□東洋仏教文化の例外的に存在した全裸彫刻・かつて大石寺にあった正本堂大前机の全裸彫刻

 

さて、2018128日、東京・上野・国立西洋美術館に行って、もうひとつ気がついたことがある。それは全裸像のことである。ミケランジェロの全裸男性彫刻像の他、「弓を引くヘラクレス」「説教するヨハネ」など、マッチョ男の全裸彫刻が常設展示されているのだが、全回、東洋美術と西洋美術を比較して、「全裸美術、全裸彫刻は、日本の仏教文化には皆無である。」と書いた。

「ふと思ったこと(6)~国立西洋美術館の展示を鑑賞して思った東洋仏教美術と西洋キリスト教美術の相違」

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/37624111.html

しかしながら、よくよく考えてみると、極めて「例外的な」存在であるが、東洋文化にも、全裸彫刻ではないか、と思われるものがあったのである。それは、1972年~1998年に大石寺に存在した正本堂の大前机にあった「全裸彫刻」である。

 

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(1972-1998に大石寺に存在した正本堂)

 

23大前机


24大前机
 

 

(正本堂の大前机・写真集「正本堂」より)

大前机と言っても、聞き慣れない方がいると思うので、少し解説しておきたい。

「前机」(まえづくえ)とは、読書や物書きなどに使う文机(ふづくえ),仏前に置き香炉など載せる前机,経を読むときに使う経机,飲食物を載せて食事するのに使う食卓など。ここで言う前机とは、香炉を載せて仏前に置く前机で、正本堂の大前机とは、ちょうど正本堂の大導師席(法主が着座する席)の前にあり、「戒壇の大本尊」に供える香炉が置いてあった巨大な前机のことである。

この大前机に、「衆生所遊楽」と題する彫刻が彫ってあるのだが、ここに全裸像と思われる彫刻があった。実は、この彫刻、1970年代から1990年代のころ、マスコミによく取り上げられ、「正本堂の大前机の全裸像の顔が、池田大作によく似ている」「あれは、池田大作の全裸像なのではないか」「正本堂の建立発願主は池田大作だから、池田大作は自分の全裸像を大導師席の前に備えつけて、大石寺の法主に、自分の全裸像を拝ませようとしていたのではないか」等々…と、マスコミが集中砲火的批判を浴びせていた。

池田大作が、はたして自分の全裸像を、大石寺の法主をはじめ、大石寺僧侶、参詣信徒に拝ませようとしていたのかどうかは、これだけでは断定することはできない。しかしながら、大前机の全裸彫刻の顔が、どこをどう見ても池田大作に似ているというのは、異論があるまい。

 

正本堂大前机1


正本堂大前机2
 

(正本堂の大前机・全裸彫刻)

 

池田大作17
 

(池田大作の写真・インターネットのサイトより)

 

 

 

□ピカソが1968年に発表した絵画「首飾りをした裸婦」によく似ている正本堂大前机の全裸彫刻

 

ところで、この正本堂・大前机の全裸彫刻を、東洋仏教文化の全裸彫刻と位置付けるには、少々無理があるかもしれない。そもそも197210月に落成した大石寺正本堂そのものを、東洋の仏教文化に含めること自体に無理がある。よって、あくまでも「例外的」なものと言えよう。

さてこの正本堂大前机の全裸彫刻だが、池田大作の顔に似ていることもさることながら、パブロ・ピカソが1968(昭和43)年に発表した絵画「首飾りをした裸婦」によく似ている。

パブロ・ピカソ(1881- 1973)とは、スペイン生まれ、フランスで制作活動をした画家、素描家、彫刻家。生涯におよそ13500点の油絵と素描、10万点の版画、34000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作し、最も多作な美術家であると『ギネスブック』に記されている著名な画家。今の人は、ピカソと言われても、知らない人が多いかも知れないが、昭和40年代(1965-1974)のころは、ピカソという人物名は、日本人では知らぬ人がほとんどいないほど、著名な画家であった。

「首飾りをした裸婦」はピカソが1968年に発表した作品。正本堂は197210月に落慶している。

正本堂大前机の全裸彫刻が、ピカソが1968(昭和43)年に発表した絵画「首飾りをした裸婦」のパクリである可能性は、非常に高いと言えよう。

 

1968ピカソ「首飾りをした裸婦」
 

(パブロ・ピカソが1968(昭和43)年に発表した絵画「首飾りをした裸婦」)

 

 

正本堂大前机2

 

(正本堂の大前机・全裸彫刻)