■特異な“お荷物寺院”大歓寺と法華講大歓寺支部の非常識極まりない体質・素顔を暴く7

 

□日蓮正宗僧侶として「あってはならない」醜態を信徒の面前で晒した大歓寺住職・須賀法重氏

 

大歓寺初代住職・須賀法重氏は、大歓寺創建当初から一貫して、創価学会との「友好関係」「蜜月関係」を最重要視し、創価学会幹部による「接待漬け」等によって籠絡され、完全な創価学会の腰巾着僧と化していた。よって須賀法重氏は、1970年代後半の宗創第1次紛争、いわゆる創価学会の「昭和五十二年路線」で創価学会を脱会して大歓寺「檀徒」になった人を組織化した法華講大歓寺支部を完全な厄介者扱いしていた。そんな大歓寺住職・須賀法重氏にとって、199012月の池田大作・総講頭解任に端を発した日蓮正宗・創価学会の「宗創戦争」(宗創第2次紛争)は、まさに「青天の霹靂」だったに違いない。宗創戦争が勃発してはじめての御講である19911月度の御講で、全国の日蓮正宗寺院では、参詣の創価学会員に対して、日蓮正宗宗務院と創価学会最高幹部との往復文書のコピーを配布。日蓮正宗寺院住職は、御講の説法では、一斉に創価学会批判、池田大作批判の説法をはじめる。大歓寺ではどうだったのかというと、19911月の御講では、往復文書のコピーの配布はしていたが、大歓寺受付には、創価学会婦人部員O氏が、我が物顔で座り、本来配布すべき文書の半分しか配布していない。御講の説法で、須賀法重氏は、寺院に抗議に来た創価学会員に対しては、「オレがいつでも相手になってやる」などと、息巻いていたが、これが2月の御講になると、大きくトーンダウン。「宗門(日蓮正宗)と創価学会の関係悪化を、猊下(大石寺67世日顕)は、(大石寺の全国教師講習会で)泣いておられましたよ」などと、参詣の創価学会員をなだめるかのような説法に変化。さらに3月、4月の御講になると、199012月以前の説法のように、「聖教新聞には、こんな記事が載っていましたね」などと、創価学会員の歓心を買おうとする説法に逆戻り。こうした須賀法重氏の態度が、創価学会を脱会して大歓寺法華講に入った信徒を、「ウチの住職の創価学会批判は、及び腰だねー」「もともとウチの住職は、創価学会べったりの住職だったからねー」などと、大きく失望させる。

しかし大歓寺住職・須賀法重氏が、いくら参詣の創価学会員をなだめたところで、日蓮正宗と創価学会の第2次紛争は、日に日に激化。大歓寺に参詣する創価学会員は激減し、大歓寺総代を務める創価学会幹部3人も、大歓寺に全く参詣しなくなる。参詣信徒の供養金が激減していく事態に、大歓寺住職・須賀法重氏がついに激怒。須賀法重氏は、「(大歓寺の3人の総代は)お寺にも全然来ない、こんなんじゃ『もう総代を辞めたらどうだ』と電話で言ったら、総代は『いえいえ、総代としてがんばらせていただきます』と言うんだ」…などと、こんな話しを御講の説法で話している。

さらに真夏の大歓寺の御講の席に、顕正会員がまぎれこんで参詣。須賀法重氏の御講の説法の最中、顕正会員が大歓寺住職・須賀法重氏に「法論」を挑むという事件が起こった。この突然の「事件」に、須賀法重氏も参詣の信徒もびっくり仰天。須賀法重氏は、普段、ろくに教学研鑽もせず、庫裡で酒ばかり呑んでいたため、顕正会員の突然の乱入に、何の準備も理論武装もできていない。須賀法重氏は「オレが相手になってやる」と息巻いていたが、瞬く間に須賀法重氏の「化けの皮」が剥がれ落ち、顕正会員の教学論争の前に、須賀法重氏はただ絶句するのみ。須賀法重氏は、顕正会員の論破の前に、何ら反論できず、スゴスゴと庫裡に引っ込んでいくという、日蓮正宗寺院住職が、日蓮正宗から「破門された」顕正会員の論破に敗北するという、日蓮正宗僧侶としては、あってはならない惨めな醜態を、参詣信徒の面前で晒したのである。

 

大歓寺1
 

(大歓寺)

 

 

 

□法華講支部結成1年目から「善神聖人国を捨て所を去る、悪鬼外道災を成し難を致す」状態だった大歓寺

 

さらに事件がつづく。1991年夏の大歓寺本堂での法華講大歓寺支部総会では、「指導教師(須賀法重住職)指導」の最中、法華講大歓寺支部総会に参加していた法華講員の一人が、何と大量の吐血をして倒れるという事件が起こった。大歓寺本堂での法華講支部総会で起こった突然の大事件に、またまた法華講員がびっくり仰天。ところが、この事件の最中、法華講大歓寺支部役員は、ただボケーッとしているだけで、何もせず、大歓寺在勤の所化僧が救急車を呼び、タンカに吐血した信徒を寝かせるという作業を行っている。大歓寺支部総会は、信徒の大吐血事件が起こったことで、大混乱の中で終わるという、これまた、あってはならない醜態を法華講員の面前で晒すことになった。救急車が大歓寺を出て病院に向かった後、吐血した信徒の夫人が、大歓寺本堂の真ん中で、法華講員の面前で「ご住職、ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」と、深々と頭を下げたが、なんとも痛々しく、また何ともお気の毒に思えたものであった。

