■検証35・大石寺「唯授一人血脈相承」が偽作である証拠・「二箇相承」の大ウソ8

 

本是院日叶本・左京阿闍梨日教本・日辰本の内容の矛盾への山口範道の言い訳を斬る

 

「二箇相承」の矛盾に対する堀日亨や松本佐一郎の言い訳は、愚にも付かない言い訳であるが、そういう中で、日蓮正宗僧侶・大石寺富士学林図書館長山口範道氏が著書『日蓮正宗史の基礎的研究』の中で、面白い見解を発表している。

日蓮正宗僧侶・大石寺富士学林図書館長・山口範道氏は、こんなことを書いている。

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(日蓮正宗僧侶・大石寺富士学林図書館長・山口範道氏の妄説)

古来このように両書(身延相承と池上相承の二書。二箇相承のこと)に二通りの伝承経路があるので、本論は仮に両系(正系と傍系)考察という題名を以て論考するものである。

結論的に云って、伝承の日付に異なりがあるということは、何れかが何時の時代かにおいて間違ったのであるということであって、御正本は二種類あったというものではない。

したがって、この日付の異なりは、後世における大聖人の法義の食い違いから起こったものか、或いは書写の誤りから生じたものか、或いは故意的に間違えたものかということである。

 (山口範道氏の著書『日蓮正宗史の基礎的研究』p33-34)

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33


34


 山口範道氏の説は大石寺59世堀日亨の説とは正反対に、左京阿闍梨日教の「二箇相承」の写本を正とするものである。日蓮正宗の僧侶が法主の説とは正反対の説を唱えていること自体、注目に値することだが、しかしその説明は、まるでデタラメ極まりないものだ。

山口範道氏は、日付等の記載が異なる複数の「二箇相承」の写本が存在することについて

「後世における大聖人の法義の食い違いから起こったものか、或いは書写の誤りから生じたものか、或いは故意的に間違えたものか」

などと、煙に巻いたことを言いつつ、

「御正本は二種類あったというものではない」

などと強弁する。しかしこれほど強気に記載が異なる複数の「二箇相承」の写本が存在することについて強弁しようとする山口範道氏が「二箇相承」の伝承の経緯について、ごまかしがある。

それは、1480(文明12) の本是院日叶(左京阿闍梨日教)の著書「百五十箇条」の中で「二箇相承」の全文を引用していることについて、これを本是院日叶(左京阿闍梨日教)の直記とせずに

「聖滅266(1547)天文16年、要山日在、富士立義記(日叶作)を添削前後補接百五十箇条として編録二箇相承全文引用」(山口範道氏の著書『日蓮正宗史の基礎的研究』p36)


36-37
 

として、1547(天文16)に京都要法寺12祖貫首・日在が「添削前後補接」したものであるとしている。これは、「富士宗学要集」2巻に収録されている「百五十箇条」の末文に

「編者曰く要山本の奥書に云く

時に天文十六年丁未八月十日書写し畢りぬ。住本寺本是院日叶所談なり、十二代日在在判」

(堀日亨編纂『富士宗学要集』2p246)

246百五十箇条末文

 

とあることを根拠にしているものと思われる。

 

 

 

□山口範道氏の解釈は「二箇相承」を証明できないことをごまかす詭弁であり欺瞞である

 

しかしこの山口範道氏の解釈は、あまりにも強引すぎる。

そもそも「百五十箇条」の作者については、「富士宗学要集」を編纂した堀日亨も本是院日叶(左京阿闍梨日教)であるとしており、要法寺・日在が「百五十箇条」を「添削前後補接」したなどとは一言も言っていない。そもそも堀日亨が挙げた「百五十箇条」の奥書の文

「時に天文十六年丁未八月十日書写し畢りぬ。住本寺本是院日叶所談なり、十二代日在在判」

(堀日亨編纂『富士宗学要集』2p246)


246百五十箇条末文
 

は、あくまでも要法寺・日在が「百五十箇条」を「書写」したのであって、「添削前後補接」したなどとは、どこにも書いていない。

山口範道氏の強引な解釈の主眼は、本是院日叶(左京阿闍梨日教)が、「百五十箇条」で引用・書写した「二箇相承」と、「類聚翰集私」「六人立義破立抄私記」で引用・書写した「二箇相承」の内容が、まるっきり正反対になっていることに対する会通を、ごまかすことにあることは明らか。

よって山口範道氏の解釈は、「二箇相承」の正統性を証明できずに、完全に行き詰まったことをごまかすための詭弁であり、欺瞞であると断ずるものである。

さらに山口範道氏は、日興の阿闍梨号について解釈を加え、日蓮が日興に阿闍梨号を授与したのが六老僧選定の108日だから、それ以前の9月における身延相承書で「白蓮日興」と記載している左京阿闍梨日教の「類聚翰集私」「六人立義破立抄私記」で引用する「二箇相承」写本が正だと、述べている。

その身延相承書の左京阿闍梨日教写本の日付が日蓮が身延山から常陸の国の湯治に旅立った後の「九月十三日」になっている点については、相承の本文は身延山で書き、日付だけ旅の途中で記入したなどと、これまた何の証拠も示さず推測だけで、とほうもないデタラメを述べている。

そして「二箇相承」の写本が、左京阿闍梨日教写本と要法寺日辰写本の二通存在していることが、「二箇相承」の立証が強くなっているとまで強弁しているのだから驚いてしまう。そんなわけがないではないか。だれがどう見たって、この二通の存在は『矛盾』と見るに決まっている。

こういう欺瞞・誑惑を、大石寺富士学林中図書館長の要職にあり古文書学の専門家で日蓮正宗僧侶として法臘五十年の老僧が平然と述べているのだから、日蓮正宗の欺瞞体質が分かろうというものだ。


要山13日辰書写の二箇相承(諸記録)
 

(『二箇相承』)