

 

要山13日辰書写の二箇相承(諸記録)
 

(京都要法寺13祖貫首・広蔵院日辰書写「二箇相承」/能勢順道編纂「諸記録」より)

 

 

 

□本是院日叶本・左京阿日教本・日辰本の内容の矛盾への松本佐一郎氏の言い訳を斬る

 

さらに1556(弘治2)77日には京都要法寺13祖貫首・日辰が北山本門寺に行き霊宝を拝し、北山本門寺8世貫首・日耀をして臨写させたとされる「二箇相承」写本が西山本門寺に現存している。北山本門寺はこの「二箇相承」と「本門寺額」を楯にとって自らを正当化する手段として使い、戦国時代に駿河国の国主・今川家にとりいって「富士山本門寺」の山号・寺号を名のる根拠としてきた。

「二箇相承」は少なくとも室町時代からは秘密文書でも何でもなかった。

日蓮正宗とて、「二箇相承」が唯授一人の血脈を相伝する法主のみが知っている秘密文書だというなら、なぜ日蓮正宗大石寺は「二箇相承」を自らが編纂した『御書全集』に載せているのか。

これでは秘密文書でも何でもないではないか。秘密文書だというなら、「二箇相承」は今日でも秘密文書になっていないとおかしい。

ならば「御書全集」に「二箇相承」の全文を載せてはいけなかったということになるが、そうすると「二箇相承」が「御書全集」に載っていること自体が矛盾ということになる。

そもそも日蓮が日興を「本門弘通の大導師」「身延山久遠寺の別当」に本当に「任命」したとするならば、これを門下の僧侶・信者全員に披露し、日蓮が日興を後継者に選定して任命した旨を宣言しないと、おかしいではないか。

現代とて、法主の代替の時には、現法主・新法主が前法主から相承を受けて法主に登座したことを、内外に宣言し、座替式を行った上で、さらに代替奉告法要を行う。

それと同じで、「二箇相承」を門外不出の秘密文書にしてしまっては、かえって教団全体の統制がとれなくなってしまう。こういう相承書というものは、秘密にするのではなく、むしろ積極的に公開されていくべき筋合いの文書である。

したがって「二箇相承」は本来ならば、日蓮が書いたとされる時点で、全面的に公開されていないとおかしい。そして公開した上で、日興が「本門弘通の大導師」「身延山久遠寺の別当」に就任することを宣言する法要が行われていないと、おかしいではないか。

しかし日蓮、日興在世の時代に、この「二箇相承」が存在していたことを証明する記録はまったく残っていない。又、日興が「本門弘通の大導師」「身延山久遠寺の別当」に就任することを宣言する法要が池上でも、身延山久遠寺でも行われた形跡はないし、そんな記録は全く残っていない。

まさに日蓮正宗の弁解はまったく矛盾だらけの詭弁・欺瞞であると断ずるものである。

 

二箇相承2
 

(1970年刊『仏教哲学大辞典』に載っている『二箇相承』