こんな醜態事件続きの中、法華講大歓寺支部の信徒数は、どのように推移していったのであろうか。19907月、宗創戦争直前の「3万総会」の時、全国の法華講員数は約5万人。これが2002年の30万総登山の時には、367000人になっている。

 

日蓮正宗教師・信徒数・増減一覧(1995~2016)
 

(1・日蓮正宗教師数・日蓮正宗信徒数・増減推移一覧・文部科学省「宗教年鑑」より)

日蓮正宗法華講連合会の内部資料である「平成4年度(1992)東京第二地方部折伏目標」によれば、平成3(1991)10月現在の法華講大歓寺支部世帯数が100世帯になっている。(当時、法華講大歓寺支部は東京第二地方部だった)

 

10世帯数(大歓寺100)
 

(2・平成4年度(1992)東京第二地方部折伏目標)

法華講大歓寺支部の内部資料である平成4(1992)425日付け「平成4年度(1992)講費改定事項()」によれば、1991(平成3)6月の講員数を81世帯、1992(平成4)4月の講員数を124世帯としている。

 

25講費改訂案(1991年81世帯)
 

(3・平成4年度(1992)講費改定事項()

日蓮正宗法華講連合会神奈川地方部の内部資料である「平成5(1993)10月度九者別支部実態報告書」によれば、平成5(1993)10月末現在の法華講大歓寺支部の世帯数が192世帯になっている。

 

10世帯数(大歓寺192)
 

(4・平成5(1993)10月度九者別支部実態報告書)

これらの資料から法華講大歓寺支部の世帯数は、19916月・81世帯→199110月・100世帯→19924月・124世帯→199310月・192世帯と推移していったことがわかる。

これを次の図4・横浜市人口・世帯統計と比較して見よう。

 

1横浜市人口
 

(5・横浜市人口・世帯統計)

横浜市内にある日蓮正宗寺院は、鶴見区・妙寿寺、南区・久遠寺、旭区・大歓寺、緑区・法運寺、神奈川区・応顕寺である。大歓寺は旭区、保土ケ谷区、瀬谷区、泉区を担当。この地域は約31万世帯、73万人。久遠寺は西区、南区、中区、磯子区の31万世帯、61万人を担当だが、図4の統計では大歓寺支部が192世帯、久遠寺支部が608世帯。大歓寺支部は久遠寺支部の三分の一以下である。また同じく横浜市内にある妙寿寺支部、応顕寺支部の半分以下でしかない。

人口43万人、185000世帯の藤沢市にある寿照寺支部が266世帯、人口40万人、166000世帯の横須賀市にある法照寺支部が524世帯なのに、人口73万人エリアの大歓寺支部は192世帯。どこをどう見ても、法華講大歓寺支部の実態は、布教が立ち後れているどころではない。布教・信徒教導に消極的だった須賀法重住職の酒浸り生活、宗創戦争勃発後も大歓寺受付に居座っていた創価学会婦人部員、須賀法重住職の女性蔑視・差別発言に端を発した法華講大歓寺支部の内紛、宗創戦争勃発後も創価学会批判に及び腰だった須賀法重住職、顕正会員問答敗退事件、法華講大歓寺支部総会での法華講員吐血事件、そして法華講大歓寺支部内部では、支部結成から3ヶ月も経たないうちに講頭辞任、新講頭と新副講頭の抗争…等々、これは日蓮遺文の「善神聖人国を捨て所を去る。是を以て悪鬼外道災を成し難を致すなり」(立正安国論・御書全集p237)の姿そのものとしか思えない。日蓮の立正安国論等の日本滅亡の預言は外れたが、「善神聖人国を捨て所を去る。是を以て悪鬼外道災を成し難を致すなり」を、大歓寺の醜態の預言(?)ととらえれば、これは見事に符合していると言えよう。

再三言っていることだが、「アンチ日蓮正宗」は、日蓮正宗の強引な布教・折伏に反対する立場であり、直ちに中止を要求する立場である。したがって大歓寺の布教がどれだけ立ち後れようとも、そんなことを咎め立てする気もないし、いちいちあげつらって批判する気もない。「むしろ大歓寺のような“無知無能”“不行跡満載”のような日蓮正宗寺院が増えることは、歓迎すべきだ」「放っておけばいいじゃないか」という意見も多数ある。

しかしながら、須賀法重氏は大歓寺初代住職であり、日蓮正宗の僧侶。まがりなりにも仏教者の一人であるはずである。日蓮正宗も大歓寺も大歓寺住職も、宗教法人のさまざまな特典を受けている。又、創価学会員以外の大歓寺信徒は、創価学会を脱会して大歓寺に救いを求めてきた人たちばかりである。それなのに、こんなことをやっていていいのか、と言っているのである。

大歓寺住職のあさましい姿といい、法華講大歓寺支部の醜い内紛といい、まさに仏教者、宗教者としての責任を放棄した姿であり、仏教者、宗教者として、全くあるまじき姿ではないかと考えるが、読者諸賢はどのように思われるだろうか。

 

須賀法重5
 

(大歓寺住職・須賀法重氏)